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いわゆる「自分へのご褒美」と心咎め。

365日のうちの一日にすぎないけれど、その日はやっぱり「特別な日」にしたくなる。いい年して恥ずかしいけれど。誕生日は、自分を甘やかすのを許す日としている。私が私になにをしてあげようか、じっくり考えるのがささやかな楽しみだ。

最近、外でふと鏡に映った自分を見て、老け込んだ顔にぎょっとしたことがある。家ではきちんと化粧をしたつもりだったのに、くすみきった顔色を目にしてガーンとなった。急にメイクが気になり、思わずその場で検索した。
ところが、「ファンデーション、くすみ」なんて検索しようものなら、そりゃもう自ら罠の中に飛び込むようなもの。次の瞬間からポータルサイトやSNSなどのあらゆる隙間にコスメの広告があふれ、それらの情報にあっさり脳を占領される。私はすっかり「メイクアップ用品を一新して明るいトーンのお顔になりたい」という欲望にとらわれた。

それで、今年の「特別な日」には、デパートの化粧品売り場できちんとカウンセリングを受けてみることを思い立った。この四十数年のあいだ、自分用のデパコスなんぞ買ったことがないのだから、一度くらいいいだろう。
(一度で終わらないところが罠なんだけど)

入念に下調べをし、行く日を決めて、立ち寄るメーカーの目星をつけておいた。イブサンなんとかなどの高級ブランドは論外なので、自分のレベルに合ったところを探しておいた。

ところがデパートに向かう当日、よりによってあるドキュメンタリーの一場面を見てしまった。
どこかの国で、分類されないまま大量に放置された広大なゴミ捨て場で餌をあさる野生の動物たちの体内から、信じがたい量のプラスチックが出てくる様子だった。
ゾウのお尻からなにかがどばどばと流れ落ちる。モザイク処理がされているが、カラフルなプラスチックが大量にまざった排泄物だ。死んだ動物のお腹のなかから出てくるものも同じだった。
こういった情報はもちろん知らなかったわけではなく、ことあるごとに目にし、耳にしてきたはずだ。それでも、改めてかなりのショックを受けてしまった。

地下鉄に乗っても、映像が頭にちらつく。
ああ、プラスチックごみを減らすために、それでも普段小さな努力をしていたのに。捨てずに洗っておいた空き容器をわざわざ持っていって、化粧水やクリームを量り売りするお店で調達してきたのに。シャンプーやリンスも固形石鹸を長年使っているのに。
それなのに、新しいメイク用品を買うなんて、また新たにプラごみを生むだけではないか。それに、ファンデーションなんかがいっときのきれいさの代わりに肌に与える影響はどれほどなのか。製造の過程で動物生体実験などはなかったのか。

そんな考えが浮かんでブルーになっていると、頭の中にマンガみたいに天使と悪魔が登場するのだった。
「そんなん気にしてたら人生なんもできないっしょ。化粧品の一個や二個くらい増えたって。どうせ毎日ごみは捨ててるんだからさ」と悪魔が囁くと、「でもそんなものにわざわざ高いお金を使うなんて馬鹿げてるわ、思い直しなさい」と天使が言う。「デパート楽しみにしてたんでしょ? またくすんだ顔見てげんなりしたいわけ?」と悪魔。「ファンデーションなんて結局まやかしよ。そんなものでゴミを増やすよりも素顔を磨きなさいよ」と天使。……激しくせめぎあう声がわんわん鳴り響いていたことを、地下鉄1号線の同じ車両に乗り合わせていた人たちは誰も知らないだろう。

で、結果として、「とりあえず行ってみてから考えよう」作戦ではあっさり敗北した。コスメカウンセラーのお姉さんになされるがまま、顔に塗りたくられたいくつかの商品を手に、帰宅することになった。

一方では、いままで自分で顔に施していたコスメのカラーが全部間違っていたことが判明して、ちゃんとした化粧品はこんなにも違うのか!と満足する気持ち。もう一方では、いうまでもなく、忸怩たる罪悪感。なにやってるんだろうわたしは。

自分に何かしてあげるとき、とくにお金を使って消費するかたちで何かするとき、けっこうな満足を得つつも、いつも何パーセントかの心咎めを振り払えない。

だったら、物欲がなくなり、無駄な消費をせず、人間以外のものたちに迷惑をかけない生き方に完全にシフトすれば、心から満足できる自分へのご褒美を与えられるのだろうか。そうかもしれない。でも「まだ」できない。「まだ」ってなんなんだ、っていつも思うけど、今はまだ、資本主義消費社会の湯舟から上がれずにいるし、その意思もあまりない。

結局落ちどころのない話なのだが、あらゆる場面で、こんなとめどなき迷いに捕まってはゆらゆら揺らぐことが多い。結果的には、選択するものは最初から決まっていて、揺らいだ末に変えることはできないのだが、こうぐちゃぐちゃと考える過程をスケッチしておきたいと思っている。

化粧品や美容面では、また、「美」の基準をめぐる揺らぎにも、日々かなり迷わされる。これもいちど向き合わってみなきゃ。