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虎に翼 番外編1(重遠の孫)


穂積重遠の法学は、解釈学では無い。
時代の要請も、法体制の整備を求めていた。
社会体制を、【法治】として整えること、法に社会を合わせるのでなく、(現実の、そして近い将来の) 社会に法を合わせる。
整合性(正しさ)を、第一に追求するのでなく、人々の社会生活が【法治】によって円滑に営まれるよう、(法体系)、(法制)、(執行体制)、(学制)、(民衆意識)までをも整えること、の中に 整合性(調和)を求めてようとしていた、のだと思う。

そこに、予めの【正解】は無い。(今ここ)或いは(あした)に相応しい【解】があるだけだ。


大村敦志さんは、著書「穂積重遠」(ミネルヴァ日本評伝選)で次の様に指摘している。

「重遠は意図的に体系思考を排除している。」
「・・・法則を予め措定するという方法論に与しない」(p.286)

また、川島武宜の言葉を引用して
「先生の法律学は、抽象的な理論体系をつくって、それから理論的な首尾一貫性を金科玉条として追究するというようなことでなしに、いつも具体的な問題を頭に浮べて、一つ一つ解決して、そこから考えられる限り理論を作ってゆく、しかしそれ以上に理論だけで先に進んでいくことはしない」(p.287)
「頭の中で理論をつくるのではなくして、いつでも現実の問題から出発してつくられる・・・」(p.288)と、言っている。

「重遠においては、先鋭な理論よりも豊穣な事実が好まれた。真理は細部に顕現する。そう信じていたかのごとくである。」(p.291)

私の観るところ、
【正解】がないことを知り、いま出せる【解】を共に探す。
そこをこそ、目指していた、のだと思う。


吉田恵里香さんの描き出す【穂高重親】は、そんな重遠を、彷彿とさせる。

吉田さんが、ドラマの「細部に顕現する」マジックの中に、沢山の「真実」が煌めいている。



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