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2月の終わりに。

冒頭に掲げたのは、数年前の今日の、雨だか雪だかよくわからない天気のときに訪れた嵐山である。

早いもので、2月がもう終わる。

2月といえば我々受験産業の人間からすれば、多くの児童・生徒・学生たちがそれぞれの受験本番を迎える時期である。

だいぶと時間が経ってしまったが、佐京少年も中学受験と大学受験をン~年前のこの時期に受験本番を迎えていた。

中学受験は、相当な苦戦を強いられた。

そりゃ、もう、地獄のような闘いであった。

中学受験は2月1日から本格化するのだが、一応1月受験(当時は私の周りではお試し受験なんて失礼な言葉で表現されていた)の段階で一つの合格はいただいていた。

*とはいっても、その学校の場所が四国であった。つまり、2月の本戦に失敗すると中高6年間を四国で過ごすことになるということである。いまとなっては「それもいいんじゃないか」なんて笑えるのだが、当時の私と私の両親にとってはなかなかの一大事であった。*

そんな中で迎えた2月1日であったが、我ながらフワフワしていた。

なんというか、受験生としての自覚もあったし、勉強もそれなりにしてはいたのだけれども、今思えば、やはり大学受験ほどは「自分ごと」ではなかったのかもしれない。

そんなことが影響していたかどうかはわからないが、しっかり失敗した。

2月1日だけではなく、2日、3日、4日(この日は1日に2校受けた)も見事に不合格が続いた。

中学受験は合格発表は試験当日もしくは翌日には出るので、そういう意味でもスケジュールも気持ちも余裕がまったくない。

このときの感情はあまり覚えていないが、4連続で不合格を知らされたときにはさすがに辟易したのはなんとなく覚えている。

そんな中で迎えた2月5日であった。

実はこの時に受験した中学は、今までに見たことも聞いたことも、もちろん行ったこともない男子校の第三日程であった。偏差値でいえば50代後半くらいであっただろうか。

その日の夜、19時30分にインターネット上で合格発表があった。

そこでようやく、合格を手にした。

いままでに見たことも聞いたことも行ったこともない、東京都内の中高一貫校に進学が決まったのである。

結果的に、その学校に入って、

中1で鉄道研究部、中2~高3で吹奏楽部に入り、

男子校ならではの青春(!)を送り、

さらに素敵な先生方にもめぐり会い、

いまでも定例会と称したゴミのような飲み会をやる親友にも出会えた。

よかったな、と思う。

なるように、なった。




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