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診断名が変わった話/飲食バイトの話

5月が過ぎ6月が過ぎ、なんだか暑いなあと思っていたら7月も半分過ぎた。

精神科での診断名がうつ病から双極性障害(躁うつ病)に変わった。5月末あたりの通院で最近の調子はどうだいと聞かれて、なんだかやたらと頭がグルグルしたり注意散漫になったり吃ったり過呼吸になったり急に手が震えたり全く眠剤が効かなかったり喋り過ぎたり怒りっぽくなったり他にも色々おかしなことが起きると話したら、「躁鬱っぽくなってきたねえ」と言われ、一旦抗うつ剤の投与を中止して躁を抑える薬を飲み始めた。実際眠剤は最初の処方と比べたら2種に増えさらに2種目は倍量に増えていたし、頓服の抗不安薬を飲む回数も異様に増えていた。

ここ数週間は落ち着いてきた気がすると勝手に思っていたけれども、ストレスの元凶がやってきた途端に具合は悪くなる。具合の悪さは身体にモロに現れる。身体に現れる症状としてはうつの時よりもしんどい感じがする。それでもあ゛ーーとか言いながら働こうとしてしまうしまだ働けてしまうのでたぶんまだ躁なほうなのだろう。

言われてみれば去年の夏〜秋なんかも躁状態だったのだろうと思う。忙しいはずなのにやたらと人と会おうとしたり、ろくに寝ずにカフェインで胃腸を壊しながら大学とバイト先とを行き来したりしていたしある時まではそれで別にうんうん上手く行ってる、なんとかなってる、と思っていた。いわゆる万能感というやつである。ある日あーだめだ、と思った日からは本当にダメでそこからは全く起き上がれなかった。そこからが鬱で、その時ちょうどクリニックに初めてかかってうつ病だと診断されたのだった。

双極性障害は遺伝性疾患であり、その人の生まれ持った特性・性質として捉える人も多い。実際たしかに当事者はそう思えた方が上手く付き合っていくとか、むしろその性質を活かして生きていくようなことができるだろう。私はまだ上手く付き合えてはいない(少なくともまともな“社会人”に擬態はできていない)。

医学書とかを見ると躁鬱病患者は生活面の注意としてああするのが良いこうするのが良いと色々書いてはあるが、私を診ている先生はあまりそういう事を言わない。普通だったら「どうせ寝れないし夜勤してる」とか言ったらリーフレットにあるように「規則正しい生活をしなさい」とか叱られるのだろうが、「ある精神状態の時はその方が楽だったりもするよね」とか言ってそのときそのとき楽な事や上手くいくことをやればいい、生産性が上がってるのならそのとき頑張ってしまっていいよくらいの見守り方をする。でも不安なときは「大丈夫、病気だから、病気は治るから」とはっきり言ってもくれる。医師として医学的にちゃんと疾患を理解して説明する一方で、いささか古典的ともいえる、患者の精神世界の捉え方みたいなものも大事にするからえらい“医者”だと私は思う。私が進振りで文系で死生学をやるか理系で獣医学をやるか悩んだのはこういう両面の見方のできる人間になりたいからである。おそらくあの先生の「治る」は「躁鬱という性質が身体から消えて無くなる」とイコールではないのだろう。ちなみに先生の好きな画家はエゴン・シーレで、白衣なんぞ羽織らず都美のシーレ展のときのグッズショップで売っていたTシャツを着て診察している。

初めはうつ病と診断したが躁が始まってお、躁鬱だと診断して躁の治療をしていたら、そのまま寛解してしまうというケースもあるらしいが(イフェクサーの副作用で医原性に躁転するとかいうこともある)、先生の今のところの見方では私はそれには当てはまらないらしい。長い付き合いになりそうである。休学ももう半年する機運が高まってきている。


ここ数ヶ月は躁だが、そのおかげもあって労働が捗る。症状がひどいと浪費も捗るので困っているけど。

2月末の英仏旅行の最中、冬からの鬱期にまともに労働をしなかったくせに旅行なんぞしていてあまりにも金がなくてまずいぞ、と思って求人を探した。コロナ禍に入ったり卒論をやる期間になったりでどの店も辞めてしまいはしたものの経験は割としっかりあるし、そりゃ教育系に比べたら金払いは良い方ではないけど楽しい仕事だと思っているので、飲食店の求人を探した。勤続期間はどの店も1年未満だったけれど、1日10時間以上のシフトで5〜10連勤なんてザラにやっていたから、総勤務時間はかなりのものだったと思う。大3の夏なんて飲食しかやらずに月15万以上とか稼いでいた。その頃に六本木の大きめのレストランで深夜も含めて働いたのは飲食業で働くためにも、色んな意味での人間的成長のためにもかなりいい経験だったと思うから、キツかったけどやってよかったと思っている。

3月から働き出した店はバーとして飲食店を名乗っているが、結論から言うと実際には営業形態的にも提供スタイル的にもほとんどスナックだった。元々系列飲食店の合同募集の求人を見て、本店だというイタリアンでホールスタッフとして働かせてもらおうと思って応募したのだが、面接に行ってみると採用担当の女性が「わたし元ホステスなんだけど、このバーを今私1人でやっていて、手伝ってくれる女の子が欲しくて…飲食やったことあるならきっと楽だと思うから入ってくれないかな?」と言う。業務的にはカウンターでお酒を作りつつ(シェイカーとかは使わない)接客をするくらいで、ママがプロで歌をやっていた人だからカラオケも入れているから、音楽が好きな子ならめっちゃありがたいというので、とりあえずその日初めて出勤してみたらまあ確かに楽ではあったし二つ返事で働くことにした。何よりママがとてもいい人だった。

実際その店での勤務は楽しいし、土地柄とママの人脈ゆえ常連は良識のある人ばかりでかなりありがたい。しかしもらっているのは飲食の時給であって水商売の時給ではない。私ともうまの合うことが分かっていてここまでの3〜4ヶ月である程度関係性の形成された常連とは喋っていても全く苦にならないのでいいと思っている(そういう人たちには私は水商売じゃないと思って入ったとはっきり言っているし、そういうのとは違うベクトルで話を楽しんでくれている、まあ話して楽しんでもらっているという時点で水商売が成立してしまっているかもしれないが)。だが酔っ払ったサラリーマンがどんと団体で来たときスナック的接客を求めてきたり絡んできたりするとそれにニコニコ喋って対応してあげる気は起きなくて、飲食ホールで身に付けた私なりには無難なあしらい方をしてしまうと、ママに「酔っ払いには優しくしてあげて😅」と注意される。正直それに対応しようと思えばできることはできるけど、時給を思い出してその気は失せる。ママ曰く「お客様は大人であなたに気を遣って笑わせようとしてるのよ」というのだが、別に飲食ホールスタッフは客に楽しませてもらうものではない。むしろガールズバーじゃないと分かって来ているはずの所でスタッフがニコリともせずグラスを洗っているからといって絡んでくるのは果たして「大人」なのか。ママはお客様が怒ったりしたらあなたも傷つくと思うからというが、私は「そういう所じゃないよ」と毅然として言いたいしもしそれで怒るんならしっかり喧嘩買ってやろうというスタンスである。

「お客様と一緒に楽しもう!」みたいな求人広告は確かにたまにあるが、あくまで飲食では偶然お客様との話が盛り上がってこちらも楽しませてもらってしまった、みたいなことが発生するのであって(実際飲食店で働いていてそういう時は楽しいと思うし、それでチップをくれるお客様もいる。そういう時はしっかり頂戴する)、水商売の、スタッフもその場に参加する前提でお客様を楽しませる、というのとは前提が異なる。常に笑顔で、とは飲食でも当然言われるが、やっぱりちょっとわけが違うと思う。ママは「あくまでバイトの子には水商売的なことは求めないから」と言っておきながら、「そういう所じゃない」と客には言わないのである。自分のお客様を大事にしたいのだろうから、だったらちゃんと「スナック」として営業して人を雇えばいいと思う。

そんなことを考え出した6月頃に、近くでバーをやっているという人が顔を出しに店にやって来た。聞けばちゃんとしたバーテンダーが美味しいお酒を出す本格的なバーな上に、深夜であろうと美味しいご飯を食べてもらうというのがモットーの飲食店だと言う。実際営業後にママと飲みに行ってみて個人的に気に入ったので、別の教育バイトの遅めスタートの飲み会の会場として使わせてもらうことにした。するとその打ち合わせにまたこちらの店にわざわざやって来てくれた店主が「ありがたいことに繁盛してて、人手が足りなくて求人かける予定なんよ」とか話すので私は冗談まじりに「お、常に仕事探してるんでよければいつでも使ってくださいませ」と返した。その時は本当に冗談半分だったが、飲食である程度働いていたことや経済的に困っているときも多いことを改めて話したら、店主含め3人のスタッフの手が回っていない部分の雑務やキッチンスタッフが早く上がるための片付け手伝いなどをやって欲しいということで、私の都合で暇なときに行って手伝うことがあれば手伝ってその分だけ給料をもらうというような約束になった。店主は私の使い方を「手伝ってくれる地域の妹みたいな感じ」と表現していた。こんなラフな感じだが給金はちゃんと計算してくれているのでありがたい。

なんだかんだでそこを手伝い始めて数週間が経ち、できる業務もだいぶ増えたので、かなりこちらメインで出るようになってしまった。笑うのがキツいときもキッチンに引っ込んで仕込みをするかカウンター内でバーテンダーの背後で壁に向かって黙々と洗い物をしていればいいのでかなりありがたい。しかもあんまり仕事がない日でも自分の作業しに来ていいよとかいうので本当にありがたい。Wi-Fi電源完備、働かない日でもご飯出してくれるとかいう、深夜作業しがちな人間としては超絶ありがたい居場所である。知り合いにも話すと結構みんな来てくれて、割とみんな気に入ってくれて嬉しい。働く前にちゃんと客として来たことがある店って今まではなかったけど、客として気に入ってから働き出したから、他人にも勧めやすい。

日中から夜は先生として頭を使い、深夜はほぼ脳死で皿洗いをしながら他のスタッフと喋ったりするという生活は正直体力的にはしんどいが悪くはない。大箱のレストランで働いていた時に比べれば労働という感じは薄いのもあってむしろ息抜きになっている。元気なうちに経済的にもタスク的にも鬱期の負債を解消してあわよくば次に備えておきたいものである。

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