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2023.3.23 若き自衛官の命を懸けた戦い

今明かされる、1995年の真実

1995年3月20日 地下鉄サリン事件。

世界一平和と呼ばれた日本の首都である東京で、人類史上初の民間人を狙った大規模化学テロが発生しました。

使用されたのは、あのヒトラーさえ、その凄惨さから使うことを躊躇い、ホロコーストにも使用しなかった猛毒『サリン』。

たった少量で、多くの人を死に至らしめることのできる劇薬が、密閉された狭い地下鉄の車内でばら撒かれたのです。

死者14名
被害人数6300名

皇居や国会が集中する都心での無差別化学テロに、交通インフラは崩壊、大都会東京はパニックに陥り、
「これでは、東京はもはや安全な都市などではなくなった…」

そんな絶望の空気が立ち込めていました。

しかし、人々の心配をよそに、なんと、その翌日にはサリンの撒かれた地下鉄も始発から通常通り運行。

東京には、いつもと変わらない平和な日常が戻っていたのです。
「日本ではサリンテロが起こっても、1日で復旧するというのか!?信じられない…」

これには世界中が驚愕します。
一体どうして、日本にはこんなことが可能だったのでしょう?

猛毒に汚染され、地獄への入り口と化していた地下鉄がなぜ、僅か1日のうちに復旧し、乗客を乗せて動き出すことができたのでしょうか?

その影には、都民の安全を取り戻そうと奮闘した、ある自衛官の命を懸けた戦いが隠されていました。

退館し、28年の時を経た今だから言える事実の数々…。

あの日、あの事件の現場では、一体何が起こっていたのか。
今まで知られることのなかった地下鉄サリン事件の真実を、本記事で明かしていこうと思います。


皇居を狙った化学テロ

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