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2023/2/22 感動

特に今日は書くことが無いから昨晩のツイートの深掘りでもしようかな。完全に蛇足だけど。

僕は中高生ぐらいの頃、自分は泣かないのだと思ってた。「俺、感情が無いんだ…」とまではいかないけど、そうそう泣く事もないだろくらいのアレである。しかし大学生になって映画を見始めると、自分はちょっとした事でボロボロと泣いてしまうむしろ涙脆いタイプだったって事が分かった。

そんな涙脆い僕だけど、映画を観ていると不思議な感覚に出逢うことが度々ある。“凄く感動しているけど泣けない“という時と、“意味も分からず泣いている“という時だ。

前者は主に“本当に好きな映画“を観ている時になりがちである。なんだか、泣くとかそういうレベルを超えて全てを五感で感じ取り、全身で見届けたいという気持ちになり、ただ真っ直ぐ画面を見ている状態になる。そういう映画を観ている時、身体は痺れ、少し浮遊するような感覚を得る。濱口竜介監督の『親密さ』や『PASSION』、『ハッピーアワー』等を観ている時がコレだったな。

後者はなんだろう…。自分でもよくわかんないんだよな。恐らく映画は総合芸術だから、泣けるようなタイミングや話じゃなくても、絵や音楽、カメラの動き、役者の目線、色んな要素で感動する窓口があると思う。だから、自分でも感知出来ていない角度で感動させられているんだろうなって思う。思うだけだが…。『ラストレター』とか観てる時がコレだったな。話どうこうよりも、画面から滲み出る郷愁感にやられ、変なタイミングでめちゃくちゃ泣いちゃった。

勿論ストレートにここ!ってタイミングで感動して泣く事も度々あるし、そういう映画も大好きだ。『ハロー!?ゴースト』を観た時とかまさにやられたって感じだったな。明らかに“泣き“のタイミングでボロボロ泣いちゃって悔しかった。

「なんだか泣けなかったな〜」と思っても、それは“=感動出来なかった“では無いのだという事を大事にしていたい。

Filmarks、大した事書いてないけどもしよければフォローしてね。

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