見出し画像

2021.9.1 東京裁判で日本を売った男

7名のA級戦犯たちに罪を背負わせた“裏切り者”

「マッカーサー上陸まで2週間ほど時間がある。燃やせ!」
1945年8月14日、ポツダム宣言受諾の後、焼け野原となった日本各地が、再び炎と黒い灰に包まれた…。
日本軍が、太平洋戦争時のあらゆる機密文書を狂ったように燃やしていた…。
一体どういうことなのか?

画像1

実は、日本軍は迫る東京裁判に備えて、
「戦時中の都合の悪い機密文書をGHQに見られぬように」
と、証拠隠滅を図っていた。

その文書の中には、GHQにとって日本軍の戦争犯罪を意味する命令文書など、重要な記録が数多く含まれていた…。

「我々の証拠は全て燃やし切った…」
「これで東京裁判を迎えても大丈夫だ…」
燃え盛る文書を見ていた日本の軍人たちは安心しきっていた。

画像2

しかし、彼らの思いとは裏腹に、東京裁判は思わぬ形で進んでいった…。
なんと、東京裁判の検事たちが、燃やしたはずの日本軍の証拠をどういうわけか掴んでいた…。
一体、検事たちはどこから証拠を入手していたのか?
なぜ日本軍は事実を隠しきれなかったのか?

一次史料を紐解くと、日本軍に潜む一人の裏切り者の正体が分かってきた。

一次史料によって判明した日本内部の裏切り者

「なぜどこにも史料がないんだ!」

画像3

戦犯たちを裁くため、日本にやってきたアメリカの検事ジョセフ・キーナンは落胆した。
戦争犯罪の証拠となる史料が一切出てこない…。
「このままでは、日本軍を戦争犯罪として裁けないではないか…」
探しても探しても証拠史料は出てこない…。
キーナンは何日も途方に暮れていた…。

そんなある時、一人の日本軍人がキーナンの許を訪ねてきた…。
実はこの男、戦時中に中国大陸において様々な謀略に関与していた人物であり、連合軍の定めた基準から見れば、明らかに戦犯であった。
「証拠史料を燃やしたとはいえ、いつ自分の犯罪が明るみに出てもおかしくはない…」
「もし誰かが自分を裏切り、密告してしまったら、自分は罪に問われてしまう…」
そう思ったこの男は、自分が戦犯になることを極度に恐れ、キーナンに取引を持ち掛けた。
「機密文書が見つからず、お困りでしょうか?もし私で良ければ、日本の軍人を裁くための証拠を全てお教えします。その代わり私を戦犯にしないでもらえませんか?」

日本軍に史料を燃やされ、困り果てていたキーナンは思った。
「この男に暴露してもらえば、重要な証拠が掴めるかもしれない…」

キーナンと男は密接な関係になっていった。
そして、GHQに接収されていた東京丸の内の『明治生命館』で、1946年2月18日より密会が始まり、合計31回にわたって行われた…。
その密会の中で男は、戦時中の日本軍の行動について驚愕の実態を語っていった。

裏切り者の供述・戦時中の日本軍のアヘン売買

「我々日本帝国はアヘンを海外に売ることで、大戦の戦費を稼いでいました」
男は、キーナンに驚くべき事実を密告した。

画像4

当時、世界恐慌によるデフレで、戦費調達に苦しんでいた日本…。
そんな中、日本は中国や朝鮮半島で莫大な量のアヘンを栽培…。
中国全土で売りさばき、巨額の軍資金を得ていたと暴露した…。

「それは明らかな国際法違反だな。日本はすでに麻薬売買を禁じる条約に調印している。それを破っていたということか」
キーナンは、そう言いながら心の中で、
「日本を裁く決定的な証拠が見つかった」
と喜んだ。

さらに男は密告を続ける。
「アヘンは和歌山、大阪、奈良、中国、朝鮮で栽培していました。そして、そのアヘン売買を取り仕切っていたのが、1938年に東京で設立された政府の秘密機関・興亜院です。その総裁は、日本の内閣総理大臣でした」
なんと、総理大臣までもがアヘンに関与していたと暴露…。

アヘンは純金と同じ値段で売れるため、国を挙げて戦費を稼いでいたことが男の証言で発覚した…。
もちろんアヘンのみならず、男は他の戦犯に罪をなすりつける為、彼らの様々な戦争犯罪を暴露していった…。

全てを聴いたキーナンは、
「わかった。それでは東京裁判で、それを証言してくれ」
とその男に告げた。

東條たちに罪をなすりつけた東京裁判

こうして1946年5月3日、東京裁判が始まった。
被告に対する質問内容は、事前に情報を得て周到に準備されていた。

そしてこの男も内部告発者として出廷。
検察に発言を求められると、男は東條たちの前で戦犯批判を展開した…。

東條英機には、アヘンの売買に関与していたことを突き付け、A級戦犯の一人である武藤章に対しては、
「武藤こそ、三国同盟の熱心な推進者であった」
と批判。

次々とかつての戦友たちを批判し、売っていった…。

もちろん、戦犯やその弁護人は必死になって反論したが、男の告発と合わない供述をした者は嘘を言っていると見做され、最終的には死刑に追い込まれていった…。

男は裁かれることなく、責任を7人の戦犯に押し付けることに成功したのです…。


この男がいなければ、東京裁判は成り立っていません。
彼が東京裁判を作ったのです。
この男は戦時中、中国で様々な謀略に関与していました。
例えば、上海で中国人に賄賂を渡し、日本人僧侶を襲わせ、日中関係を険悪なものにしました。
後にこれが引き金となり、日中両軍が衝突する事件に発展したのです。
さらに、この男も実はアヘン売買に関わっていたのですが、自分の保身のため、かつての仲間に罪を着せ、東京裁判から逃げたのです。

その男の正体は…

画像5

田中隆吉(たなか りゅうきち)陸軍少将。

自らの罪に何の償いもなく、かつての戦友たちに罪をなすりつけた田中の行為は、東京裁判の行く末を決め、そして戦後日本の歴史を大きく動かしてしまったのです…。

東京裁判の謎:裁かれなかった大物たち

しかし、問題はそれだけではない…。
この7人のA級戦犯に全て罪を被せ、罪を逃れた者はこの田中だけだろうか?
彼と同様に、東京裁判で正当に裁かれなかった人物は他にいなかったのだろうか?
もちろんそんなはずはない…。

戦犯たちに罪を押し付けた犯人は大勢いる…。

・「極秘文書をGHQに渡した外交官」
東京裁判後に出世した内閣総理大臣の吉田茂
・「戦時中にアヘンを密輸した財閥」
今も日本で活躍する大企業の三井物産に住友商事
・「アヘンを売り捌いた満洲の大物」
後に内閣総理大臣となった戦犯の岸信介

等々、処刑された僅か7名のA級戦犯の陰で、明らかに国際法違反の罪を犯した多くの人たちが、何の罰も受けることなく“戦後日本の中心”として活躍していった。

そして、今もその社会で我々は生きています…。


このように、近年、TVドラマや書籍で新たな真実が明るみに出てきた『東京裁判』についても、一次史料を元に一つひとつ丁寧に読み解けば、我々には知らされてこなかった東京裁判の裏側が見えてきます…。

一般的に東京裁判といえば、アメリカが敗戦国日本をただ悪者にした一方的な裁判ということが言われています…。
でも、これらの謎から分かるように、裁判の裏で何らかの取引や妥協がなされ、深くまで追求せずにうやむやにされた問題が残されているのです。
そして、その真実を見れば、裁きを受けた人物がいた一方、裁かれるべき多くの人物が罪を償うことなく野放しにされ、あろうことか日本の中枢に居座り続けてきたというのが、戦後日本の実態です…。

問題は我々がそれを知る術がなかったことです。

学校では、まるで真実を覆い隠すように、ただ日本が悪かったと教えられ、史料は日本がほとんど燃やし、東京裁判の記録はアメリカが持ち去ってしまったからです…。

そのため、日本軍によるアヘン密売の実態など、政府にとって都合の悪いことが我々国民に知らされず…。
多くの保守派の識者たちも、東京裁判を
「勝者による不当な裁き」
だと全面否定し、
「日本は正義の戦争をした」
「日本は全く悪くなかった」
という、これまた一方的に偏った『日本無罪論』も近年では広まりつつあります…。
確かに、そのような保守派の意見は日本人として誇らしく、気持ち良く感じるかもしれません。

ですが、一次史料を正しく検証することなく、感情論やある種希望のような主観で読み解いた歴史観を持つこと。
明らかに悪いことをしていたにもかかわらず、その真実を直視することなく良かった面だけを見る。
そんな歴史の見方は、とても危険ではないでしょうか。

日本の問題は戦後70年以上経ってもまだ日本人の手で、あの大戦争についての責任の検証、追及を全くできていないことです。
日本は「アメリカの一方的な復讐裁判」をそのまま受け入れて、それ以上、自分たちで真正面から向き合おうとして来なかったのです。
みんな、絞首刑になった7人のせいにして、それで終わり。
東京裁判で責任を免れた人間を暴かない限り、私たちは真実を見逃してしまうのです。

真実を知ることは、時に痛みを伴います。

しかし、過去の教訓を活かして、より良い未来を築くためにも、私たちの子供や孫など、次の世代に日本人としての誇りを受け継いでいくためにも、戦後70年以上が経った今、真実と向き合うべき時が来ているのではないでしょうか?

一次史料に基づく疑いようのない『東京裁判』の真実を知らない限り、私たち日本人にとって、本当の意味で“あの戦争”が終わったとは言えません…。

私たち日本人は、あの戦争に真正面から向き合わない限り未来永劫、前に進むことができません…。
右も左も一方的で偏った歴史を鵜呑みにするのはもうやめにして、国民一人ひとりが責任ある日本人としての気概と誇りを持って前に進んでほしい。
覆しようのない一次史料に基づく真実を知ることで、ブレない判断軸と自信を持てるようになってほしい…、そういった思いで今回は書き綴らせて頂きました。

〔編集後記①〕

1946年3月1日。
東京裁判のおよそ2ヶ月前。

一人の日本人がGHQによって逮捕されました…。

画像6

この人物の名前は、里見甫(さとみはじめ)。

新聞記者として、中国大陸で活動していた人物ですが、一体なぜGHQによって逮捕されることになってしまったのでしょうか?

それは、彼が日本軍と共に、“麻薬販売”という国際犯罪に関与していたからです…。

里見は、日本人ながら1901年に上海の学校を卒業。

その後は、ジャーナリストとして日本の軍人と交流する傍ら、抜群の中国語を駆使し、中国人の重要人物とも接点を持ちました。

それに興味を持ったのが日本の軍人たちです。

「この里見の中国における人脈と堪能な中国語は非常に使える」

そう思った日本の軍人たちは里見を呼び出し、重大な仕事を依頼したのです…。

「アヘンを売り、軍の資金調達に協力して欲しい。」

当時、『世界恐慌』によるデフレで戦費調達に苦しんでいた日本…。

そんな中、日本は中国や朝鮮半島で莫大な量のアヘンを栽培して売ることで、戦費を確保しようとしていました。

里見は、この依頼を承諾。

自身の卓越した中国語と人脈を駆使し、中国大陸でアヘンを売り捌いていったのです…。

そして里見は、いつしか“アヘン王”と呼ばれるようになりました。

後に逮捕された里見は、GHQの取調べに対して、
「ペルシャ産のアヘン販売では、1200億円もの利益を出した」
と供述しており、巨額の利益を大陸で出していたことが判明しています。

しかし、その後の1946年9月4日。

麻薬販売という国際犯罪を主導していたにも関わらず、突如、里見は釈放されました。

なぜ里見は釈放となったのか?
私はこう考えます。

アヘンで儲けて貯めていた金をアメリカに手渡すという取引があったのでしょう。
そうでなければ、里見が無罪放免とはならないでしょう。

しかし、罪を免れたのは里見だけではありませんでした。

他にもGHQと取引をすることで、一部の戦犯たちに罪を押し付け、東京裁判から逃げた者がいました…。

〔編集後記②〕

東京裁判で絞首刑となったA級戦犯7名。

当初、彼らの遺骨は遺族に届けられることなく、アメリカ兵によって持ち去られてしまいました。

「遺骨を残せば、東條らA級戦犯が神格化されて日本の再軍備に使われるのではないか?」

それを恐れたアメリカは、遺骨がお墓に入るのを何としても防ぎたかったのです。

けれども、その遺骨の扱いがあまりに非道でした…。

アメリカ兵は、持ち去る前に遺骨を粉々に破壊したのです…。

しかし、
「日本国のために戦った軍人たちの遺骨を守りたい」
という思いから、アメリカ兵の目を掻い潜り、わずかな遺骨を回収した人々がいたことをご存知でしょうか?

その遺骨はアメリカ兵に見つからぬよう、今年7月に土砂崩れが発生した静岡県熱海市の伊豆山にある興亜観音堂に隠され、占領が終わった時にようやく遺族の方に遺骨を渡すことに成功したのです…。

今回も最後までお読み頂きまして、有り難うございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?