その2 旅バカのDNA
今日は。毎度お世話になっております。
今回はバカ旅や散歩をする影響を受けた母の話でもしようかと思います。
数年前に亡くなった母は、結婚する前は仕事の合間に私同様貯金しては旅に出たり、遠出や散歩をしていたそうです。
小さい頃年に一回家族旅行に行っていたのですが、どうも計画と切符の手配は全て母がやっていたようです。
というのも時刻表がいつも家には有ったのですが、父は読み方がわからないため使っている姿は見たことがないのです。
自分も電車図鑑片手に見たものの、どこにその電車があるかわからず面白くなかったのですが、母はあっさりその電車の時刻表を探し出してくれたことがあります。
そのときに時刻表の読み方を教えてもらった記憶があります。
今ではネットで列車の乗り継ぎ検索が出てしまうので使う機会はほぼないのですが、たまに地方を旅するときに時刻表がこれを張ってある場合があるので、覚えていてよかったと思っています。
母はまだ女一人旅が厳しい時代から先駆者の一人で、この方の旅の極意をいくつか教えてもらっています。
「宿は観光協会のデスクを着いたら調べて掛け合う。大きい駅には駅構内にこのデスクは必ずある。どんなに満室でも女性一人だと何とかして宿泊先を確保してくれるから行くべし。連泊するなら値段の交渉もできる」
「古い温泉郷は女性一人だと空室でも泊めてくれない。早々に諦めて他を当たれ」
「何故一人旅だと泊めてくれないのは、傷心旅行で行く人が多かったから。演歌の影響も大きかったからな。。。」
「一人旅の旅館の料金は二人分支払う。予算をだす時の参考にしろ」
「現地で声をかけてきた人は付いていくのは止めとけ。胡散臭いし、何されるかわからん」
「飛行機より夜行列車の方が旅行は楽しいよ」(母の死後、彼女がブルートレインで札幌~鹿児島間制覇していた事実が判明。専業主婦で何しとる 笑)
ちなみにいくつかはイタリア貧乏旅行で実践し、生前の母の肝を潰しました。
そんなDNAは妹には引き継がず、私になぜが引き継がれてます。
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