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読書メモ9 レジリエンスの時代ジェレミー・リフキン著 第4章

第四章大転換—時間と空間地球規模の囲い込み(題)

時計にしても、遠近法にしても、人智の素晴らしい発明、発見、創意は、歴史=その後の社会のあり方 を変える。
しかし、
①その発明、発見、創意の当事者の理性は、結果する事への射程を持たない。=当事者個人の頭脳では、その発明等の外延(結果として将来何をもたらすか)を考え予測、構想する事が出来ない
②同時代の頭脳を集めても、思考=観念操作では、(たぶん)同断だ。
③コンピュータ予測はどうか?(きっとダメだろう⁇)
発明、発見、創意は、頭の中で完結せず、身体によって社会化、物質化される。それを受け取った(感受した)意識(他者でも、本人でも)によって新たに発明(拡張)され、外化(社会化、物質化)される。

発明、発見、創意はその、意識→外化→意識→外化という、意識と環境との円環によって展開(発展)して行く。
個人の意識の中での仮想循環(論理思考であれ、妄想であれ)はその社会的広がりには、遠く及ばない。
外化(社会化)された、ひとつの発明、発見、創意が、その先どの様に展開して行くか、誰にも予測できないことは、数々の歴史事蹟が示している。

時間の囲い込み
リフキンの観念世界の時空は、大半が西欧キリスト教世界だ。

ベネディクト会(529年〜)
「聖べネディクトゥスは、『地獄の貴め苦を免れたければ、今、永遠性を手にするのに資することのみを急ぎ行なわなければならない』と修道士たちを戒めた。
ベネディクト会の修道士たちは、誰よりも先に、時間を『稀少な資源』と認識した」(p.91)

これが修道士たちの意識、理性だ。それを外化(社会化)して..

「全員が日課に一斉に取り組むために、ベネディクト会は捨て去られていたローマの時間を再導入した。あらゆる活動にふさわしい時間が割り当てられ、鐘の合図で日常的な活動、週、季節の中にまで、時間枠が与えられた。成り行き任せにされる時間はなかった。
ベネディクト会修道士は、『スケジュール』によって時間を合理化した」(p.92)

すると

「修道士たちは時間を厳守しようとしたが、鐘を鳴らす人間が当てにならないという問題に直面した」(p.92)

課題が発生

「それに対する答えが、1300年頃の機械式時計の発明だった。新しい装徴のおかげで、修道士たちは時間の長さを標準化し、日々の活動を正確にスケジュール化し、作業をより確実に管理できるようになった」(p.93)

そして、自己展開

「このテクノロジーの驚異は、修道院から都市へ噂が広まり、時計は町の広場の中心的存在となって、『工業の時代』と市場資本主義の幕が上がり始めるなか、『時は金なり』が時代の新たな格言になった。一七九〇年代には、労働者は懐中時計を身につけ始めた。
『ガリバー旅行記』で小人国の賢人たちは、拘束した異国の巨人の持つ『ピカピカした物』を『彼が崇拝する神でありましょう』と皇帝に報告している。『それを見ずに何かを行う事はない』と」(p.93)

ガリバー旅行記

「ベネディクト会修道士たちは自らの発明が、キリスト教世界観を突き崩すことになるとは、思ってもいなかった。そして時間は、経済進歩の名の下に自然界全体を収奪する効率向上に捧げられる。その反動のせいで、近現代の幕が下りようとしている」(p.94)

空間の囲い込み

「フィリッポ・ブルネレスキに発する透視図法」(p.94)

の自己展開はおよそ、想像を絶する。

絵画→建築→数学→科学へ、
また、「視点」の確立→「対象化する意識」の成立→主客二元論へ、

と。

「客観的=切り離され、合理的であることは、五〇〇年以上科学の世界だけでなく大衆文化においても支配的であり続けた。私たちは世界に視線を投げる自律的な主体であり、世界を客観化し、収奪するという考え方だ」(p.99)

「人類は、これらの新しい時間と空間の座標軸を手に、地球の広大な範囲や、この惑星の密接に絡み合った地球化学的・物理学的・生物学的営みを構成している他の多くのものを、首尾良く囲い込んだり、部分的に私有化したり、収奪したりしてきた。私たちの種は、誕生してからの短い期間に、比類なき効率性を原動力とする快楽主義の熱意に駆られて、あらゆるものを攻略し、強奪し、消費してきた。不幸にも、こうした歴史は近現代を説明する際には、ほとんど取り上げられてこなかったが、広く知られてしかるべきだ」(p.107)

リフキンの問題意識と少し違う位相の、私の問題意識もある。
          光

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