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一日一善ならぬ一日一許し

先日、久しぶりに娘と会った。
しかも、ちょうど運転免許の試験を受けに行くとのことで、最後の追い込み暗記してた

「あぁぁぁ、緊張するー。
神様、どうか合格できますように…」
と祈っていた

娘よ、今までそんなふうに言っている人に対して
「神様が試験を受けるわけじゃなくて自分が試験を受けるんだから、自分が頑張った分の結果がわかるだけやん。だから、祈っても祈らんでも同じでしょ」

と、なかなか冷めたことを言っていたから、今日はどうしてそういうことを言っているのか聴いたら
「頼れるものには何でも頼っとかな!
だって合格したいもん」
だって。

試験を受けるのは自分だけど、車の免許を取るために勉強も行動も何もせずにただ祈っていても試験に受かるわけではない。
でも、今できることをやり切った先の、自分ではどうしようもないところは祈り、助けてもらってもいいよねってことか…

なんて思うと同時に、娘の話を聴いて、
私なら、
「以前、人に言ったり思ったことと、今、自分がやっている・やろうとしていることや、言うことが違っていたり変わっているのはダメなこと」
と、自然に自分にダメ出しをしている自分を知った。

だが娘はあっけらかんと言う
「人が"神様助けてください"って言っていたら、やっぱり
"神頼みしちゃって。自分で頑張るものでしょ"
って言うよ。
でも頼れるときは頼りたいんだから、祈るでしょ。」

ごもっとも…

私は、
人に言ったことと、自分がすることに違いがあったとしても、以前と変わったとしても、そんな自分を許そう
と思いました

最近思ってた
許していないこと
許せないことを
一日一つでも許していくと
自分自身がホッとしてリラックスしていくだろうなぁ…なんて。
だから、一日一善のように
自分に一日一許しをしていこうかな、と。

自分を許すことは自分を癒すこと
それって、結局、一善になっているよね〜
…なんて、
こじつけのようだけど、思ったのでした

今日の祈り

今日どんな私を許すのか教えてください