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花束を

※生死に関する話ですので、読みたくない方はそっとページを離れてください。




昨年末、身内の不幸がありました。
私のいとこだったのですがかねてから筋肉が弱ってしまう病気を患っていて主治医から突然生を終えることもある。とお世話をしていた母は毎回言われていました。

救急搬送された病院に私も向かい、呆然としてしまったのが先週の事でした。

命とは。そんなことを改めて考えさせられた年末の始まりだったのです。

今日はお通夜でした。
母が取り仕切るとのことで「私心配だわ」というわけで、私と姉も一緒に。
おまけにこじんまりと家族葬にしたので参列者は0でした。

ただ「最後にご挨拶を」といとこの関係者がお通夜前に来てくださいました。

障害があったため、毎日通所施設に通っていました。
その施設や、送迎のバスでお世話になった方、
ヘルパーさん
月に2回ほど宿泊する施設の方
いらっしゃってくださいました。


皆さん、共通して感じることは
「いとこのことを家族同然だと思ってくださっていた」ということ。


バスで通所施設に送ってくださる運転手さんは
「いつも〇〇さん(いとこ)が座る席があるんです、そこにはコップもあって…またいつものように乗ってきてくれると思ったのに…」と涙を流されていました。

別の方も、涙されない方も
本当に暖かく声をかけてくれる様子が印象的でした。


一度、かなり前に「通所施設で旅行」があり家族として同行したことがあります。
羽田など東京の観光地を巡るもの。


みんなでカラオケを歌ったり(なぜか嵐とかSMAPが皆さん好き)
お菓子を回して食べたり、羽田空港を見て回ったり
家族旅行みたいだな。と当時の私は感じていたことを今まで忘れていました。


通所施設の様子をスタッフの口からきくと
「私が知らない姿」のいとこを知ることができました。

本当に暖かい毎日を紡いでいたんだ。


以前「通所施設休んでもいいのでは?」と聞いたら頑として休まないと言ったことを覚えています。
暖かい場所だったからなんだ、それだけ行きたい場所だったんだ。

今日ご挨拶に来てくださった方々と少し言葉を交わして
いとこは障害もあり、病気があったけど
幸せな時間だったんだろうなと思うことができました。


突然あちらにわたってしまい、残念です。
ただその方々の想いを受け、しっかり明日送ってこようと思います。

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