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あれ?目的ってなんだっけ


昨日までの3連休は「今年最後の3連休」だったようで
今年ももう少しなんだなぁ‥となんだかしみじみしてまいりました。
一昨日、ショッピングモールに行ったら

喪中はがき、注文受付します

というのぼりが立っていて、年賀状ねぇとなんだか他人事のようにボンヤリ認識しています。


と、言うのも私は今年の年賀状やめました。
今までやり取りしていた知人などには宣言して、LINEでご挨拶することにしました。それまで毎年20数枚という、激少ない枚数だったんですけど。


なんでやめてみたか、という事なんですが
年末…って相当忙しいじゃないですか。
ごく限られたコミュニティにしかいない私ですらそう感じるんですから
幅が広い方々は、年末は謀殺の日々…ではないかと想像されます。


年始の挨拶を1月1日にお届けするためには、12月×日までに投函してください!というCMも昔見かけながら、いう事聞かないプリンターと格闘しつつ「今書いてる!!!」と鬼の形相、という年末だったのです。


もっと前から準備すればいい問題。はあるのですが
どうしても時間が足りんのです。
そして毎年、一言シュッと書いて投函。ということの繰り返しです。

なんかざっと書いているみたいで、なんだかなぁ。

年々そんなもやっとした気持ちに苛まれるようになりました。
年始のご挨拶を書くのであれば、
この人にはこれを書こうかなとか、何かを込めて書きたいのですが
それができない。

これって「年賀状出した」を目的にしちゃっているんじゃないか。
手段の目的化、というやつに陥っていることに気付きました。

年に一度、どう?元気?またあいたいよね~と
気持ちが乗ったものを送るための「年賀状」だったのに

1月1日に到着する。だから出す、とうまぁ何ともお粗末な事になっちゃっていました。よろしくない。

年始にその人に向けて、送るために方法は変化してもいいよね
という勝手な解釈かもしれませんがこの選択は意外によかったです。

あ~私も出せないからありがたい!という友達も出てきました。

年賀状が悪いというわけではないのですが、
手段の目的化という状態から脱するために
私にとってはLINEでご挨拶に変更が功を奏しました。


変わらないものがいい。というものもありますが
私にとっては変えたほうがいいものもあるんだなぁ。


今年はかわいいドラえもんのお年賀スタンプでご挨拶にそえて、送る側としてとても気分が上がりました♪今年もドラえもんで行くか、別のにしようか。今から考えておかなきゃです。

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