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2023/4/21 怒りの行方

僕は怒った事が無い。

イライラした事とか、うんざりした事とか、細かい事を言い出すと多分色々あるんだけど、ちゃんと激昂したり怒鳴ったりした記憶はほぼ皆無に近い。

反抗期も無かったし、喧嘩も全然した事無い。

“人に期待していないが故に怒る事も注意する事も無い“、というのは結構ある話だと思うし、僕もその感覚は非常によく分かる。どうせ話しても無駄だなと思ったら早々に諦めてしまうしな。

でもそれ以上に、僕は僕に期待していない。という感覚がある。つまり、僕の意志や主張なんて自分ですら信用してないのに、人に押し付ける事なんて出来やしない。と自分で思い込んでいる節があるのだ。だからすぐに自分自身の事も諦めてしまうし、それで損する事があっても仕方がないと思ってしまう。

だからと言って、別に全てを諦めているわけでもないし、嫌なことや悪意に触れると確実にストレスは溜まっている…と思う。本来怒ったり泣き喚いたりして消化される筈のその蓄積は何処に行ったのだろう。僕はその行方を知らない。何か自分の知らないうちにストレス発散が出来ているのだろうか。もしくはただ今も蓄積されてるだけでいつか破裂して僕は狂ってしまうのだろうか。

いつから僕はこんな感じなのだろう。小学生の時点で既に人に怒れないという感覚はあったと思う。何か理不尽な目にあっても、ただ家で泣いているだけの子供だった。この頃から僕は僕を守るために、“自分を信用しない“という手段を取るようになっていったのかな。

時々怒れる人が羨ましく感じる時もある。自分の主張をそこまで自分で強く信じられるのか…と。こういうふうに書くとなんだか嫌味っぽいが、その信じられる力はそれはそれできっと素晴らしい事だし、健康的だと思う。

僕が“人がブチギレてる映画“が好きなのはそういう理由なのかもな。僕の代わりに何かこの世界の理不尽に、人間関係の面倒臭さに怒ってくれている人がいて、それを観て癒されているのだ。きっと。

自分の事って全然分からないから「〜なのかな。」「きっと〜なんだろう。」みたいな物凄い他人事みたいな文章になってしまうな。そういう部分でも自分という存在の信用出来なさに恐ろしさを感じる。

でも自分の事分かってる人なんてそんなに居ないような気もするし、案外そんなものなのかもしれないって思ったりはする。

絵を描きました。見てね。

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