恋愛という幻想と呪い

【ジェンダーに関するnote】
ジェンダーフリーについて思う事恋愛という幻想と呪いフェミニズムとミサンドリー愛の限界

山田玲司のヤングサンデーのこの回は本当に面白かった。

ここでも語られたように庵野秀明も安野モヨコも時代に背負わされたジェンダーの枠というものと戦っていたのかもしれないと思った。

最近、このジェンダー論について考える事が多かったので、ちょっとまとめてみます。長いです。ざっくり言うと「男はつらいよ現代版」がエヴァで「女もつらいよ現代版」がハッピーマニアなのかな。

若い世代の恋愛観

私はアニメが好きで今でも毎シーズンで複数本のアニメを見るようにしています。(今期はメガロボクス2、ましろのおと、ダイナゼノン、ひげひろ、スーパーカブ)

いわゆる萌えアニメもいい歳こいて大好きなんですけど、なんていうのかな、もうこの可愛いキャラの中に「本当の女性は入っていない」んだと感じるのです。でもZ世代と呼ばれる人たちには、そもそも「恋愛」の対象は人間に向いてないという人が何割か出てきてるのではないだろうか?

そう、「萌え」から始まる「推し」の概念です。

うまく説明出来ないのだけれど、私たちの世代の頃はもうすこし「女性」と「女性キャラ」のリンクする部分があったと思う。私はダーティペアのケイが好きだったけど、やはりその「好き」は実際の人間の女性に通じている部分があったような気がする。
だからそういった女性キャラを見て、「こういう女性が良い」という意識を持っていた。つまり自分勝手な「女性像」を作り上げていたんだけれど、こういう意識が消えつつあるのかな?と思うのです。

女性にとってはどうなのか?

女性にとっても「理想の男性像」はあったと思う。いや、それよりもっとリアルな数値としてありますよね。だって今だって「年収」が一番の要素なんだから。(これこそジェンダー不平等だと思うけど、フェミの人は無視するよね。)

でも現実的に見て日本の若い世代は30年前の同じ年齢の人よりも年収が低い。物価だって多少はあがってるのに、年収が低くなっているという異常事態がこの国では起きている。そう、女性の持つ「男性像」を叶える人数は劇的に減っているのです。

どれだけ綺麗になろうと、素敵になろうと日本においてはほとんどの女性に
「王子は来てくれません」
これが現実です。だって王子いないんだから。

オタクから始まるジェンダーフリー

現実世界で理想を捨ててバーチャル世界に希望を求めたオタクたちは、基本的にはスクールカーストの陽キャヒエラルキー外の人達だった。それこそ30年前だったら人権も無いような扱いだった。

しかしオタクの好んだ新たなバーチャルの世界やアニメの世界は多岐に分散し拡大し、それこそ一般層まで浸透するようになった。鬼滅の刃の興行収入なんて世界で500億ですよ。

私たち旧世代の「推し」はアイドルだったり歌手だったりしても、あくまで人間が対象だったと思う。でも今の若い世代を見てみれば、何割かの男女が2次元のキャラを推している。

私が感じるのは、そういった若い世代の人たちは男女の役割という枠にとらわれていない人が多いように見えるのです。

私のtwitterのフォロワーさんはアニメ好きが多いのだけれど、当然女性は腐女子な人が多いです。最近数人が結婚しました。twitterで数年来の付き合いなんですが、あまり「女性らしくありたい」というツイートよりは、「自分が好きなものはこれ、ここに萌える!」みたいなツイートが多かった。

割と普通に「こんなオタクな私、腐女子な私と結婚してくれた」みたいな事を言っていて、なんだかすごいジェネレーションギャップを感じました。
もともと社会人として働いているし、好きなオタク活動に金を使っていて、自分の幸せ、自分らしさを追求した結果としてオタクになっている子だったんだけど、「すでに自分らしく生きていた」子たちだったんだよね。
そして、そういった自分を認めてくれるパートナーを見つけた、と。これが新しい世代の結婚観か、、、、と思いました。

ジェンダー枠の縛りがゆるいパートナー

オタクは「人間に対してジェンダーの役割を押し付けない」という点があるのかもしれない。だって、その理想はすでに2次元にあるから。

いくつか例を挙げると、、、、

この”れのれの”さんは、BL大好きで、自身もBL本を書いてるオタ充な婦女子のお方。考え方も大好きです。

ぜひ作品も見てほしいんですけど、旦那のシムちゃんに対して「男らしくあって欲しい」みたいな事は全く言いませんし、自分に対しても「女性らしくなければならない」みたいな事も言わないです。常に、「自分の責任の範囲で自分らしく」みたいな感じです。この雰囲気なんですよね。

あとは、、、、

この二人の感じもめっちゃほほえましいんですよ。奥さんはあのエヴァ芸人の桜 稲垣早希ちゃん。私も「ロケみつ」という番組から早希ちゃんファンだったんだけど、幸せそうに暮らしている二人を見てるだけでホッコリします。

「”女性らしさ”に縛られない」は「女性である事を捨てる」ではなくて、早希ちゃんは昔と変わらず可愛いです。芸人なんて好きじゃなきゃ続かないような仕事だろうけど、それを全肯定してて自然体な関係性がめっちゃいいです。

カップルyoutuber

カップルyoutuberというジャンルもある程度確立されつつあるようですけど、そこには破局してしまう事もあるようですね。

この"ふくれな"さんですが本も出しています。もともと美容系Youtuberとして活躍していたようです。

この方の事を否定するわけではないけど、コンプレックスから来る夢を追いかけても、本当の幸せにはつながらないのではないだろうかと思ってしまうのです。


私の好きなカップル(?)Youtuberはこの人。

このヤマダちゃんの無邪気さと、紅蓮丸のアホさが絶妙です。ヤマダちゃんが絶妙にZ世代感あるんです。山田玲司先生も言っていたんですけど、「BIGの呪い」から解放されていて、無理な上昇志向を押し付けられていない。

コンプレックスからの解放

なぜ夢から呪いが生まれてしまうのか?

完全な持論ですけど「不足」から生まれるのが「夢」です。これは時代によって変わります。三種の神器(白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫)だって3C(カラーテレビ (Color television)・クーラー (Cooler)・自動車 (Car) )だって、トヨタクラウンだってそれは夢だった。そしてそれは持てる者と持たざる者との分断を生みます。持たざる者はそれを「コンプレックス」にしてしまうし、それを解決するのは戦後からバブル期までは「お金」でしかなかった。「お金」を効率的に生み出すのは「役割分担」です。昔からの家父長制の中で家政婦兼性欲処理の役割を押し付けられたのが「女性」でした。

それが敗戦からバブルの中で女性たちの逆襲が始まったのかもしれない。Japan as No.1の時代を経て経済的に余裕の出来た日本人は、違うステイタスを求め始めた。それがおしゃれな東京での優雅な暮らしであり、情熱的な恋愛への幻想を生み出した。

それの呪いで生まれたのが「ハッピーマニア」であり、さらに現代においては「後ハッピーマニア」で書かれているのだと思う。

草食男子

下記の文章は10年以上前に後輩の女の子と「草食男子」についてブログで交わした言葉です。正直言って、自分はその状況をよく理解していなかったけど彼女はすごく冷静に世の中を見ていた。

草食ってデリケート過ぎて、男としての魅力が感じないんだけど…。
草食男子は、団塊の世代の会社一辺倒の「夫」のお陰で、「妻」として生きることに失望した女(男女雇用均等法施行以前に社会に出た年代だから、「会社人」として生きる望みも絶たれている)が、「母」としてしか自己存在の確立ができなかったから、手間を掛け続け、また物質的に満たし続けて、「母」というステイタスにしがみつく自分を輝かせるために造り出した生き物ですよ。
だから、「母」から見て嫌だった、「夫」のガツガツした面を、育たないうちに「母」が殺したんです。
草食男子は、社会や景気動向云々のみならず、家庭で造られた部分も大きいよ。

とても景気の悪い時代だったし、私も彼女も氷河期世代で稼ぐことが出来ず世の中を恨んでいたので、「草食男子=あまり良くないもの」として会話していましたけど、今になってみるとこの流れが始まりだったのかもしれないと思うのです。

「コンプレックス」と「夢(幻想)」と「役割(男女とか父母とか大人とか)」が全部アップデート(初期化かな?)されたのがZ世代なのではないだろうか?

特にコンプレックスは戦後からの敗戦コンプ、貧乏コンプ、学歴コンプ、田舎コンプ、童貞コンプ、オタクコンプとアップデートした結果でシン・エヴァとともに消えていったのかもしれません。(当時は理解出来なかったけど、TV版のエヴァの「おめでとう」「僕はここにいていいんだ」は、きっと正解だったんだ)
上級国民にも憧れず、中級国民の座席の取り合いにも参加しない。恋愛よりも仲良くある事を大事にする。

もう新しい世代がそこまで来ているんだなと感じる今日この頃です。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?