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本屋巡りと散歩とリラックス

元々、本屋が好き
ということ最近思い出した

本の紙のにおい
カバーのデザインを絵画のように鑑賞
単行本のハードカバーの手触り
文庫本の紙の薄さ
文字のフォントにうっとり
そもそも、本がズラーーーーっと棚に並んでいるのをみるだけでも何かうっとりする

ディズニー映画の美女と野獣に出てくる
野獣のお城の中にある書斎なんて萌える

本屋さんではお目当ての本を探さなくても、ただ、ぶらぶらと本屋さんの中を歩くのことも好きだったのに
「そんな何の目的もなく時間を過ごすのは無駄なこと」
と、大人になってからはダメなことにしてしまっていたけど、本当は目的があった

ただただ、リラックスしてゆったり
「あぁ、好きだ〜」
という時間を過ごしている
という目的

自分の好きがたくさんある時間を過ごすことに無駄もダメもなくないか?と最近は思って、何かの折に本屋を見つけては本屋さんの中をあてもなく歩く

最近は、本のタイトルや帯に書いてある言葉を見ていたら
"自分が表現したかった気持ちをこんな言い回しで書くとわかりやすいんだ"
という発見があり、今までの楽しみ方にプラスして新たなお楽しみが増えた

そして最近は、本屋巡りにプラスして、お散歩も入ってきた

でも、ただ歩く…というよりも、
「あのお店、いきたかったんだよな〜」
とか、
「そういえば、あの辺りはどうなっていたっけ?」
と、ふと気になるところを歩いて巡るっていうのが私の散歩

先日、久々にお散歩に行ったらやっぱり楽しかったなぁ

お目当てのお店に行き、人に出会い、美味しいものを買い、ぽかぽか陽気に涼しい風

ここ最近、室内で過ごすことが多かったから、自分の中でバランスが悪かったんだなぁとも思った

そして最近知った言葉で印象深かったのは
"リラックス状態とは自分自身をジャッジしていない状態のこと"

ジャッジというのは、
「大人なのにこんなことしたらダメよ」
とか
「こんなことして良いのかな?」
と誰からも言われていないのに、自分で自分に制限をかけていること

私の場合は、
「無駄なことをするのはダメ」
と思うときは自分にジャッジしているとき
そして私が無駄だとしていることって、
「何かしらの生産性や結果や成果を生み出していないこと」
をよく"無駄なこと"としている

時と場合によっては、生産性や結果や成果を生み出すことが大事なときもあるけど、それは四六時中である必要はない。
なのに、何故か常に目に見える成果を出さないといけないと思い込んでいる私は何か苦しいよね

"リラックス状態が増えていく"
ということは、イコール
"自分で自分をジャッジすることが減っていく"
ということなんだと思うと、意識してリラックス状態を自分自身に増やしていきたいなと思ったのでした