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読書日記 04「キス」キャスリン・ハリソン

 "父が母に送った手紙を読みながら、わたしは涙を流すだろう。それらに書かれているもの、わたしが自分のものだと、自分だけのものだと信じたかったものは、すべて、母の言ったとおり、彼女のものだったのだ。"
                 「キス」 キャスリン・ハリソン

 
 ある晩のことだ。その人は、和食屋で給仕をしてくれている年若い女将を見て言ったのだった。家族に大事に育てられた、そんな雰囲気をしているね、と。彼女はたしかに、その薄桃色の着物の上に、幸福と善良の空気を纏わせていた。
 その言葉に私は視線を落とした。なぜだかそれまで胸のうちに堪えていたものが、ふいに破裂したような、そんな気がした。おそらく世界のどこかに自分を否定するような言葉があるとしたら、その言葉がそうだと、そう思えてしまったから。

 「キス」はアメリカの作家であるキャスリン・ハリソンが、父親との近親相姦の関係、そして冷酷な母親からの自立までを描いた、真実の家族の物語である。作者は自分の記憶をひとつひとつ整理するかのように、共に暮らした母と祖父母、そして母と離婚し、大学生になってから運命的な再会を果たす父との瞬間を、繊細に文字に起こしてゆく。
 どんなに求めてもけっして娘を愛すことのない母と、母が別れてもなお愛しつづける遠く離れた父。そして父は聖職者であるにも関わらず、娘を異常なほどに愛し、そのすべてを手に入れようとする。求めても求めても得られない愛は、それぞれの手をすり抜けて、やがて三人を不可解で許されない関係へと導く。

 おそろしいのは、父と娘のその関係のはじまりが、よくあるラブストーリーと変わらないところだ。一度のキスからはじまり、一日と離れていられなくなり、毎日のように手紙を送りあう。やがて他の異性が近づくことに恐怖して束縛し、その果てに共に生きることを選択する。
 そんなことが実の親子の間に起こりえるなんて、ふつうは想像もできない。だから彼女は孤独だ。彼女自身にもこれが恋なのか、得られなかった家族の愛を渇望しているだけなのかわからない。それでも恥ずべき禁忌であるということを知っているから、苦しみを吐き出せる場所なんて世界中のどこにもない。

"「いいか」と言って、彼は腕を組む。「お前はもう罪を犯したんだ。わたしと一緒にね。だからもう、ほかの人と関係を結ぶことはできない。秘密を守れるはずがないからだ。相手がだれであれ、お前は話すだろう。そしてそのとたんに、相手はお前を捨てる」
 わたしは父を見つめる。その言葉を信じ、彼を憎む。"

 私はこの世にひとつ、幸いな真実があるとすれば、「人は変わることが可能である」ということだと信じている。経験もなく頑なであった十代のころは、そうは思えなかった。でも様々な出会いをとおして大人になったいまでは、不可能ではないことを知っている。もちろん、状況や環境によっては途方もない努力が必要だ。いや、たいていの場合はそうだ。苦労なく変化した人間を私は知らない。それでも変わりたいと願えば、確実に自分の中のなにかが望むものへと変わっていく。それだけは誰にも止めることができない。
 愛情と欲望の入り混じった生ぬるい混沌を抜ける決意をしたとき、作者は髪を切り、そして逃げずに真正面から母親と対峙する。母はこのとき、ようやく娘の顔を見る。
 やがて彼女は結婚し、子どもを持ち、記憶をたどり、この本を書いた。父のかけた呪いのような言葉は、彼女を永遠に縛りつけることはできなかった。

 すべての親が子供を正しく愛せるとは思わない。私自身、父親という存在に愛された記憶はない。それは恥ずべき過去になるのだろうか。ないものを数えることはできない。だから私にはその答えがわからない。
 それでも、父はきっと娘を愛するための努力を試みたのだろうと、理解しようとすることはできる。あるのかもわからない見えない愛を、記憶のどこかに探す。微量でもいい。そして許す。許しは、けれどどこか別れに似ている。
 
 作者はすべてを世界に公表することで、過去を乗り越えたのだろうか。決して公表すべきではない秘密を本にして出版するというのは、両親と自分を裁くような行為にも思える。でもそれが、本人にしかわからない唯一の過去を断ち切る方法であったのかもしれない。

 あの晩、私はあんなにも傷つく必要はなかったのかもしれない。彼の過去すら、私もほとんど知らなかったのだから。彼の傷に、知らずに私も触れてしまったことがあったあろうか。
 過去を許せないのは他人ではなく、いつも自分自身なのかもしれない。














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