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その101 母は観劇に、娘は仕事しに。

こんにちは。
久々に明治神宮へ歩きに行ったら、芝生広場への道がふさがっていました。
以前の緊急事態宣言で閉められていたのでやはりかと思っていましたが、今回舗装道路部分を全て閉められているので、通り抜けるには玉砂利が歩きずらいです。。。
うう、足に何かが飛び込んでくるよう( ;∀;)
それでも新宿から原宿方面へ抜けるとき、明治神宮をショートカットに使うのは健康上にも時間的にも便利な事実を広めたいと思う今日この頃です。
参宮橋口からですと、15分ほどで抜けられますから便利ですよ。

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またまた自宅に引きこもりの日々が続いていますが、図書館の本を返却しないといけないこともあり、日比谷に出たついでに銀座を歩いてみました。
銀座をふらふら路地裏をあみだくじのように歩いて、まだ道が残っているか確認したかったのもあります。

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思えば私は高校時代に初めて自力で銀座に来てから、色々な理由で歩き回った街です。最初は山野楽器とヤマハ本店へ、楽譜やら道具を買いに来たのが始まりです。

当時母は都内のどの繁華街へ女子高校生が一人で歩き回るのはやめろと怒っていました。
近所の新宿南口から東口に比べると銀座はきらびやかで危ない雰囲気はないのになあと、本店では安定供給されている練習曲やCDを買いつつ疑問に思っていました。
その後仕事場として銀座を歩き回って、やっと母の言っていた「危ない」の意味がみえてきたのでした。
裏通りのクラブ街、路地裏にぼんやり看板がみえるスナックやバー、今は整備されているが、働き始めたときはまだその名残のあったコリドー街。
そしてどこへつながっているのか行ってみないとわからない路地裏が広がっていました。

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ある日、私が小さいときから母はあまり銀座へ買い物や遊びに行っていなかったのに銀座界隈に詳しいことにあるとき気づいたのです。
地下鉄の銀座駅の複雑さは新宿のそれよりも方向感覚を失うのに、母は迷わず目的地近くの出口にたどり着けるのです。
喫茶店や甘味処も押さえている母に聞いてみたところ、若いころよく来ていたからだと話し出したのでした。

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母は仕事の休みの日に来ては、映画や宝塚、歌舞伎を観に行っていたそうで、コツコツ貯金を貯めては三愛でワンピースを買ったりしていたとのことでした。
ちょっと待て(。-`ω-)
母よ、中学卒業してから住み込みで働きつつ資格を取るために学校へ通っていたのに、そんな頻繁に観劇へ行けたんだ?
曰く、お客さんからまだ若かった母に沢山招待券を貰っていたそうで、それを持って行っていたそうな。ちなみにあまり私たち姉妹は興味がなかった宝塚も、観ていた記憶がないのに妙に詳しかったのもそのためのようでした。
「いやあ、本当に楽しかったわあ(*´▽`*)」
とのこと。

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昔、もう今はない三信ビル(今は日比谷ミッドタウン)にあったアメリカン・ファーマシーに母と行ったとき、「なつかしいわあ。昔もここにあったのよねー(*´▽`*)」と店内をぐるぐる見て回っていました。
去年久々に食べに行こうとした銀座かの子がなかったのには衝撃でした。
母から観劇後にここで粟ぜんざい食べていたと、そんな話をしながら私を連れてはいったところでした。

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母にとっては青春が、私にとっては仕事場があった銀座界隈。

路地裏全滅になっていないか心配しながら歩きつつ、母を思い出しながら歩いたその日は母の日でした。

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