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そんなに可哀想じゃない病人の2021年のあれこれ

はじめに

どうも、さくぞうです。ひさびさの投稿です。皆様今年はどんな一年でしたでしょうか?
コロナも後半はおさまってきたかのように見えましたが、「オミクロン株」と言う新たな株が出て来て、
なんだか安心していた気分に水をさすようで、現代を生きる我々に新たな試練を与えているかのようです。

ところで、お世話になっている方から聞いた面白い話


先日、たまにお世話になっているセンスの良いヘアスタイリストさんのもとを訪ねました。彼は、フットサル、クライミング、登山と非常にアクティブで多趣味で長時間に渡るスタイリングの際にも色々なお話しをしてくれて飽きる事が無いのですが、特に日本古来の歴史に詳しく、面白い話を沢山伺いました。

疫病


日本ではかつて100年位の単位で疫病が流行っていたそうです。どれ位前の話しか、すっかり忘れてしまいましたが…。
異国との交流が増えるにつれ、疫病が何処からか蔓延し、日本に住む人々は、その疫病を祓うために色々な神々を祀ったそうです。その一環で神に近付くときには、身を清めなければいけないと、神を祀る神社の入り口に手を洗う「手水場」を設けたり、(ここらへんは私の想像ですが)身を清めるために「水業」をしたり「塩」をもったりするうちに、自然と衛生面が向上し、その都度疫病を退散出来たようです。「手指消毒」など今盛んに言われている事もこれらの歴史から教わる事は多そうですね。

自分のリズムを乱さない


今年後半にコロナが落ち着き始めリモートから急にリアルの世界に戻され、戸惑う事もありました。
次第にに友人達もやっと、数人、数人と遊びに来てくれるようになり、自分も様々なところに行き楽しい時を過ごして、気にかけてくれる友人達に恵まれている日々が続いてます。久しぶりに会った件のヘアスタイリストさんも腕を奮ってくれ気合の入ったスタイルに仕上げてくれました。
私の誕生日は12月でSNSには書いていませんか、誕生日を覚えてくれている友人からは例年のように大きな花や素敵なプレゼントやメッセージが届きました。
リモートで落ち込んだ自分の精神とコロナ前には本来あったはずの現実社会の隔たりを埋めるリハビリも徐々に快方に向かっているかのようです。
またコロナとの戦いは油断は出来ませんが。

新たなビョーキ


中々神様は、私に楽な人生を与えてくれないようです。先日、主治医が、私の血液検査の項目に普通の人では調べない項目を加えたらしく、先日、主治医から話がありました。
何度も書いているかと思いますが、私は既に「ベーチェット病」という、難病、膠原病(自分の免疫力が自分を攻撃する病気)を抱えているのですが、新たな消化器系の膠原病が見つかったとのことでした。まだどうするか治療を急ぐのかは実際に2022年初頭に消化器内科に罹らなくては、治療内容なども全く分かりませんので2022年の大きな宿題が残りました。

無くなっていく視力


現在、視力は右目が若干見えていて、左目は殆ど見えません。障害認定だと2級になります。これはベーチェット病のせいでもあるのですが、過去にこの病気により強い眼発作を起こした私のような人間は徐々に「網膜」の萎縮が起きるそうで右目が視力を失う日もそう遠くないようです。視力検査、視野検査をするたびに少しずつ視力、視野が低く狭くなっていることを眼科の主治医に伝えられます。
その度にちょっとだけ疲れるような切ない気分になりますが、ま、分かっていた事だし、こう言う人生もあるか、と最近は開き直っています。先日視覚障害者の友人がラジオで、見えないからこそ見えるものもある、と言っていました。

見えないからこそ見える、と書くと、スピリチュアル系の人の好きそうな何か素敵なパラレル・ワールドがそこに広がっているという事を言っている訳ではありませんし、
今まで感じなかった霊的なものを感じられる、という訳ではありません。少なくとも私は。そういう方もいらっしゃるかも知れませんので否定はしませんが。

そうではなく、見えないからこそ、ちょっとした人の優しさに気付いたりする事も多くなりました。

先日、白状を築きつつ、地元の駅のエレベーターに乗る時、後ろから、ある中年の女性が、ホッコリとフェードインしてきて、
「ごめんなさ〜い、私もご一緒してよろしいかしら。」
と言ってサッとエレベーターに乗り込みボタンをサッと押されました。
こういうさり気ない気遣いが出来る方は素敵だな、と思いました。

またある時は、新宿駅で、迷子になってしまいウロチョロしていたら、若い女性が、
「何かお手伝い出来る事はありませんか。」
と声を掛けて下さりお言葉に甘えて南口まで連れて行って頂きました。

そんな色々な人たちのちょっとした優しさに気づく事が多くなり、まさに今まで見えなかったものが見えるようになりました。
本当に人の出逢いとはありがたいものです。
勿論、失礼な人もいますけどね(笑)。それは見えようが見えなかろうが同じ事です。

可哀想ではないよ。


最近、とみに自分が面と向かって言われる不快な言葉があります。こんなに病気のデパートみたいな人間に対してそう思う方が自然に口にしてしまうのでしょうが。

「あなたは可哀想ね。」
「そんなに病気を持って可哀想。」
「今は膠原病でそこまで悪くなる人はいないのに、そこまで悪くなるなんて可哀想。」

とまぁ、こんな感じ。

いつも笑って
「あぁ、そうですか。ご心配ありがとうございます。」

と返答するのですか、

むむっ!

「自分は可哀想か?」

と、自問します。

愛する友人に囲まれて、
愛する人々もいて、
好きな事をして、
好きな音楽に触れて、
好きなアートに触れ、
美味しいものを食べ、
好きな風に当たることも。

そりゃあ、前述のように心が疲れてしまうこともありますが、私は自分の事を「可哀想」だと思った事は一度もありません。ほんの少し、こうだったら、自分の人生どうだっただろうと思う事はありますが、それは皆さんだって同じはず。
ただ淡々と自分に起きる事象を受け止め対処するだけです。好きなものを愛で、与えられた時間を愛するだけです。

却って、愛すべきものも無く、心地よい事もろくに知らない人の方が、「可哀想」では無いでしょうか?他人に「可哀想」と言う方は自分の方が私より「上」だと思っているのでは無いでしょうかね。そう言う言葉を他人に発してしまう方々の方が本当の意味で可哀想だと思います。

大事なものは何なのか?

私の老いた母と長電話をする度に、
「みんな人間というものは何なのかを深く考察していないのよ!」
といったことを彼女はよく言います。我が母ながら熱い人だなぁ、と思います。彼女の言わんとしている事の半分も理解出来ていないのですが、ようは一人一人全く別人格を持った人間という存在同士が関係性を築く際に、社会的立場や評価を気にし過ぎて、相手は一体どういう存在なのかと深くものを考えず短絡的に人間関係を築いて、誤解を与えたり傷つけ合ったりする事象の一つを彼女は言わんとしているのかな、と思って聞いています。
「本当に」大事なものは何なのか?という事を考えながら、自分のやるべき事を淡々と成し、新しい年を過ごしたいと思います。

最後に今年一番聴いた曲。


「From Tine 2 Time By JD 73」
夜っぽいJazzyな素敵な曲です。AtJazzレーベルから出ているようです。

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