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マナーはあなたをあなたの望むステージにふさわしくしてくれるアイテム。そしてマナーは押し付けたり強制したりするものではありません。

こんにちは。

きょうは改めて、マナーへの思いを綴ってみたいと思います。

私はマナーをお伝えする者の一人ですが、マナーを強制したり押し付けたり、未だマナーをご存知の無い方を心無い形で誹謗中傷されるのを見るととても悲しくなります。

マナーって、基本的に誰かに強制するものではありません。
もちろん、時と場合によって「しきたり」という面でのマナーは尊重するべきで守らないといけないこともあります。
例えば、皇室や王室といった場所にあってはそういうものがたくさんあります。
英国王室のユニークな「しきたり」としてのマナーの中には、こういうものもあります。

王/女王陛下が食事を終えたら、同席しているゲストの食器も否応なく下げられて食事が終了する。
これは映画『ヴィクトリア女王 最後の秘密』の冒頭でも描かれており、その様子はちょっと滑稽でもあります。

でも場所が王室ですからね。
いわゆる国際基準のマナー「プロトコール・マナー」と少し異なり、独特のしきたりや作法などもあるのです。
それに映画を拝見していると「あぁでもしなければ延々と続く晩餐会を早く終えることができなかったのだな。王位に就くのも大変...」という感想になります。

こうした独特のしきたりがある場合は「郷に入ったら郷に従え」でこれらのルールを遵守していただく必要がありますが、そうでない場合はマナーを「絶対従うべきルール」と捉えて闇雲に杓子定規にお相手に押し付けるとマナーの本質からずれてしまう場合があります。

マナーはそもそも非言語のコミュニケーションツールとして、お互いがお互いへの敬意や愛を表現するために生まれました。
たくさんあるマナーの決まり事のほとんどが愛から発展しています。

お食事中にはお相手にナイフを向けない...これはハサミや包丁と同じで刃先をお相手に向けることは敵意を向けているのと同じになりますし、お食事中に手をテーブルの上に置いておくのも「テーブルクロスの下で何をしているか分からない」という不安をお相手に与えないという理由があります。乾杯のときにむやみにグラスをぶつけ合わないのは、繊細なグラスに衝撃を与えて破損させないようにという、物を大切にする配慮からです。

とはいえ、それぞれが独自の表現をしていては場合によっては誤解を与えることもある。それを避けるために作法としてカタチが決まり整ってきたのです。

例えば、ひと口に「プロトコール・マナー」とはいえど、プロトコール・マナーは英国式とフランス式の両方を正式採用しているので、晩餐会などの席次はセッティングを英国式にするのかフランス式にするのかで大きく違ってきます。
それぞれで主賓が座るべき位置が違う、というのは予め知識がなくては場合によっては争いの種になってしまいかねません。
ましてやそれがプロトコール・マナーとしてマナーが今の形を取るずっと以前、まだまだ欧州が大小さまざまな王国や公国で成り立っていた時代に、「おらが国のマナー」をそれぞれが持ち出しては各国間でコミュニケーションもスムーズにはいきません。
本題に辿りつく前に「序列ではわたしの方が上なのに、なんでこの席なんだ!」と喧嘩になってしまう危険性もはらんでいます。
そこで、共通言語としておらが国ではなく、世界基準の「プロトコール・マナー」が誕生した訳です。

マナーを学んで身に付けていれば、そうした誤解に基づく不用意な争いは避けられることから教養や美徳としていわゆる上流階級では当たり前に身に付けている躾となりました。

「躾(しつけ)とは身に備わった美と書く」とは、数年前に見かけたある女子大のキャッチコピーです。

美とは見てくれの造形の美醜の話ではなく、あり方の話です。

そしてわたくしの恩師の言葉には、「美とは愛であり、愛とはその対象を大切にすること」というものがあります。

そうしてみんながマナーを実践していくと、お互いにお互いを敬いあい、愛で結ばれる、平和でしあわせな美しい世界になる、というのが本来のマナーの役割です。

ところが昨今はマナーをまだご存じない方に向かって「これこそマナーでありルールである」と上から押し付けるようにしてお相手に強要したり馬鹿にしたりしてそれが争いを生むという本末転倒な傾向も散見されます。

マナーは押しつけるものではありません。

マナーを強要したり、誰かがマナーを知らなかった時に批判したり卑下したりするというのは、すでにマナーを実践していないことと同じです。
お相手がまだご存知ではなく、知りたいと望んだ時に教えて差し上げればそれでいいのです。

とはいえ、特に国や会社を代表するような方々にはしっかり身につけておいて欲しいと思います。

マナーは文化であり教養でもあって、品格を形成する大事な要素でもあるので、トップがそうした教養を身につけていないのは非常に残念ですし、ましてやそれが国の長であったならば国民として恥ずかしいし情けないとしか言いようがありません。

だからね。

先ずはマナーというものを学んで身につけて、その上でシーンやご自身のステージ/ステイタスに合わせて実践する、しないをご自分で判断できるようになるといいと、私は思っております。

お洋服などでも「カジュアルダウン」ということばがありますよね。
フォーマルなお洋服に工夫をこらして敢えて少しカジュアルに着こなす。
シーンに合わせたファッションセンスです。

同じように、マナーも最上のものを心得ておけばお相手やシーンに合わせて在り方を変えることができます。

とはいえ、マナーをご存じなければ「ありたい自分」になることもできなくなってしまう。

特に女性の場合、美しくなりたいと思った時、最初に手をかけるのは美容面だと思います。肌のお手入れをし、メイクをする。人によってはダイエットなどボディメイクもされるでしょう。骨格メイクや骨格診断やパーソナルカラーに合わせたファッションで美しく装う、ということもされると思います。

その上で、美しい容姿を手に入れたあなたがありたいのは、どんな自分ですか?

自分自身のために、そして一緒に時を過ごすお相手の為に、マナーはあります。
風貌だけ整えて品格がそのステージに合っていないとなると、これまた残念至極…となります。

そして時代に合わせてマナーも形を変えることがありますし、思いもよらなかったハプニングに直面することもあるでしょう。
そうした時に杓子定規にならずに対応できる考え方や判断の基準が養えるように、私の講座ではカタチだけではなく、そのカタチに至った理由や歴史的背景を説明することを大切にしています。

マナーはあなたが在りたい自分でいるためのアイテム。
どんなあなたで在りたいのか。

どうかそれを忘れずに、知っている方は実践を。
まだご存知ない方はマナーの扉を開いて新しい一歩を踏み出してみるのも良いのではないでしょうか。

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