![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/100970879/rectangle_large_type_2_ec559472785aaec6973100a91d127231.jpeg?width=800)
2023.3.23 若き自衛官の命を懸けた戦い
今明かされる、1995年の真実
1995年3月20日 地下鉄サリン事件。
世界一平和と呼ばれた日本の首都である東京で、人類史上初の民間人を狙った大規模化学テロが発生しました。
使用されたのは、あのヒトラーさえ、その凄惨さから使うことを躊躇い、ホロコーストにも使用しなかった猛毒『サリン』。
たった少量で、多くの人を死に至らしめることのできる劇薬が、密閉された狭い地下鉄の車内でばら撒かれたのです。
死者14名
被害人数6300名
皇居や国会が集中する都心での無差別化学テロに、交通インフラは崩壊、大都会東京はパニックに陥り、
「これでは、東京はもはや安全な都市などではなくなった…」
そんな絶望の空気が立ち込めていました。
しかし、人々の心配をよそに、なんと、その翌日にはサリンの撒かれた地下鉄も始発から通常通り運行。
東京には、いつもと変わらない平和な日常が戻っていたのです。
「日本ではサリンテロが起こっても、1日で復旧するというのか!?信じられない…」
これには世界中が驚愕します。
一体どうして、日本にはこんなことが可能だったのでしょう?
猛毒に汚染され、地獄への入り口と化していた地下鉄がなぜ、僅か1日のうちに復旧し、乗客を乗せて動き出すことができたのでしょうか?
その影には、都民の安全を取り戻そうと奮闘した、ある自衛官の命を懸けた戦いが隠されていました。
退館し、28年の時を経た今だから言える事実の数々…。
あの日、あの事件の現場では、一体何が起こっていたのか。
今まで知られることのなかった地下鉄サリン事件の真実を、本記事で明かしていこうと思います。
皇居を狙った化学テロ
ここから先は
4,958字
/
3画像
¥ 171
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?