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欠礼状

高校時代の友人から年賀状欠礼の挨拶状が届いていました。

はがきをチラ見して差出人の欄に友人の名前がないのが目に入った気がして、嘘だろうと思いながらよく見ると亡くなった方の名前が友人の名前になっていて頭から血液が一気に下がって行くのを感じました。

彼女のご家族へお礼の手紙を書き終えてから親や親戚の時には全く無かったのに不思議で信じられないほどいろいろな事を一気に思い出して涙が止まらなくなっています。

高校生の頃、とても優しくて怒った時にも優しいぐらいで、変わり者で好き嫌いの激しい自分にも笑顔で接して誰でも受け入れてくれる彼女の側にいるのが本当に大好きでした。
小さな体の彼女には苦手とする事もあったのですが彼女と一緒の側にいる誰かが自然と手を貸したり歩調を同じくしていました、自分は彼女の側で彼女の友人たちへの振る舞いを見て自然と一緒に歩きたくなる人というものを教えてもらうことが出来ました。
間違っても彼女は派手で目立つような子ではないのです。
ただ側にいると安心できて、思い出すだけでも優しい気持ちになれる穏やかな魅力を持つ子だったのです。

詳しい理由は忘れてしまったのですが彼女は仲の良い友人からひまわりと呼ばれる事がありました。
初めてそう呼ばれているのを聞いた時に彼女にぴったりだと思い、その日から今日までひまわりの花をみるたびに彼女のことを思い出さなかった事はありませんでした。

卒業後しばらくしてからヘルパーの仕事をしていると聞いた時には彼女の体では重労働だし大丈夫かなと心配でした。
最後に会った同窓会では困ったようなでも嬉しそうに「訪問する家の方が少しの時間でもお話しに来て欲しいと言われるんだよー」と言っていて疲労で倒れないか心配になりながらも「ああ、やっぱりずっと変わらないなぁ」と嬉しく思ったのです。

そんなに大好きだった彼女とも東北と関東で別れた後はものぐさを拗らせていた自分のせいで年賀状のやり取りのみが続いていました。それでも賀状にいつも添えてくれる一言が楽しみで元旦の配達をわくわくしながら待っていたのです。

ちょこちょこ思い出して会いたいなと思った事はいくらでもあります、でも次に東京行った時に年賀状の住所に突撃すれば笑いながら直ぐに出てきてくれるだろうなとメールやSNSの連絡先を交換せずにのほほんとしていました。というより、今の今まで自分の友人たちより自分が先にいなくなる事を疑っていなかったので自分が会いたいと思った時にもし住所が変わっていたとしても人づてにでもコツコツ調べていけば自分が頑張って生きていれば必ず会えるとずっと思っていたのです。

落ち着くために彼女の事をただ書き並べてみました。
今は自分が死ぬ時の事しか想像していなかった愚かさをただただ呪う事しかできません。

自分がいなくなる時の事は考えることが出来ても誰かがいなくなる事は到底今の自分には受け入れることが出来なくて考えられなかったのかもしれません。

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追伸
彼女からのハガキが届いた時にずっと花が付くことのなかった沈丁花の花に蕾が付き可愛いピンクの花を咲かせました。

沈丁花のピンクの蕾

つい先週、同じ沈丁花に真っ白な蕾が付き真っ白なお花が咲いています。

真っ白な沈丁花

ずっと不思議だったけど、さっき彼女へお花を贈って旦那様からご連絡を頂いた時のお話を聞いたことを思い出しました。
彼女の事を思い出さない日は無かったのにすっかり忘れていました。
忘れっぽいから思い出させてくれたんだね、ありがとう。家に戻ったらお花を買って飾ろうと思います。
小ぶりで可愛いひまわりの花を。

(2023.3.14 加筆)

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