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「親切」についての考察

2024/5/22
今朝、コンビニでコーヒーを買ったときのこと
レジで会計を済ませると、後ろから手押し車(?)に買い物かごをのせて
おばあちゃんがゆっくりやってきていた。
私は、「かご、上に置きますね。」と言って手押し車に乗っていたかごをレジの台まで移動させた。
行動してから考える。
もっときちんとおばあちゃんの返事聞いてから動くべきだったかな?
かご触られて嫌だったかな???
親切心というより、”合理的に物事をこなしたい。”という気持ちが働きやすい私は、その気持ち優先で動きがちです。
おばあちゃんがやるよりも、カウンターの中から定員さんが出てきてやるよりも、私がやったら一番スムーズ!って思ったらもう動いている。
結果みんなよし!って思う。でも色んな見方、考え方があるよな。

その時にある記憶がフラッシュバックしてきました。。。

太一(息子)の小学校の卒業式での場面です。
離婚した太一の父親も一緒に3人で出席しました。
最後に親も生徒も先生も全員の集合写真を撮ることになった。
ランダムに並んだのですが、偶然太一の近くに私と元夫も並んだ。
私は太一の隣に並んでいた同級生の女の子の前髪が乱れていたのが気になった。おせっかいだとは思いつつ一生の記念の写真だし!と、他人ながら、
女の子に一言声かけて、前髪を整えてあげました。
それを、元夫に指摘されたのです。
「何やってんだよ。このご時世(コロナ渦でした。)勝手に人の子触ったりしたら親がなんて思うか。。」と。とても批判的に。

とっても心がざわついた。とっても違和感を感じた。
ちょっと泣きそうになった。
そんな世界。君が見ているその世界を私は、賛成できない。って感じた。
その時のことを思い出しました。でもそれも正義なんだよな。
多分こういう価値観が両極端な夫婦だったんだよな。って今になって思います。ちなみに、離婚後は、しかるべき距離感をもって、とても良好な関係を築いています。

親切・おせっかい・余計なお世話・迷惑etc。。。
良かれと思ってやったことが相手にとって、第三者から見て、どう捉えられるか、そんなのわかんないし、それを考えていたら、手も足も出せなくなるよ。人と人との、コミュニケーションがどんどんなくなっていくよ。

だから、
自分の経験、記憶、からくる直観で、”してあげたい”って気持ちが湧いた瞬間にそれを汲み取って行動したい。頭が色々考えてごちゃごちゃ言ってくる前に!それが自分のできる最善。その私の気持ちを受けて相手や第三者がどう思うかはその人たちの問題!
私は私のできる最善を提供して人と向き合っていきたいな。そこで生まれるコミュニケーションを楽しんでいきたいなって思ったのでした。
より自分の本心、自分のしたいことと自分の認識がいつでもつながっているために。
そんな自分で人と接していくんだと思いました。


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