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2020.7.17 戦後、日本政府が隠蔽した“ある組織”

「戦争に向かう日本」は誰が作ったのか?
一次史料が暴く戦前日本の闇

1945年8月14日。日本は、降伏を決めました。
そして実はもう一つ、日本政府はこの日、歴史を大きく揺るがす決断を極秘に下していました。
それは、

戦争文書の破棄

「各部隊が保有する機密文書は速やかに焼却せよ」
陸軍大臣の名の下に、全部隊に命令が下った。
「防空壕の中に書類をどんどん投げ込んで燃やせ」
空襲が終わったはずの東京で、再び、“黒い灰”が空を覆いました…。

マッカーサーが日本の土を踏むまで、わずか2週間。

政府中枢から市町村レベルに至るまで…、戦争に関係する、ありとあらゆる機密文書が燃やされました。

一般国民の知らないところで、大規模に行われた隠蔽工作。
その対象は、戦前日本を恐怖で支配し、国民を戦争へと向かわせた“ある組織”にも及んでいました。

「存在を知られないよう、すべての書類を焼却せよ」
政府の指令の下、暑い日差しの中でまる2日、山と積もった書類が空が黒くなるほど延々と焼かれ続け、“この組織”の名前は永遠に歴史から消し去られた……はずでした。

70年以上の時を超えて、失われたはずのその“組織”の資料が、近年新たに発見されました。
その場所は、東京から離れること8000km以上、太平洋を渡ったアメリカのスタンフォード大学研究施設の地下資料庫でした。

失われたはずの資料が、なぜ残っていたのか?
そしてそれは、なぜ日本ではなくアメリカにあったのか?

そこには、その“組織”の一員「矢野豊次郎」という男が関係していました。

当時、政府が突如下した証拠隠滅の命令。
しかし全ての者が命令に従ったわけではなく、資料を隠し持っていた者もいました。

「矢野豊次郎」もその1人。
“組織”の悪行の証拠隠滅を許せなかった正義感か、あるいは内部情報を渡してGHQに恩を売るためか、その理由は今では推測する事しかできませんが、彼は命令に背き、“組織”の内部資料を燃やさず持ち出していました。

そして、そんな「処分を逃れた内部資料」を集めていたのがアメリカの研究施設でした。
終戦直後、「日本が戦争に突入した原因を探る」目的で設立された研究施設の東京オフィス。
その目的から、金や食料、酒やタバコなどと引き換えに戦前日本の資料を集めていた彼らは、矢野が抱え込んでいた資料をも手に入れ、そしてアメリカの研究施設に送っていました。

しかし、場所はアメリカ。
当時の「文語体」で書かれた日本語を理解できる研究者は決して多くなかったのか、全19箱・約2万枚の矢野が持ち出した“組織”の膨大な資料は研究施設の地下に眠り続けることになりました。

それから70年以上、地下で眠り続けていたその箱が、ようやく開かれることになり、そして世界で初めて日の目を見たその資料から浮かび上がってきたのは、今や歴史から名前を消された組織:特別高等警察の想像を絶するような実態でした。

特別高等警察 ― 通称「特高

彼らの任務は、共産主義者の取り締まりでした。

社会主義国であるソ連が誕生して間もなかった当時、
「平等な社会という理想のためであれば、暴力革命も厭わない」
そんな共産主義は「危険思想」とされ、共産党員になることや共産党を手助けすることが法律で禁じられていました。

しかし、今回開かれた一次史料から明らかになったその取り締まりの実態を知り、拙生もまさか共産党員に同情することになるとは思いもしませんでした。

自白を求めて繰り返される拷問。

刑務所へ移っても続く精神攻撃。

そして不可解に延びる刑期…。

特高の取り締まりは残酷を極めていました。
にもかかわらず冤罪は日常茶飯事。

本当に共産主義者であるかどうかは関係なく、共産主義者の「疑い」さえあれば即逮捕。
「疑い」の対象はどんどん広がっていき、「戦争反対」ということも許されない日本になっていきました。
それでも冤罪が問題になることはないどころか、容疑者を拷問死させた警部たちが出世し、褒章を受け取るなど、特高はまさに権力を盾にやりたい放題を続けていたのです。

そんな特高は戦後、日本を占領したGHQの「人権指令」や「公職追放」などにより解散。
厳粛な処分を受けたかのように見えたのですが、その「処分」すら形だけのものに過ぎず、GHQに魂を売っていた元特高職員たちが甘い汁を吸っていたことまで今回の資料で明らかになりました。

戦前日本を恐怖で牛耳っていた特高。
“戦前”を語る上で欠かせないほど時代に大きな影響を与えた存在でありながら、しかしその資料は日本政府の命令により燃やされ、歴史の闇に葬り去られようとしていました。

今回、世界で初めて開いた2万枚もの特高の内部資料。
これらを300冊を超える参考書籍と共に紐解いていくことで、

・特高の内部の視点
・理想に燃えた若き共産党員の視点
・腐敗しきっていた当時の共産党幹部の視点
・当時を生きた「一般人」としての祖父母の視点
・戦後日本を牛耳ったGHQの視点etc‥、
多角的な視点から葬り去られたはずの「特高」の姿が、立体的に浮かび上がってきました。

日本政府が資料を燃やしてまで隠し通そうとした特高の罪はどのようなものだったのか?
先人が生きた“戦前日本”は本当はどんな姿だったのか…?
そして、特高の爪痕は現在にどのような形で残っているのか…?

1人でも多くの人に、当時の真実を知って頂きたいと思いますし、当時を生きた方々がだんだん少なくなっていますが、日本政府は海外への謝罪ではなく、まず先に国民へ謝罪をすべきだと拙生は考えます。

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