2022.7.6 中国も決してパクれない日本の技術
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日本発祥の『絶対にゆるまないネジ』。
中国でもニセモノを作れないほど高い技術を使ったそのネジは、日本社会の“ある特徴”が生み出した物でした。
それは、平均学力が高いからでも、手先が器用な人が多いからでもありません。
一体、海外には真似できない日本社会の特徴とは何なのか?
今回は、日本の高い技術として、『絶対にゆるまないネジ』をテーマに書き綴っていこうと思います。
東京スカイツリーに使われている『絶対にゆるないネジ』
高さ世界一の電波塔『スカイツリー』が2012年5月22日に開業して今年で10年目を迎えました。
高さ634mは『武蔵国』のムサシの語呂合わせというのは、聞いたことがある方もいるかと思います。
その最先端の技術の中に『和の伝統』が鏤められています。
中心に直径8mの『心柱』が建ち、地震の揺れを低減する構造は、法隆寺の五重塔などと同じです。
地表部分の断面は三角形ですが、上に行くにしたがって徐々に円形になっていくので、側面は場所によって反っている部分と膨らんでいる部分が見えます。
反りは日本刀の刀身の美しさです。
膨らみは、古い神社仏閣の柱で『起り』と呼ばれる、少し膨らませて柔らかな印象を与えるデザインです。
もう一つ、使われているのが冒頭でも紹介した『絶対に緩まないネジ』。
東大阪市の中小企業ハードロック工業株式会社の社長である若林克彦氏が、神社の鳥居で見た楔からヒントを得て、開発した商品です。
ネジは、捻じ込まれたボルトが元に戻ろうとする力で、必ず緩むものです。
そのため、定期的に点検し、“増し締め”をしなければなりません。
高い鉄塔での増し締めは危険ですが、それを怠るとネジが緩んで倒壊の危険を招きます。
そんな場所では、『絶対にゆるまないネジ』は貴重です。
『絶対にゆるまないネジ』は、瀬戸大橋や新幹線、原子力発電所などで広く使われている日本の誇る技術です。
ハードロック工業は、東大阪にある従業員88名(2022年6月現在)の典型的な中小企業。
ですが、ネジという極めて成熟度の高い業界で、しかも100%国内生産を貫いています。
通常なら、こういう企業は安価な中国製品に圧倒されて廃業するか、あるいは生産を中国に移すしかありません。
いずれにせよ、人件費の高い国内生産は維持できません。
しかしハードロック工業のネジは、他社が真似できないので価格競争とは無縁です。
1974(昭和49)年の創業以来、一度も赤字を出したことがありません。
この『絶対にゆるまないネジ』がどのように誕生したのか、その軌跡を辿ってみたいと思います。
アイデアは人を幸せにする
アイデアは人を幸せにするというのが、若林氏が10歳の頃の体験から学んだことでした。
大東亜戦争の末期、長野県の田舎に疎開していた時のこと。
大人たちが腰を屈めて、一つひとつ等間隔に種を蒔いていく重労働を見て、
「楽に種蒔きをする方法はないのか」
と考えた。
するとアイデアが閃いた。
一輪車を小型にしたような器具を作り、車輪部分に一定間隔で穴を開け、種を入れておく。
この一輪車を転がせば、等間隔で種が蒔ける。
腰を屈めることなく、楽な姿勢で効率よく種蒔きができるので、周りの大人たちの喜んだこと!
“アイデアは人を幸せにする”ことを、10歳にして若林さんは知りました。
高校生の時には、つけペンのペン先をインク壺につける際に、つけ過ぎたり、つけ足りなかったりする困り事を解決するために、いつも一定量のインクをつけられる『定量付着インク瓶』を発明して、文具メーカーに実用新案として売り込み、30万円も得ました。
インク壺のように長年使われてきたものでも、まだまだ困りごとがあります。
それを、新しいアイデアで解決する事で、人を幸せにできるのです。
独立と初受注
大学を卒業した若林氏は、技術者として大阪のバルブメーカーに就職しましたが、発明への情熱は持ち続けていました。
1960(昭和35)年、27歳の時、国際見本市でネジの緩みを防止するために、ナットの中にコイル状のバネを入れて、戻り止め効果を出している商品を見つけます。
値段を聞くと、これが高い。
直感的に、バネをコイル状ではなく板状にすれば、もっと簡単に安く作れると閃きました。
そして思います。
「この商品は必ず売れる。この商品を世に広めたい。よし、そのために会社を作ろう」
翌年、会社を辞め、この板バネを使った新製品『Uナット』を売るための新会社を、弟と友人の3人で立ち上げました。
早速、ネジ問屋に飛び込み営業を始めましたが、
「こんなもん使えるか」
と、一蹴され全く相手にされません。
そこで気がついたのは、問屋は、今売れている物しか扱わないということ。
全くの新製品なら、ネジの使い手である工場を回らなければなりません。
しかし、東大阪にたくさんある中小企業の工場を回っても、どこも相手にしてくれない状況。
どこも忙しいので、使えるかどうか分からないものを試してくれる所などないのです。
そこで作戦を切り替えました。
とあるコンベアの工場を訪問して、その片隅にUナットを一箱置いてきてしまうというもの。
その後で、電話して
「宜しければ、使って下さい」
と伝える。
「そんな勝手なことして…」
2〜3週間して、その工場を再訪すると、
「一般ナットの在庫が切れたので使ったで。伝票入れといて」
と言ってくれたのです。
勝手に置いていったものだから、お金はいらないと言ったが、相手も
「タダではモノは受けとれんわ」
と承知しません。
これが初受注でした。
若林氏は、この時ほど嬉しかったことはないと言います。
しかし、さらにUナットを使ったコンベアを出荷した先まで出向いて、問題なく使えているか確認しました。
コンベアで最も振動の激しい場所に使われていましたが、
「全くゆるみもないし、問題なく使っているよ」
と、このコンベアメーカーからは、継続的に注文が入るようになりました。
たまたま、そこがコンベア業界では大手だったので、そこで使われているということで、他のメーカーでも広く使われるようになりました。
この経験から、若林氏は、良い製品があっても売れるとは限らない。
その良さをお客さんに理解して貰う営業活動が欠かせないと気がついたのです。
困った時の神頼み
Uナットの事業は軌道に乗り、1973(昭和48)年頃には、従業員80名、月商1億3千万円ほどに成長。
しかし、ある時、
「なんや、絶対に緩まへんのと違うんか!」
と、物凄い剣幕のクレームを貰ったのです。
スチームハンマーでコンクリートパイルを打ち込む『杭打ち機』のメーカーからでした。
緩まないと思って使っていたUナットが緩んでボルトが折れ、機械が壊れてしまったというのです。
「もし人身事故にでもなったら、どないしてくれるんや!!機械の修理費用は、あんたのところでもってもらうで!」
さすがのUナットも杭打ち機のような強い衝撃が続く機械では、緩んでしまうことが分かった。
万一、これで大事故が起こったら、どうするのか。
若林氏は真剣に悩みました。
そして、決心します。
「どんなことがあっても、『絶対にゆるまないナット』を作ろう!」
しかし、今回ばかりは行き詰まってしまいます。
事業の傍ら、いろいろと考案と開発を重ねましたが、激しい振動を与えると、どうしてもネジが緩んでしまう。
「まあ、気分転換に神頼みでも」
と近くの住吉大社にお参りに行きました。
その鳥居の前で若林氏は、ふと、足を止めます。
「これや! これやがな!」
鳥居の縦の柱と横に渡した貫の繋ぎ目に楔が打ち込まれています。
同様に、ボルトとナットの間に楔を打ち込めば、強い緩み止め効果が得られます。
そこから工夫を重ねて、2個のナットを重ね、上のナットの中心をずらして捻じ込むと、下のナットの一片を強く押さえ込む構造としました。
試作して、何回着脱を繰り返しても、絶対に緩むことがないことを確認できたのです。
若林氏は飛び上がるようにして喜びました。
「これからは堂々とお客様に商品を使ってもらえる!」
クレーム、すなわち、お客様の困り事から逃げないことで、絶対にゆるまないネジ、『ハードロック』が誕生したのです。
今度はこのナットを使えって言うんやろ
しかし、共同経営者は、
「多少の緩みのクレームなんかいいじゃないですか」
と。
せっかく売れているUナットを潰しかねない新商品の販売には、乗り気ではなかったのです。
お客様に喜んで頂くことを信条とする若林氏は、その共同経営者とは一緒にやっていけないと感じ、売上の3%の特許使用料を貰うという条件だけで、会社を共同経営者に譲ってしまいます。
そして、1974(昭和49)年、若林氏はハードロック工業を設立。
しかし、やはりハードロックも、お客様に良さを理解して貰うのに時間がかかり、最初の2〜3年はなかなか売れませんでした。
ナットが二つに分かれたことで、Uナットよりも価格が2〜3割高くなって
しまうし、作業の手間も増えてしまう。
用途としては、多少のコストと手間を掛けても、ボルトが緩むことで大事故に繋がり兼ねない分野ということになります。
そこで、まず目を付けたのが鉄道です。
当時の国鉄に行って、
「車両や線路の保守点検作業が大幅に省けますよ」
と売り込みをかけましたが、当時、組合の強かった国鉄では、
「それでは人減らしになってしまう。そんな提案をするんじゃない!」
と追い返されました。
当時の国鉄は、こんな組合が幅を効かせていました。
そこで国鉄を諦め、私鉄に向かいます。
以前、Uナットの売り込みをかけた阪神電鉄は、
「今度はこのナットを使えって言うんやろ」
と試してくれました。
すると、保安要員がレールを繋ぐボルトの緩みの点検と増し締めをする回数が大幅に減り、安全性も向上すると分かって、正式に採用が決まったのです。
他の私鉄や民営化後のJRも追随して、受注量が急増しました。
さらに新幹線1編成には2万個以上のナットが使われていると知って、新幹線車両設計の部署に、いつものように商品を置いていくアプローチで売り込みをかけました。
しばらくすると、鉄道総合研究所での厳しい試験の結果、ハードロックナットがダントツの性能を発揮したとして採用が決まりました。
新幹線は、金属疲労の関係で100万kmを走ると、ナットを全数交換します。
それだけ、安定的な売上が見込めることになりました。
そして、新幹線に採用された実績で、ハードロックのブランド力が大いに向上しました。
ネジが緩むというピンチをチャンスに変える、そして国鉄に断られたら私鉄に向かうという粘りが、ハードロックを生み、育てたのです。
うちの便所より小さいじゃないですか!
その後、ハードロックナットは、電力会社の送電線用鉄塔や電電公社(現在のNTT)の放送用鉄塔、日立製作所を経由しての原子力発電所などと、用途が広がっていきました。
電電公社での採用が決まった時、工場を見に来ると言われて、若林氏は困ります。
町工場の狭い、汚い工場を見られては、注文を断られてしまうかもしれない
と心配したからです。
なんとか、工場を見せまいと足掻きましたが、工場を見ないことには発注できないと言われて観念します。
工場に連れてくると、電電公社のリーダー格が言いました。
「えっ!これ、うちの便所より小さいじゃないですか!」
これで取引は中断だ、とがっくりしましたが、相手は続けてこう言いました。
「工場が古くて狭いのは良いんですよ。問題は生産管理や品質管理がまるでなっていないことですよ。ですから、我々が指導しますんで、まずはマニュアルを整備して、その通りに品質管理をやって下さい。」
「えっ…、教えてくれはるんですか!」
「ハードロックナットそのものは素晴らしい技術ですから、我々もぜひ採用したいんです」
また、山梨大学の澤俊行教授は、ハードロックナットと出会って興味を持ち、なぜ緩まないかを理論的に証明してくれました。
その研究成果をアメリカの学会で発表してくれたことから、国際的な認知度が高まったのです。
日本の社会では、世のため人のために頑張ってくれると、必ず、このように応援してくれる人が現れるのです。
『利他の精神』で諦めずにやっていけば、誰でも世界一になれる
国際的な認知度を高めたハードロックナットは台湾、中国、ポーランド、英国などの高速鉄道でも採用されるようになりました。
海外で有名になってくると、当然のように中国から多くの模造品が出回るようになりました。
価格は2〜3割安い。
しかし、振動試験機でテストしてみれば、すぐ緩んでしまいます。
この違いは、寸法のバラツキをミクロン(1000分の1mm)単位で押さえ込んでいることによります。
髪の毛の太さが80ミクロン程度なので、その80分の1と言えば、精度が想像できるかと思います。
若林氏が考案した特殊な工作機械によって、こんな高精度のナットの大量生産が可能になったのです。
また、毎分数百個のナットの各寸法を、これまたミクロンレベルで測定する世界最高レベルの全数検査装置も導入しています。
中国メーカーがナットの形だけ真似しても、絶対に緩まないネジは作れないのです。
ナット一筋でコツコツと37年もやっているからこそ、ここまでの商品ができたわけです。
周りの皆さんを幸せにしたいという『利他の精神』で諦めずにやっていけば、誰でも世界一になれるというのが若林さんの信念なのです。
最後までお読み頂きまして、有り難うございました。
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