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【当たり前の日常】を送るということ


これまでの人生、
人を傷つけたことが沢山ある。
もう二度と取り消せない数え切れないくらいの後悔がある。

過去、どん底にいた私を何の見返りもなく
助けてくれた人たちが居た。
自分たちの生活に招き入れてくれて
私の居場所をつくってくれた。
多くの貴重な時間やお金を、あたたかい言葉を
沢山たくさん注いでくれた。
様々な豊かな心を教えてもらった。
人と人との繋がりのあたたかさに気づく心を学ばせてもらった。
愛とは、こんなにも深くて静かなものなのかと触れることができた。


私はそれを全部裏切った。


その人たちの大切なものを踏みにじって
守りたいものを傷つけて、これまで築き上げてきたものをぐちゃぐちゃにした。

当時の私は自己保身のことしか頭になかった。
自分の行動によってどんな影響があるか
考えてもいなかった。
結果、恩を仇で返すという
最悪の最後になった。


でも私は生きている。
毎日あたたかいご飯を食べてお風呂に入ることもできて、会いたい人たちがいて帰るべき家もある。
のうのうと悠々自適な生活をして、今もなお笑っている。


された側はずっと覚えている。
いじめや事件など
被害者はずっと消えない傷として残るが、加害者側は被害者と比べてダメージや傷が小さいということが、綺麗事を抜きにすると
世の中少なくないんじゃないかと思う。


私は加害者側の人間であることを忘れない。
一生、その過去は変わらないから。

もう助けてくれた人たちに直接的な恩返しをすることはできない。
この先会えることも多分ない。
けれど、もし万が一にでも
会うことができる日が来るんだとしたら、
精一杯、自分の中での最大限を尽くして生きようと思う。

当たり前に働き、当たり前にご飯を食べて、
自分の足で立って普通の生活を送る。
今できていない部分を見つめて
前に進んでいきたい。


私は沢山の人に支えられて生きてきた。
言葉ひとつ、表情ひとつ、
何気ない一瞬に救われたことが数多くある。
そしてこれからも、目に見えるものから気づかないものまで沢山の人に支えられながら生きていくのだと思う。


私も何か返せる瞬間があるんだろうか。
支えるとかそんな大層なものじゃなくて、
何かしら誰かしらに寄り添うということ。
癒す力はないとしても、誰かの痛みに気づくことくらいはできるかもしれない。
その人が求めているものを渡せないとしても、自分なりに向き合うことはできるかもしれない。
日常から逃げずに、周りの人を大切にできるように、たまに不正解を選びながら
泥臭く足掻いて生きていきたいと強く思う。


🌸🌸🌸

ここまで読んでくださった皆さん
ありがとうございます!

全体的にも締めくくり方も暗くなってしまって…もし重い気持ちになってしまった方が居たらすみません💦

ただ、これが現段階での私の率直な気持ちで
noteを通して未来の自分へ約束したいと思い、投稿させていただきました。

今読んでくださっている皆さんと何か言葉ひとつでもリンクする部分だったり、少しでも共感できる部分があったとしたらとっても嬉しいです。

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