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デザイナーになってよかった ─20年前デザイナーになろうと思った僕と今の僕─

noteでCDO(Chief Design Officer)をしている宇野です。

Designship 2022がもうすぐ始まりますね。そんなDesignshipに合わせてnoteでは「#デザイナーになったわけ」with Designship というお題企画を実施します。

それに合わせて僕もデザイナーになったわけを書いてみようと思います。約20年前のこと。時代が違うので今の若い方には参考にまったくならないのですが……

一人の大学生がデザイナーを目指して今日に至るまでの物語としてお楽しみください。

地図に残る仕事とWebデザインはどちらが大きい?

20年前、僕は大学で土木工学という学問を学んでいました。ざっくり言うと建築学科で学ぶものよりも更に大きいものの設計を学ぶ場所。鉄道/道路/橋/ダムなどなど。そんな中で僕は橋のデザイナーになりたかったんです。

その理由もかんたん。「地図に残る仕事。」がしたかった。

「地図に残る仕事。」は大成建設さんのキャッチコピーです。当時CMでやっていてカッコイイなーと。それだけで将来を決めました。

そんなわけで橋のデザイナーを目指していたんですが、あるとき学校の授業でWebサイトを作るというものがありました。HTMLの基礎の基礎だけ習って大学のサーバーに公開をするというもの。何を作ったのかさえ覚えていませんが、授業の最後に教授が言った「これで世界中どこからでも見られるようになりました」というセリフが衝撃だったんです。

橋のデザイナーになってもいつ自分が橋を手掛けることができるようになるかはわからない。一生地図に残る仕事はできないかもしれない。

そんな中でボタン一つで世界中に自分の作ったものが公開されるというのは衝撃でした。日本の地図に残るよりも世界中に発信できる方がすごいデザインなんじゃない?って当時の僕は思ったわけです。

今思うとだいぶ浅はかな発想ですが、CM見て影響される程度の人間なのでそんなもんです。

そんなわけで僕はWebデザイナーを目指すことを決めます。当時二十歳でした。

これが僕の #デザイナーになったわけ のはじまりです。

「Webデザイナーって10年後もある仕事なの?」

当時はスマホなんてありませんから、インターネットの世界でデザイナーになるとしたらWebデザイナー一択。当時も変わらずインターネットビジネスの世界はものすごい勢いで動いていました。業界も技術もまだ未成熟だったため、その分の進化もものすごいものでした。

僕はその時代の流れにあせり取り残されてはいけないと、大学を中退してWebデザイナーになろうと考えます。そこで両親に猛反対をされ一度諦め、でも諦めきれず反抗の意思表明として進級試験を全部受けないという暴挙に出て「それならうちを出ていきなさい」と勘当されかけたりしました。。

結果として夢ばかり見て社会が見えていない僕を本気で心配してくれた両親が折れ大学をやめてWebデザイナーを目指すことを許してくれたのですが(心底感謝しています……そして今大学生のみなさんはちゃんと卒業してください)、そのとき父に言われたのが「Webデザイナーって10年後もある仕事なの?」です。父はこのセリフを言ったことを覚えていないそうなのですが、僕の記憶にはっきりと刻まれている言葉です。

今考えると何を言ってるんだというセリフですが、おそらくその当時Webデザインだけで生活をできていたのはごく少数でしょう。もしかしたら日本で数百人に満たなかったかもしれない。Webデザインの大半はグラフィックデザインや広告制作をする人たちが片手間でする仕事でした。

なので父の台詞はもっともです。インターネットって何か怪しくて危ないと思われていた時代ですから。。

しかしそこで僕はまったく根拠もなく「これからはインターネットの時代だ」って言い放ちます。先見の明があったわけでもなんでもなく言い切っただけ。さぞ父は呆れていたことでしょう笑

そんな中で僕をささえてくれた一冊の本がありました。

ラナデザインアソシエイツという会社を作られた堀田 理佳さんの著書「Webデザイナーになってよかった 独立起業&ウェブサイト制作ドキュメント」です。(この記事の題名もこちらの本からのオマージュです)

Webデザイナーになってよかった 独立起業&ウェブサイト制作ドキュメント

今読み返すと時代を感じる内容ではあるのですが、堀田さんがいきいきと毎日のWebデザインの仕事を失敗を繰り返しながら楽しんでいる様子が書かれています。

それは社会に出たこともない学生にとって夢の世界でした。原宿にあるオフィス、クライアントへのプレゼンテーション、有名アーティストのホームページ制作。

数年後僕はそんな甘い世界でないことをイヤというほど思い知ることになるのですが、、

「宇野君はデザイナーとしてはやっていけないよ」

そんなこんなで友人の紹介で未経験ながら小さなWeb制作会社に運良く入ることができました。その後いろいろありその会社が別の会社に吸収されることになります。その会社は誰でも知っているような企業のWebサイトをいくつも手掛けている会社でした。

僕はキャリアアップの機会だと奮闘するのですが、3ヶ月後上司に呼び出され「宇野君はうちではデザイナーとしてやっていけないよ。営業にまわるか辞めるかだ。」という実質的な退職勧奨を受けることになります。

ショックでした。でも今思えば当然と思える程度のスキルしかありませんでした。間違いなくその会社で僕が一番デザインが下手くそでした。。
しかし僕は営業になりたかったわけではありません。そのため会社を辞めるしか選択肢はありませんでした。

幸運なことにその吸収される前の会社の社長がまた新たに会社を設立しており、そこで一人目の社員として雇ってもらえることになります。僕にあらゆるデザインとビジネスのいろはを教えてくれた恩人です。

その後いまでも付き合いのある友人たちとの出会いもあり、気づけばいま立派にデザイナーとしてやっていくことができています。

………。

そんな順風満帆な話はなくですね。クライアントから真夜中に呼び出されて修正指示を受け朝までに対応させられたり、1週間くらい帰れない日が続いたり。

その後も憧れて入った外資系の会社では、入ってすぐに東日本大震災が起こり1週間まるまる休みになり震災の映像をテレビで見続けて鬱になりかけたり、その会社の日本法人が解散となり今話題のレイオフをされてハローワークのお世話になったり。

これ以上書くと長くなるので以下省略。

まあ色んなことがその後も起こるのですが、様々な人と出会い結果として今の僕ができあがっているので今となっては良い思い出です。

正直今日に至るまでに相当な遠回りもたくさんしてしまっているので、今の学生の方には心底こんな経験はしてほしくありません。もっとショートカットできる道があるのだから、最短距離でさまざまなスキルを身に着けてほしいです。苦労はスキルと経験を手に入れてからでもできるので。

とはいえ、今の僕はあの時代にデザイナーを目指したからこそ未経験でもデザイナーになれたし、そこから様々な人と出会い、その出会いのつながりの結果今noteでCDOをしています。何一つ欠けていても今この場にはいないので、良い20年だったと本当に思っています。

デザイナーになってよかった

さて、そんなイベント盛りだくさんの20代を過ごし今noteという会社にいるわけですが。結果としてこの20年くらいを振り返って思うのはやっぱり「デザイナーになってよかった」です。

もちろん当時想像した仕事とは全く異なることを今はやっています。「ずっとプレイヤーでいるんだ、役職者なんかにはなるもんか」とイキっていた若者がなぜかCDOをやっています。

でも、デザインは昔よりも今のほうがずっと好きだし、そのデザインで実現できることの幅は何十倍にもなっている。そしてその幅は今でも日々大きくなっていき、更に成長できる自信もある。

昨年40歳の誕生日を迎えたときに確信したのは、「僕は60歳になってもデザインをやっている」ということ。むしろ60歳過ぎてからもデザインの仕事をしていたい。そのときに人生で一番デザインを楽しんでいられるようにしたい。

そのためにはまだまだ成長しなきゃなって思うわけですよ。インターネット業界では気づけば上の方の年齢の人になってしまいしたが、多様なデザイン業界においては40歳なんて若造。カッコつけてる場合じゃない。

四十、五十は洟垂れ(はなたれ)小僧 六十、七十は働き盛り 九十になって迎えが来たら 百まで待てと追い返せ

日本経済の父と呼ばれた渋沢栄一氏はこんな言葉を残しています。さすがに僕が百歳まで生きているかはわかりませんが。

とはいえ、今から20年後の僕はどんなデザインをしているんでしょう。今から楽しみでなりません。
だいぶ長く書いてしまいましたが、この続きの話は今から20年後の僕にたくすことにしたいと思います。

2042年にまたお会いしましょう。


こんな僕の #デザイナーになったわけ はいかがでしたか?ぜひ皆さんの熱いお話も聞かせていただければ幸いです。

頂いたサポートは次なるUIデザインやその記事に役立たせて頂ければと思います!