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2022.7.21 約2300年前に消えた縄文人の謎

日本人の成立には3種類の仮説があります。

1つは置換説で、“縄文人と弥生人が置き換わった”というもの。

第1の移住者の子孫は先住民、そして系統の異なる第2の移住者の子孫が現在の日本人です。

すなわち、先住民は完全に死に絶えて、先住民のDNAは我々には伝わっていない。

置き換わった=置換説です。

かつて世界の人類学では、人間が交代する、人種が交代するという置換説が当たり前の考え方でしたから、その流れの中で出てきた説ですが、現在は否定されています。

次に変形説です。
これは、第1の移住者の子孫が、時間的に変化して現在の日本人になっていったという説です。

この変形説は、時代的には一番新しく登場して、1970年代あるいはその前の1960年代は一世を風靡していた説です。

東京大学人類学教室を創られた長谷部言人ことんど教授、その跡を継いで主任教授を務められた鈴木尚名誉教授が支持したことで、研究界に広がりました。

実際に江戸時代~明治時代、それから現在まで更に大きく、身長がどんどん伸びており、『短頭化現象』といって、顔の形もそれなりに変わっています。

そういった発見から、縄文時代~弥生時代以降の人々は、やはり同じ人々で、
「いつの間にか顔が変わっていったのではないか?」
ということを指摘されていました。

しかし、残念ながら現在では否定され、科学の点から見ても滑稽としか言えない説となっています。

日本の人類学、自然人類学をずっとリードしてきた東京大学のお二人が支持していたということで、弟子たちも
「なんかおかしいな」
と思いながらも、それに従ったことで、当時の年代は、この説が学会全体を支配していました。

そして最後に混血説です。
これは第1の移住者の子孫に、それ以降の移住者が混血して現在の日本人となったという説です。

最も古く提唱されたのは、いわゆるお雇い外国人教師として帝国大学の医学部の内科を担当していたドイツ人のエルヴィン・フォン・ベルツによるものですが、現在では次々に縄文人のDNAが解析され、現代の日本人と比較可能になったため、科学的に証明されるようになりました。

日本人と中国や朝鮮などのアジア人、そして縄文人のDNAを比較すると、はっきりと私たちとの繋がり、そして他地域との関係が見えてきます。

彼らはいつやって来たのか?
我々には、どれくらいそのDNAが残されているのか?

骨の形などでは中々証明することが難しかった、細かく複雑な日本人の起源史が、DNAで明らかになったことで、今後はどんどん紐解かれていくことでしょう。

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