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「アンナ」 ドラマ鑑賞録

 “他の人がわたしを恐れてくれたらいいなと思ってます”         

「アンナ」ディレクターズカット  脚本・監督イ・ジュヨン
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 人は何のために嘘をつくのだろう。誰かのためのささいな嘘ならば、みんな無意識について生きているのかもしれない。では、自分のための大きな嘘は糾弾されるべき罪であるのか。

 主人公のユミは田舎の貧しい家庭に生まれるが、持ち前の頭の良さや恵まれた容姿、そして数奇な運命によって、嘘の人生——アンナとしての人生——を生きることになる。
 事の発端は、ユミが成績優秀でありながら高校の教師との恋愛がばれ、傷心のうちに一人ソウルへと転校させられたことだ。失恋と、両親と離れてしまった寂しさから大学受験に失敗してしまうが、精一杯お金を工面してくれている父に本当のことが言えずに、合格したと嘘をついてしまう。渡された大学の費用で予備校に通うが、同じ下宿に住む、志望校に通う先輩にまで嘘をつかなければならず、嘘はどこまでもコロコロと転がってユミを後戻りできない場所に運んでいく・・・。

 貧しいことは誰にとっても苦しいことであるが、貧しい若い女性として生きてゆくことほど、不幸なことはないと思う。同世代の女たちは勉学に励み、夢をもち、恋をする。そんな当たり前の、人生の華々しいスタートともいえる時期に、足を滑らせてしまったら。そして唯一頼れるはずの家族もまた、貧しさに喘いでいたら。特にユミのように才能豊かであり、野心も持ち得ていたら、その状況を自分の人生として認め難いのかもしれない。

 父の死などを経験し、ようやく高卒で働ける仕事先を見つけたユミは、雇い主であるアメリカ帰りの令嬢アンナと出会う。アンナはアメリカ育ちらしく天真爛漫で朗らかではあるが、仕事に精を出すわけでもなく、どこまでも甘やかされて育った生粋のお嬢さまである。対してユミは、仕事にも真面目で指示された業務を淡々とこなす。その二人の対比が印象的である。安月給で休みなくこき使われ、会長であるアンナの父に罵倒され、ユミは“持たざる者の“無力さを悔しさとともに実感する。
 ユミがもし、自分の置かれた立場に納得し、他の従業員たちと同様、自分の状況を諦めてさえいたら、そのまま割り切って働くこともできただろう。でもそんな環境に耐えられるほど、彼女の野心は小さくなかったのかもしれない。ユミはアンナの”あるものを“盗み出し、アンナとして生きはじめる。

”大した人間じゃないって早く気づくほど 人生が楽になるのに
私にはできない”

 人生を生きるうえで、どうしてもその「ステージ」を上げなければと必死になるタイミングがある。それは持ち前の野心であったり、他人への羨望、あるいは生き抜くために必要にかられて、であったりするだろう。真っ当に就職し、その会社で順調に出世していければいいが、それ以前につまづいてしまったらどうすればいいのだろう。韓国でも日本でも、大学を卒業することができなければ、なかなかその先は難しいと実感する。私もまた、その道をたどって来た一人であるから、その絶望がわかる。実際には、日本では歩みを止めなければまだまだチャンスは多いと思うが、学歴主義の韓国ではそうではないのかもしれない。外れたコースに戻るために、ユミは嘘の人生を一からつくりあげるしかなかった。

 嘘を完璧に生きてみせたユミは、立派な職業と起業家の夫、そして裕福な生活を手に入れる。その代償として、彼女はどこまでも孤独だ。夫にも唯一の友だちにも本当の自分を見せることはできず、誰の前で泣くこともできない。それを「生きている」といえるのか疑問に思えるが、彼女には振り返ることさえ許されていないのだ。細い糸の上を綱渡りするような、張りつめた人生である。
 そしてようやく手に入れた平穏で恵まれた生活に、再び本物の「アンナ」が現れる。この瞬間から、ユミの人生は再び転がりはじめる。

 持たざる者は、「置かれた場所」で大人しくその貧しい生涯を送るべきなのか。いつか流行ったあの本のタイトルが、私は嫌いで手に取ることもなかった。置かれた場所で生きるなど、若い私にはできない相談だった。諦めることの崇高さや、必要以上に求めないことの美しさを知ってはいたけれど、それは他人に強要されることではなく、いつか年老いて発見するものだと思っていた。
 私がこのドラマを何度も観てしまうのは、ユミのどこまでも孤独で、だからこそ諦めない姿に勇気づけられるからである。
 もちろん彼女の行いは犯罪であり、褒められた生き方では決してない。さらに物語の終盤、彼女は犯してはならない、最大の罪を犯す。しかしユミは世間に謝罪することも誰かに助けを求めることもなく、一人で生き抜くことを誓う。ハイブランドのハイヒールを脱ぎ捨て、スノーブーツに履き替え、見知らぬ土地の、孤独な道を歩きつづける。

”そうして耐え抜けば 機会は必ず来る
いつもそうだった
私は心に決めたら 何でもやり遂げる”



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