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私と和装〜私が和装に目覚めたきっかけ〜

 当家のスーパードルフィー®️の幸彦も割と和装していることが多いことからお気づきかも知れませんが、中の人の私は大の着物好きです
 今回はご要望にお応えして、ドールのお話から少しだけ脱線し、そのお話をしてみようと思います。

 まずは、何故着物好きに目覚めたか、のお話から。

 ※むかしむかしのお話過ぎて、掲載可能な写真がほとんど手元になく、お見せ出来ないのが無念です。
 今回の記事は文章主体になりますが、お楽しみいただけたら幸いです。

始まりは七五三の祝い着

 地元の神社へ、七五三のお参りで子供用の晴れ着を着て出かけたこと……それが私の着物好きの原点でした。
 華やかな色柄、可愛い模様、普段とは全然違うオシャレ……着物ってなんて素敵なんだろう! と、一目惚れしたのでした。
 こんなに華やかな着物をたった1日しか着られないことがひどく残念だったことも覚えています。
 今も呉服屋さんの店頭で七五三向けの晴れ着を見てしまうと、その可愛らしくも品のある様子に惚れ惚れしてしまうほど。


手始めは浴衣から

 七五三の年齢の頃から、地元の夏祭りへも妹や祖母と共に毎年浴衣で出かけていました。紺地の浴衣に赤いふわふわの兵児帯(へこおび)、2本歯の下駄……よくある浴衣姿です。

 されどそれも小学校卒業頃まででした。成長して、兵児帯では幼すぎる印象を与える頃になると、浴衣には半幅帯(はんはばおび)を結ぶようになりましたが……兵児帯と違って固さがあり、とりあえず蝶蝶結びしておけば可愛いという訳にはいかず……次第に「浴衣めんどくさい、やめよう。そんなに着たいのなら自分で着なさい」と、突き放されるように。

 それが何とも寂しくて、年に一度の夏でしか着られないこんな可愛いオシャレを諦めたくない! と、私は大ショック。
 祖母が持っていた白黒写真の古びた着付け本と、やはり祖母の姿見、そして着ている間に汗だくになるからと松下電工(ナショナル。まだパナソニックでは無かった頃のもの)の扇風機とを準備して、自分ひとりで着付けを始めるようになりました。

2023年夏、ついに天寿をまっとうしてしまいましたが、この扇風機が私の浴衣着付け練習のお供のひとつでした。パナソニック以前の松下電工の扇風機です。


 当初は今のような作り帯の浴衣セットなど存在しなかったこともあり、自力では着付けるだけで2時間以上かかり、終わるとすっかりヘトヘトの汗だく、びっしょり。
 おはしょりもシワだらけだし、なんなら文庫結びにした帯の羽根も大きく傾いている……なんて有様でした。しかも屋台を練り歩くうちに着崩れて、やむなく途中撤退したことも。

 それでも、毎年毎年、夏休みが来ると自力で浴衣の着付けを練習するようにしていました。
 何だか、某安西先生の名言ではありませんが、私が諦めたらそこで浴衣は終わってしまうと感じていたのです。(この頃既に、私が家族唯一の浴衣着用者で、お祭りでもお盆でも周囲に浴衣の人は少なかったのです)
 するとやがて、「見た目は上手くないが飛んで跳ねて踊って走っても着崩れない」ところまで、辿り着けました。


転機となった、高校文化祭

 そして時は流れ、中学を卒業し地元の高校へ進学したある初夏のこと。

 その頃にはもう、私の浴衣の着付けは「よく見ると少しお粗末だけれども、ちゃんと浴衣を着ている」というところまでたどり着いておりました。
 お祭りやお盆に限らず、時間のある日はサマーワンピ感覚で浴衣を着た日もちらほらあったほどです。

 そんな折、文化祭でのクラスの演し物が「駄菓子屋さん」に決定……するも、売り子担当の女子たちは皆、異口同音に「和装って言ったって、浴衣と帯は持ってるけど、着方なんか分からないよ!」と、困ってしまっていました。
 折角それ以外のハードルはクリア出来てるのに……と惜しく思った私。勇気をだして

「女子18名全員の浴衣、私が着付けます」

と、着付け師に立候補! そうして売り子担当女子の和装問題もクリア、文化祭では駄菓子屋さんを予定通り催すこととなりました。今思うと当時の私は度胸が凄かったなぁ。

 文化祭当日、早めに集まってもらったとはいえスタートまで時間が限られる中での、怒涛の女子18名連続着付け……いやぁ、目が回るような体験でした。
 中には兵児帯の子がいたり、半幅帯の子がいたり、丈の短い浴衣の子がいたり……そのため人によって全然違う着付けでしたし、プロ級の腕前なんかでは無い私でしたから、おはしょりが短くなってしまった子や、結んだ帯の羽根が傾いてしまった子も出てしまいました。(でも、誰も文句は言わずにいてくださいました。ありがたかったなぁ)

 こうしてどうにか開始前に18名全員の着付けが完了、「駄菓子屋さん」は盛況に終わり、私はまさか自分の着付け技術がこんな役立ち方をする日が来るなんて……! と、しみじみ感慨深く思ったものでした。
 そしてまた同時に、いつかは浴衣以外も自分で着たり着せてあげたり出来るようになりたい、とも。

 そこから本格的に浴衣の着付けを基とした、私の独学着物レッスンがスタートしたのです。
 祖母から借りた白黒写真の着付け本、姿見、そして松下電工の扇風機がお供。
 夏休みの間に練習を重ねるうち、着付けにかかる時間も次第に短くなり、歩いても走っても踊っても着崩れ知らずの頑丈さでありながらお腹も苦しくなく、下駄で素足を擦りむくことも減り……今の「45分もあれば羽織袴姿でお街へお出かけに行ける」暮らしの基礎ができていきました。


転機2回目は大学時代、そのお話はまたいずれ……。

 やがて高校も卒業して四年制総合大学へ進学すると、初めてアルバイトを経験、初任給を手にすることとなりました。
 当時はパソコンからオンラインで遊べるゲーム(主にMMORPGやPBW)にハマっていましたが、着物への愛を超えることは無く……初めて、貯めたお給料でマイサイズお仕立ての浴衣を呉服屋さんに仕立てていただくことになりました。

 ここから先は、またいずれお話しましょう♪

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