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その87 まるで過去と現在のすり合わせるようで。

こんにちは。
一族の一月恒例行事、京王百貨店の駅弁大会への買い出しの季節になりました。妹は開催されることを知らなかったようで、ひたすらTwitterの遅延情報を妹のLINEに流す作業をしていました。
私は今回有田焼の器に入ったカレーを買って帰りました。とてもおいしいビーフカレーでした。器の牛柄もかわいい( *´艸`)
次に狙うは展示替え後の佐賀の小城羊羹だなあと妹に連絡しつつ考える今日この頃です。

前回のまとめ。秩父は墓参りしかしてないのはなぜだろう。

私が最後に秩父へ行ったのは4年前、小さいころから気になっていた「秩父三社」をお参りに行ってから足を踏み入れてませんでした。

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去年の12月、秩父ファンクラブのオリジナルマップ作製のイベントに参加しました。この時初めて秩父市を車で回りました。ほぼ家族で来たときは駅と霊園往復のみだったので興味深かったです。

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移動中の車の中で昔の秩父の話になった時、ある違和感の正体がわかりました。
それは何年か墓参りに行ってなかった時期に久々についてきたときのことです。タクシーで霊園に移動しているとき、この道昔通ったかなあと思った箇所があったのです。新しい道ができたのかな?と思っていたのですが、そうではなく、コンクリート工場が移転したためだという話しでした。

そうでした、私が小さいころ来た時には両サイドに銀色の管が伸びていて、コンクリートミキサーと大型トラック、大きな砂山があった場所がありました。その工場がなくなり、今はショッピングセンターになっていたから違和感があったのです。

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また昼になると爆発音がお墓にいるときに聞こえてきたのは、武甲山でダイナマイトを仕掛けていたため、12時30分ごろにいつも発破していたとのことでした。今は昔と異なり表面ではなく内部で発破しているそうです。
そういえば大人たちがそんなことを言いながら、武甲山をみていたことがあった記憶がありました。

秩父の産業で武甲山のコンクリートの採掘の前は養蚕と織物が有名で、機織り機の音が響いていたという話で、そういえば西武秩父駅のお土産に昔は蚕のまゆを使った細工物が多かった記憶もよみがえりました。今は食品と飲料が多くて見かけた記憶がありませんでした。

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こうしてお話を聞いているだけでもいろいろ変化をしている秩父の姿に、また墓参りとは別の方面から眺める機会になるのは嬉しいなあと思う一日でした。

これからイベントに参加して来たら、今の秩父の姿をお届けしたいと思います。

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