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【クリスマス再考】

2023年もあと数日となりましたね。
めちゃくちゃひさしぶりですが、普段とはまったく違う趣向の「つれづれ」を書いて今年を閉めようかなと思います(笑)

一般的に「クリスマスと呼ばれる12月25日も過ぎ去り、
次は新年を迎える準備に、日本は大忙しですね。

私が「クリスマス」について、その「真相」😆をあれこれ知り始めたのは
おそらく15年ほど前です。
そのころからだんだん、「クリスマスを祝う」ということについて
少しずつ醒めた気持ちが出てきたんですが
実はここ数年、その疑問がますます大きくなって
「メリークリスマス!」という挨拶をすることさえできない、したくない、
そんな思いが大きくなってきました。

ここらで一度、歴史の事実を確認しながら、自分の思いを整理するために
思うところのつれづれを記事に書き起こしてみようと思います。

さて、どれくらいの人がご存じか否か、
12月25日は、イエス・キリストが実際に生まれた日🎂ではないんです!
実は12月25日というのは、元はと言うと太陽の誕生を祝うローマの冬至祭の日でした。
ローマ帝国統治下で、1世紀から4世紀ごろに興隆したと考えられているミトラ教では、太陽を神として崇拝していたんですって。
太陽神信仰は世界中に見受けられますが、当時ローマ帝国で広まっていたこの太陽神崇拝者たちは、
「一年の中で、昼の長さが一番短くなる冬至の日に太陽が生まれたから、
その日からまた日照時間が長くなる」
と信じていたそうです。
「太陽が生まれ、成長して、その力が強まっていく」
と考えたんですね・・・。
ローマの支配下にあった地域の人々は、この日を「太陽の祭り」「光の祭り」として、大規模な祭りをしていたそうです。
また、ミトラ教由来ではない、ローマに土着の農耕の祭りも、このころに行われていたそう。

時の大帝国ローマ帝国は、キリストを信じる人々があまりにも勢いを増していくので敵対するよりも取り込むほうが得策と考えたのでしょう、
AD313年にキリスト教を公認します。
それ以来、土着のさまざまな宗教とキリスト教との対立を回避し、融和させることを目論んで、12月25日をキリストの降誕祭として定着させてゆきました。
そしてAD336年には、正式な国家の行事として「キリストの誕生日」が祝われました。

聖書の中でも、神様ご自身のことを「義の太陽」と、たとえを用いて表現されているところがありますね(マラキ3:20)。
ローマ帝国は、この「イエス様が光である」という聖書の主張をうまく使って(?)
「光(太陽)の復活はキリストの復活」
としたわけです・・・。

最初のころ、イエスを信じる人々にはこの日は意味のない日でした。
けれど歳月が経つうちに他でもない教会の中で、イエスご自身の出身民族であるユダヤ人が軽視されるようになり、最終的には、教会からユダヤ人が追い出されるような流れができてゆきます。
教会において、真理を守ろうとする信仰がだんだん弱くなっていくわけですね😢
そんななかで、教会の中に、本来聖書にはなかったようなさまざまな主張が現れ始めます。クリスマスもそのひとつだったわけです。
国家側の統治戦略として異教的な要素が入ってきただけでなく、教会のほうも、ローマ帝国から公認されて以来、だんだんと世俗化していったと言えるでしょう。
教会は、その勢力の拡張をはかり、地位を安定させる目的もあって、太陽神信仰の祝祭日を積極的に受け入れ始めます。
そしてとうとう、AD325年に有名な「ニケア公会議」において、
太陽神の誕生日である12月25日をイエス様の誕生日として正式に制定するに至るんです(´;ω;`)

つまり、「12月25日をキリストの降誕祭として祝う」ことは
異教的な思想や宗教に由来を持ち、政治的な意図によって決められていったってわけなんですね・・・。

クリスマスのシンボル、クリスマスツリー🎄やブッシュ・ド・ノエルなども
実は異教的な風習とミックスされたものだったりもします。

また、実際にイエスが生まれたのは12月ではなく、おそらく9月~10月ごろ
イスラエル民族が大切に祝ってきた「仮庵の祭り」のころとも言われています。
よく言われているのが
「イスラエルの羊飼いたちは、真冬は寒すぎるので羊と共に野営はしない」
ということです。
また、「ルカ福音書の、バプテスマのヨハネの懐胎にまつわる記述から、ヨハネとイエスのおおよその誕生時期を推定できる」という研究者もいるようです。

私は今年、改めてこんなことを思い巡らしたんです。

私の誕生日は4月27日なんですが、私が世を去った後、何らかの理由で身内の間で、たとえば「さおりの誕生日は6月30日」ということになり、何人かの親族が6月30日に集まって、何やらパーティーをしているとしたら・・・。

確かに、忘れ去られるよりは悪くはないです😊
でもやっぱり、ちょっとした違和感は否めません🥹
そして、誤って記憶された理由が何か異教と関係してるとしたら。
やっぱり素直に手放しでは喜べない気がするんです😅

もちろん、私たちの神様は、愛と寛容に満ちた良い神様なので、イエス様のご降誕を実際の誕生日ではない日に祝っているからと、気を悪くしたり、ましてや裁いたりはなさらないと信じます。
むしろ、たとえタイミングがはずれていても世界中でクリスマスが「キリストの誕生を記念し、祝う日」として知られ、この季節に大々的に福音を告げ知らせることができていることは、主も良しとされておられると信じたいです。このような現代の状況に水を差して、クリスマスを拒絶したり批判したりすることが私の意図ではありません。

でもに、多くのクリスチャンさえが、このような事実を知らないまま、
あまりにも無邪気に、無頓着に「Merry Chirstmas!」と喜び、その意味もあまり考えずに、プレゼントを交換したりごちそうを食べたりしているとしたら、私はやはり、何か残念な気持ちや違和感を覚えてしまうんですね。

「だからなんなの?」という質問に、私自身、まだ明確な答えを持っていません。
まだその答えを主に訊いている最中です。
ただこれを読んでくださる方々に、なんていうか、問題提起をしてみたかったのかもしれません。

このような事実を知ったうえで(ご関心があれば、ネットで検索したらいろんな情報が出てきます)あなたは来年からのクリスマスシーズン、どのように過ごしますか?
ご一緒に祈り、考えてみませんか?

トップ画には中村美枝子さんhttps://note.com/igokochijikanの素敵な写真を使用させていただきました。

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