追記:このタイミングの安倍さん批判について思ったこと


思ったことというか、一瞬ぶち切れて、その後サヨナラ……と思ったこと。
安倍さんについて書いた記事の追記。

私は「奈良に献花に行きましたよ」ということをTwitterに書いていて、その時にも、そしてその後にnoteの記事をアップした時にも、フォロワーさん・読者の方からいろいろ反応をもらった。
DMやメールでも感想や御礼の言葉をいただくという、稀にある反響の大きい記事になったのだけど、それだけに、安倍さんを嫌いな人からももろもろリアクションがあった。

noteを書く前の段階から。
対面してわざわざ悪口を言う人はいないので、主にネット上というか私の主要SNSであるTwitterでの話なのだが、献花に行ったよという私に、当てつけのように「安倍さんてなんか日本の役に立ったの? 全然理解できないんだけど」みたいな呟きをぶつけて来たり。
もちろんnoteで長々と哀悼の意を示した後も。
直接、ストレートに私あてで言われた(書かれた)こともあるし、私あてではないけど、明らかに私に向けて言ってるよねこれ、という隠れ悪口のこともある。
@で自分が指定されていなくても、「これ俺に向けて言ってるなこの人」っていうのは、わかるよ全部。繋がりが太くてしょっちゅうやり取りしてる人が、私が献花うんぬんの投稿をしたすぐ後に「安倍の功績とかまじでなんかあったのww?」とか書いたら、どう考えても99%……いや、100%私への対抗だなということはわかる。しかもフォロー20人とかの人。その人がTwitterを開いた瞬間に私の投稿が目に入るはずだ。それで、直後に書くのである。ああ自分あてに言ってるんだなこの人、っていうのはわかるよ。
そもそも私に直接DMやリプも来るのだから、そっちは500%私に向けての(安倍さんの)文句だとわかる。

これは、心底理解できないと思った。
違う宇宙に住んでいる人だなと。

好き嫌いがあるのは当然なのだよ。そして、支持政党が違うのも当然だよ。
政治なんて正解のない世界なのだから、私とあなたの好きな政治家や護憲か改憲かやこの政策は許せるか許せないか、そういう対立があるのも当たり前だ。
そして、それを言うのも自由である。社会主義国家じゃないんだから。

しかし、「このタイミングで私に言って来る」という世界が、私には理解不能なのである。
私は献花に行ったと書いているのだ。
静岡県に住んでいるのにわざわざ奈良まで日帰りで献花に行く人が、安倍さんにどういう思いを持っているかというのはわかるだろう。というか悲しいとか喪失感がすごいとか実際書いている。
その、家族でも知り合いでもないとはいえ、それでも「尊敬していた人がほんの数日前に突然殺されてしまってとても悲しんでいる」という状態の人間に、その悲しんでいる対象の悪口を言うか??

私は安倍さんを支持する人なので、逆に、安倍政権に挟まれた旧民主党政権などは全然支持していない。
「子ども手当やります。財源なんて埋蔵金が10兆円あるはずだから余裕です!」からの「やっぱり財源ないから無理でした」、「普天間基地は最低でも県外です!」からの「不勉強でした。やっぱり県内です」、ただの公開パワハラでいじめにしか見えなかった事業仕分けパフォーマンス、そして各議員が安倍さんその他与党を責める時の口の汚さと態度の悪さ(野田さんは例外的に上品)。
からして私は個人的にまったく民主党系の議員さんを好きではない。

が、例えば鳩山さんや、容姿を含めて安倍さんを人格攻撃・誹謗中傷するような投稿ばっかしている小西洋之議員が事故で亡くなったとしよう。
その時に、私の知り合いの鳩山さんファン、小西さんの支持者が悲しんでいたら、私はその人に向けて鳩山さん小西さんの批判なんて絶対言わない。
100%じゃなくても「この人が自分の書き込みを目にする確率は30%くらいはあるな」と思ったら、その人あてじゃなくても、亡くなった人をその直後に悪く言う文章なんて書かない。ましてや、突然殺されたという時に。
だって、好きな人が死んでしまって悲しい時に、その人を悪く言う文章を目にしたら辛いじゃないか。

安倍さんを批判しちゃいけない、じゃない。
政治家は公人であると言われるのだから、批判していいのだ。
しかしその人が悲劇的な死を迎えて、まだその直後で心の整理もつかずすごく悲しんでいる支持者に対して、その相手の悪口を言うかっていう。
なんの意味があるの? 「あ、なるほど、その悪口は的を得ていますね、では悲しむのもやめるし支持もやめます、やっぱり安倍さん大嫌い!」って、なると思うのか? ただ人を嫌な気持ちにさせる、以外のなんの効果があるんだそれに?

亡くなったのが誰でも関係ないと思うのだよ。
嫌いな政治家とかでなくても、例えばそれこそ統一教会の悪徳幹部が亡くなったとして、それを私の知人がすごく悲しんで凹んでいたとしたら、私はいくらその幹部が悪い奴で犯罪者だと思っていても、知人の目の届くところでは言わないよ。言えないだろう普通!
せめて喪が明けてその人がある程度ショックから立ち直るまでは待つ。いや、Aさんが亡くなったことをBさんが悲しんでいるとして、たとえ何年も経ったとしても、私には「Aさんの批判を直接Bさん相手に言っちゃう」という選択肢はないな。
だって「好きな人が亡くなって悲しい」っていうのは、人の感情の中でも特別に神聖というか、どんな経緯があろうとそこは他人が侵しちゃいけない部分じゃないか。それは人類共通で守り合わなければいけない感情じゃないのか。

しつこく言うが、批判しちゃダメと言うのじゃないのだ。
生前はもちろん、亡くなってもある程度時間が経てば支持者を前にして批判するのも許されるべきかとも思うし(相手が許すかどうかは別として)、亡くなった直後でも同じ意見の人同士でこっそり悪口言うのは別に勝手だと思うし、評論家みたいな人が記事として書くのもいちいち「もしかして不快になる読者が」とか考えてられないだろうから仕方ないと思う。
しかしAさんの突然の死で心底悲しんでいる人に、そのAさんが殺されたたった数日後に個人的にAさんの悪口を言うなっていうの。そんな言論の自由は人間界にないわ。

この時期、私と同じように知人やSNSフレンドから嫌がらせを受けている(やってる方は嫌がらせとは思っておらず論戦でも仕掛けてるつもりだろうが実際はただのモンスター)人が、日本中で無数にいるはず。
安倍さんと付き合いの深かった、国際政治学者の三浦瑠麗さんが書いた追悼メッセージにもたくさん、安倍さんおよび三浦さんをけなすリプがついていた。
なんという下劣極まりない人間どもかと。
嫌いなのは自由だしどう思うのも自由だけど、そのタイミングでその相手に「俺は嫌いだ」と言っちゃえるっていう。人をイヤな気持ちにさせる以外に本当にまったくなんの意味も無い……、まあ人を不快な気持ちにさせたいという意味を込めてやってるのだろうな……。

私の選択肢としてはどんなに嫌いな相手だったとしてもそのような行動を取る選択は生まれない。
その私には理解できない、私の信条からしたら軽蔑する行動を取る人とは金輪際関わりたくないので、別に今後関わる可能性がないとしても誰かにそういうリプをする人は片っ端からブロックしたし、今回私に向けてそういうことをやって来た人も長い付き合いはあってもブロックした。
子どものおもちゃを、どれだけ子どもがそれを大事に思っているかも考えずに「こんなのガラクタじゃん」と言って捨てる親じゃないか。
自分が大事でないものならば、誰かがすごく大事に思っていても邪険に扱っていいと思っているのか。せめて、時や場所を選べないのか。そして人の気持ちを考えられないのか?
ほんとにそういう人とは関わりたくない、感覚的にお互い理解できない、我々は住む世界が違うようなので一生別々に生きて行きましょう、さよなら。
という心境であった。

きっと私にブロックされた人は、「ブロックされています」という画像つきで「うわ、いきなりブロックwww ネトウヨって議論もできないのかよww 安倍信者らしいわww」とか書いているのだろうな。
でもそういうことじゃないのだけどな。
今まで政治論争なんて1度も仕掛けて来たことなかったくせに、1番人が凹んでいて1番イヤなタイミングでそういうことをする人間と関わりたくないだけだ。人の気持を慮って行動できない奴と関わったら、繰り返し不愉快な目に遭わされるだけだから。
終わり!



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