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2019.5.19 全メディアが隠した”梶山答弁”

1988年3月26日。

拉致された疑いがあるのではないかというふうに考えております

国会の答弁に立った梶山静六国家公安委員長(自治相)は、それまでの質疑をくくるように答えました。


これを通称「梶山答弁」という。


この日、国会では10年前の僅か2ヶ月間に4組の若い男女のカップルが、突然姿を消したことについて言及されていました。


そして、梶山答弁は以下のように続きます。


昭和53年以来の一連のアベック行方不明事犯、恐らくは北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚でございます。解明が大変困難ではございますけれども、事態の重大性に鑑み、今後とも真相究明のために全力を尽くしていかなければならないと考えておりますし、本人はもちろんでございますが、ご家族の皆さん方に深いご同情を申し上げる次第であります


この答弁により、ついに発生から10年の時を経て、明確に「拉致事件」と認定されました。


これはつまり、日本人が拉致をされていたのにも関わらず、今まで政府や警察などが国として10年もの間認めなかった北朝鮮によって引き起こされた拉致事件が、初めて国会の場で取り上げられた歴史的瞬間でした。


拉致について一度も公式に言及していなかった政府、警察が初めて北朝鮮による日本人拉致疑惑の存在を認めた瞬間です。


すでに拉致が周知のこととなっている「今」の視点からは、ごく当たり前の答弁に感じられるかもしれません。


しかし「今」ではなく、1988年のことです。


北朝鮮側が日本人拉致を正式に認める10年以上も前のことです。


政府もそれまで拉致については、言ってみればゼロ回答だったのだから、一歩踏み込んだというレベルの話ではありませんでした…。


しかし、実はこの歴史的な答弁は、なぜかどの報道機関にも報じられることがなかったのです。


これらの拉致事件を政府が認めていたにも関わらず、報道しなかったことによる影響は大きく、これにより私達国民にはこの重大な人権侵害、主権侵害の国家犯罪への関心が広がることはありませんでした。


大半の国民が、拉致は事実という共通の認識を持つまでに長い年月を要し、思いもよらぬ曲折を経てしまいました。


当時、21年前に横田めぐみさん拉致疑惑を初報した記者はこう言っています。

「人により拉致事件の存在を知った時期に10〜20年もの隔たりができてしまった責任の過半は新聞、テレビなどマスメディアがこれらのほぼ全てを報じなかったことが原因と、自戒を込めて思う…」と。


このようなメディアの体質が、現在の拉致問題が解決しないことにも繋がっていることに皆さんも気づいたかと思います。


そしてその体質を作り上げた元凶こそ、今から73年前、GHQによって行われた占領政策でした。


あれから73年、占領が終わった現在の日本社会でも、このGHQによる占領政策は生きています…。


70年も昔のGHQの占領政策が気づかれないように、2019年の今でも私たちの生きる日本を形づくっているのです。


その原因を知ることで、今の日本のあらゆる問題の根本部分が何なのかを知ることに繋がってきます…


昭和から、平成、そして令和……、新しい時代を迎えた今だからこそ、その真実を知る必要もあるのではないかと思います。

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