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2019.10.7 真珠湾攻撃の真実と暗号戦

ほとんどの日本人が知らない“真珠湾攻撃”の真実

1942年12月。

アメリカのワシントンにある日本大使館に一通の電報が届いた。

内容は
「これから重大なメッセージが届くので大使館員、心して待機せよ」
との知らせだった…。
英語では「Pilot Message」と呼ぶものである。
時代は、日米の対立が激化。
米国の日本資産が凍結されている時代、
石油が日本に輸出禁止されている時代、
ヨーロッパでヒトラーが劣勢に陥りかけている時代、
そして、日中戦争が泥沼化している時代だった…。
1枚、2枚…、
暗号化された電報が送られてくる。

受け取ったのは野村大使と来栖大使。

3枚、4枚…、
ワシントンの大使館には「その」電報だけではなく様々な電報が入ってきていた。

5枚、6枚…、
重大な電報のためアメリカ人書記官には任せることができない…。

7枚、8枚…、
電報はまず暗号を解読して、それから英語に翻訳されていた…。

9枚、10枚…、
13枚目までの電報が届いた…。
ところが、最後の14枚目が来ない。
待てども待てども来ない…。
そして、大使館員は驚くべき行動に出た。

当時の状況を認識していなかったのか、それとも、圧倒的に軍の権力が強いあの時代において、野村は海軍大将だったため外務大臣をバカにしていたのか、悪感情があったのか。
14枚目が来ないため、大使館員は帰宅することにした。

翌朝、戦慄が走る…。
14枚目の電報が届いていた。内容は、

「国交断絶」

「何時何分にハル国務長官に手渡しせよ」
とまで書いてある。
その場にいた全員が文字通り戦慄した…。
冷や汗と緊張感で、生きた心地がしない…。
暗号を解読し英訳する…。
その時、すぐに持っていけば間に合った。
しかし、正式な外交文書だからと奥村一等書記官がタイプし直す。
遅い…。
この時、野村と来栖は真珠湾攻撃の時間を知らされていなかった…。

電報をハル国務長官に手渡すために電話した時、すでに真珠湾攻撃は開始されていた…。

ハルは野村を待たせた上で、受け取った時にこのように言った。

「これほど劣悪な文書は、私の外交人生の中で初めてだ!」

心の中ではどう思っていたかは分からない。
ハルはその後、国連の父と呼ばれ、1945年にノーベル平和賞を受賞する。

次の日、用意周到に準備されたスピーチでルーズベルト大統領は、90%が戦争反対だったアメリカ国民を激励した。
「Day of Infahmy(屈辱の日)」
「我々は、卑怯な日本の真珠湾攻撃を忘れてはならない!」
日本帝国を滅ぼす世界最強の国との全面戦争はかくして始まった。
今から70年以上も前に起きた、日本史上最大の事件。
言うまでもなく、その後の敗戦、マッカーサーの占領政策が現在、私たちが生きている日本社会の土台になっています。
戦後の私たちは
「戦争で日本は悪いことをした。日本は悪かった」
という教育をオギャーと生まれてから成人するまで、テレビ、ラジオ、新聞で徹底的に受けてきました。
そして、その根本にあるのが「真珠湾攻撃」です。
日本が真珠湾を攻撃したこと、そして宣戦布告が遅れたことはアメリカのルーズベルト大統領にとって、まさに「天の恵み」でした。
国民の90%が反対していた戦争に大掛かりに取り組むことができ、
「日本=悪」
というレッテルに大義名分ができたからです。

「リメンバー・パールハーバー」
の掛け声のもとに、最終的には和平したかった日本に東京大空襲をして、街を文字通り焼け野原にしました。
広島、長崎には人間の所業とは思えない原子爆弾を投下して、民間人を、女性も子供も、そして街も一瞬で消し去りました。
そしてそれは、「正義の報復」だと言われてきました。
つまり、「だまし討ちした真珠湾の卑怯な攻撃に対する報復だ」と…。
そして、戦後も「日本が悪い」というプロパガンダを世界中に広められ、中国や韓国に「賠償しろ」と言われれば金を出し、「謝れ」と言われれば謝る。
子供たちは罪悪感を埋め込まれ、「誇り」や「希望」を失っている。
集団的自衛権、尖閣諸島、中国の軍拡、教育、TV、新聞などマスコミといった問題。
これら全ての原因、日本が悪玉になった原因が「真珠湾攻撃」にあります。
ですが、我々ほとんどの日本人は真珠湾攻撃当時の状況を学校で学ばずに大人になりました。

事実、真珠湾攻撃についての機密文書は異常なまでの極秘扱いをされていました。

通常、アメリカで機密文書は30年で解かれるにもかかわらず、真珠湾関連は、60年間も極秘扱い…。
いまが終戦から70年余りですから、真珠湾関連の機密文書が公開されたのは、つい最近のことなのです。
しかも、真珠湾の資料が見つけられた時、そこには、重要書類の最高ランクだと思われていた「Top secret」ではなく、それまで見たこともない「Ultra top secret」とのスタンプが押されていました。
これほどまで、長期間かつ厳重に保管されている。
つまりは、それほど「不都合な真実」が、そこに書かれていたということじゃないでしょうか。
そして、その不都合な真実は、私たち日本人にとって、とてつもなく重要な真実であることは間違いありません。
私たちが自分たちの過去だけじゃなく、今に生きる自分自身を見る目が変わるような重要な真実です。

我々が受けてきた教育で語られなかった真珠湾攻撃の真相、そして、その時に日本国はどのような状況に置かれていたのか?
を知って、なぜ真珠湾攻撃という史上最悪の決断に至ったのか?
当時、本当はどんな事が起きていたのか?
という事を実際の機密文書から学ぶことで、皆さんの英知を少しでも変える提供ができればと思います。

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