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Genesis10「彼は主の前に力ある狩人であった。それゆえ、『主の前に力ある狩人ニムロデのように』と言われるようになった」

「これはノアの息子、セム、ハム、ヤフェテの歴史である」と始まる章。
ここでも、たくさんの名前が出てくる。
その多くは聞き覚えのないものだが、いくつかの地名や諸氏族や名前は聞いたことがあった。
ソドム、ゴモラ、ニネベ、ペリシテ人、ヒッタイト、シェバ……。
とはいえ、ほとんどは何を指すかわからない音の響きである。

どうしてまた家系図のようなものが記されているのか、と思ったとき、ふと気づいたのは、これがノアの箱舟以降のことであるという歴史の流れである。

ノアの箱舟にはノア夫婦のほか、セム、ハム、ヤフェテという三人の息子とその妻だけが乗っていた。
たった八人の家族――。
(船という漢字には、「八つの口」とあるので、これはノアとその息子たち夫婦八人を指しているようだ、と言われたりもするが)

その八人の子孫が増え広がって、こんなにもたくさんの名が連ねられるようになったことを思うと、この10章は神の祝福が広がっていくさまが記されている章だと気づいた。
この章の最後にある通りだ。

「以上が、それぞれの家系による、国民ごとの、ノアの子孫の諸氏族である。大洪水の後、彼らからもろもろの国民が地上に分かれ出たのである」


たしかに、あのすべてが水の下に沈んだ“世界の終わり”の風景を思い出すとき、こんなにも人々が地上に増えていることは大きな祝福のように思う。
現代の日本でも、子の誕生はその家族にとって、とてつもない祝福と喜びであろう。
「生めよ。増えよ」と命ぜられたように、人には、子孫が増え広がることを求める想いが与えられているように思う。


そんな中、目に留まったのは、この章の真ん中あたりに出てくる「ニムロデ」という勇士の存在である。

「クシュはニムロデを生んだ。ニムロデは地上で最初の勇士となった」

狩人という職業は、ノア以降の新しい世界――「生きて動いているものはみな、あなたがたの食物となる」という新しい世界ゆえに、始まった職業であろう。
獣を殺し、それらを狩る者。獣の血を流す職業。
ノアの洪水以降、エデンとは異なるこの世界が始まり、発展しているのを感じる。

そして「彼は主の前に力ある狩人であった」とある。

我々は、仕事は仕事、神への信仰は信仰と、わかれてしまいやすいことがある。神様は大切だが、狩りの時は思い出さない…というように、“これは祈ることじゃない”となってしまうのだ。
だが、ニムロデは主を意識し、主の前に出た。祈りながら狩りをし、自分の力ではなく、神の力を求めたのだろう。そうして、ほかの人々から、“あのニムロデのようになりたい“と憧れられるのだ。
彼の王国は、「バベル、ウルク、アッカド、カルネで、シンアル(すなわちシュメール)の地にあった」とあるように、歴史的にも知られるシュメールの都市遺跡“ウルク”や、アッカド帝国の都“アッカド”という名が出てきていることも興味深い。

人から称賛される、力ある者であった狩人ニムロデ。
彼は、人間的に称賛される、目に見える力を持ちながら、驕らずに、「主の前」に自分がどうあるかに目を向け、人々のモデルとなった。
そうして、「地上で最初の勇士」と呼ばれた。

大きな力を持ちながら、「主の前に」生きた勇士ニムロデのように、だれの目にも「あの人は神の前に生きている」と言われるような、そんな生き方がしたいし、そう呼ばれる人を支える妻でありたい、と思う。



追記:
ちなみに、世界のはじまりについていつも思うのは、結婚相手はどうやってみつけるのだろうか、という疑問である。8人だけのノアの家族は、いとこ婚などで広がっていったのだろうか。
また、「それから島々の国民が分かれ出た。それぞれの地に、言語ごとに、その氏族にしたがって、国民となった」とあるが、次章では冒頭から「全地は一つの話しことば、一つの共有のことばであった」とある。
ここで述べられている「それぞれの地に、言語ごとに」というのは、”書き言葉“を指しているのであろうか、などとも考えるのであった。


©新改訳聖書2017

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