Z世代

Z世代についてよく考えます。
下のリンクではZ世代の方がリアルな感覚で書いてくれています。

いわゆるGeneration Zは基本的にはアメリカの世代感覚で生まれたもので

Z世代は1996年~2015年までに生まれてきた世代
一つ前がY世代やミレニアル世代で1980年~1995年生まれ

Y世代が「デジタルネイティブ」Z世代は「ソーシャル・ネイティブ」と呼ぶ場合もあります。

日本の世代感覚で見ると

1996~2003がZ世代。2004年以降が∀(ターンA、もしくは新A世代)世代という解釈をどこかで読んで非常にしっくりきました。2003までがネットネイティブで、2004以降が真のソーシャルネイティブとい解釈です。

私は2003年生まれまでが、ギリギリ不足を知っている時代ではないかと思うのです。

2003年までどんどんネットも発達して、携帯も普及して、さらに新しいスマホが出てきて、それにみんなが熱中し始めた。SNSも普及しつつあるけど、どこか繋がりきれていない、そんな実感を持っている最後が2004年のような気がします。

そういった新しいものや価値に対して、まだ熱中していた世代。それが2004年で明確に分かれます。それ以降の子は、親の使い古したスマホを自由に使い、好きなYoutuberを追いかけ、無限のコンテンツの中で成長していた世代です。

だからコンテンツの歴史も追いかけない、そもそも今あるコンテンツでさえ見切れないほどあふれている。無料の動画に無料のゲーム。

古い世代のオタクはコンテンツの絶対量が少なすぎて、深く掘っていくしかなかった。だから知識マウント競争になったのだけれど、新しい世代は無限で多岐にわたるコンテンツを前に、そんな競争には参加しない。

2004年までの流れ

毎度ご紹介しますけど、山田玲司先生の解釈がこちら。
90年以降は、神話の崩壊(バブル崩壊、オウム、阪神)と希望の崩壊(リーマンショック)が起きて、東北大震災と原発のパニックからプラグマティズムへの流れになっていきます。

この流れで徐々に再生するのであれば、それはそれで良い事だなと思います。

「信念がない」という特徴は「社会的役割」からの「勝手に課せられた使命感」をインストールされてないという意味でもあるわけで、メインコミュニティは小さくたこつぼ主義でも、一歩踏み出せばネットで簡単に世界につながれるので希望もありますし(自分らの世代はそのハードルが高かった)。

どの世代でもそうなんですけど、上の世代は下の世代を認めようとしません。だからZ世代もそういったものに直面するんだろうけど、Z世代の為に老害を黙らせられるのは団塊Jr.(ギリ恩恵受けた世代)では説得力がないので、氷河期以降(恩恵受けてない世代)の役目でしょうか。

簡単に言えば、「氷河期世代は社会的に恩恵は受けてないけど、俺らも諦めるから、お前らは黙って死んでいってくれ」と引導を渡す事になると思います。まず間違いなく社会保障と年金に関して起きると思います。今、私の父は払った額では考えられないくらいの保証を受けています。こんなもの続くわけないって思います。その分かれ目が氷河期なんでしょう。

代表する作品

玲司先生の動画では、世代を理解するための作品が挙げられていました。

進撃の巨人

これはほんと氷河期っぽい作品ですね。世の中の真理もわからず、偉い人らは一番奥の壁に住んで、戦えば仲間も死んでいく。戦っていた相手は、実はこの世界の基盤を作っていた巨人だった、という世界観。

けものフレンズ

もう無理に社会的につながらなくていい、それぞれの世界があっていい、やさしい世界観。これこそゆとり世代の結論で、家でネットしてひきこもり、魂を守った世界観なのかもしれません。

いったんは社会から避難して、ネットを通じて自分の居場所を見つける事も可能になった世代といえるかもしれません。そこに、新たな女神もいますよね、そう、、、

初音ミク

最初は単なる発声オモチャだったのが、バーチャルの世界に「メルト」で萌え、「ハジメテノオト」で人格、「ワールドイズマイン」でツンデレを生み出す事に成功しました。その流れで米津も生まれてきたわけですが、2003年生まれまでは、まだその誕生を見て追いかけていたんです。

それが完全に飽和に達したのが2004年。「一つのジャンルでさえ追いかけるの無理」ってなったのがこの年です。

決定的な特徴

2004年で分かれる決定的な特徴は、「外に出なくても友達と遊べる」ではないでしょうか?うちの次男は2005年生まれですが、友達と遊ぶのはオンライン、クラウド上という事が非常に多いです。もちろん、すべての子供がその環境を持っているわけではないけれど、wifiさえあれば誰かと遊べるし、会話もできます。

小学校の5年生くらいの時に、LINEでグループ通話をつなぎっぱなしで会話しながら、それぞれが家で違うゲームしているのを見て、隔世の感とはこういう事を言うんだなと思ったのです。

そこには何の縛りもない、一緒にいて居心地の良い友人関係がありました。正直な話、親としてこれをどのように思えばいいのか答えが出てきません。「外で遊びなさい」っていうのもおかしいといえばおかしい。昔は家でゲームしている時は「友達と一緒にいない」という意味だったので「外で遊びなさい」は、別の意味があった。それをこの世代に言うと、、、、、

「外って何?なんで外なの?」

と、返されます。そうなんだよな~、仲の良い友達と楽しく遊んでるんだから別にいいんだよな~、、、、、
古い価値観の頭では「(なんとなく悪いような気がするから)外で遊びなさい」という結論になっちゃうんです。

親として今も答えが出ないままです、、、、

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