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2023/12/5 透明な温度

朝起きて、チバユウスケの死を知る。

外は曇っていた。とても寒い。

チバユウスケとの出会いは、親の車の後部座席だった。当時、まだ特に音楽の事などあまり知らない僕は父親の流す知らない色んな曲を知らないなりに楽しく聴いていた。その中に彼の曲が幾つか入っていた……と思う。正直その辺はあまり詳しく覚えてない。ともかく、気付いたら僕は彼を、彼の声を知っていた。

中学生になりロックバンドに興味を持ち、YouTubeやTSUTAYAで色々見ているうちにThe Birthdayの『さよなら最終兵器』や『ROKA』を聴いた。知っている声だった。そこから彼の来歴を遡りTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTを知った。ライブ映像を食い入るように観たりしていた。

高校生になり、人生で初めてのライブフェス『京都大作戦』に友達と行った。The Birthdayが出演していた。「なんか知ってるバンドやし見ておこう!」くらいの気持ちで前の方に行き待機していた記憶がある。暫くしてチバユウスケが登場。曲が始まる。彼の声がマイクを通した時、なぜか僕は涙が溢れだした。

僕にとってのチバユウスケの思い出は、そのくらいのものだ。結局それ以来The Birthdayのライブを観る機会はなかったし、音源をちゃんと追っているわけでもなかった。

僕は軽音部に入り色んなバンドを知った。色んなジャンルの曲を聴いた。

でも、その中でも今日はミッシェルの気分だな〜とか、The Birthdayだな〜とか思って聴く日は確かにあった。ROSSOの音源は手元に無かったのでYouTubeで聴くしかなかったが…。ともかく、そうやってくっ付くでもなく、離れるでもなく彼の音楽と歩んできた日々だった。映画『青い春』を観た時はミッシェルの曲が使われてて、とてもテンションが上がった記憶がある。

今朝訃報を知って僕は「残念だけど、きっと天晴れなロック人生だったのだろう」と思った。悲しむよりも酒を飲んで送り出すのが良いだろうと、そう思った。

でも、1人になって『シャロン』を聴いていると涙が出てきた。そして心身ともにグッタリとして動けなくなった。想像以上にチバユウスケは僕にとって大きな存在だったのかもしれない。

チバユウスケはいかにもロックスター然とした佇まいだが、意外とチャーミングで、彼の書く詩もとてもロマンチックで美しく、そしてどこか生活感がある。そこがとても好きだった。父親が昔「大概のアーティストの歌詞はしょうもないけど、チバユウスケの書く詩は格好良い」と言っていた。言っていた気がする。多分。おそらく。言ってなかったらごめん。でも、僕も「分かる!」って思った記憶があるので、きっとそういう事を言っていたのだと思う。今でも僕もそう思う。

今日は近所のイタリア料理店で晩飯を食べた。僕が『ILLUSTRATION 2024』に掲載された記念のお祝いだ。お酒も料理もとても美味しかった。ロックスターが死んでも、僕の生活は続いていく。続いていくから飯も食うし、仕事もする。ロックスターが死んだのに。そうやって続いていく。そうやって、続いていくのだ。

今夜は彼の曲を聴いて眠る。

さようなら。彼は僕にとって世界一のロックスターでした。世界一の詩人でした。

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