『聖なる怠け者の冒険』森見登美彦

 ヒーローが怠けてはいけないと誰が決めた。この物語はダラダラと怠けることを正面から肯定する。土曜日の昼過ぎに起き、王様のブランチを見ながらブランチとも言いがたい朝食を食べ、定期購読しているブログを巡っているとすぐに夕暮れが訪れている。そんなありふれた休日ながら心のどこかで抱く罪悪感に真正面から立ち向かう主人公、小野田くんに救われた気分になる。

 そんな小野田くんは怠けながらも世界を救う。それも意図せず周りの人間を巻き込みながら。森見登美彦の物語はスケールが大きいのか小さいのかわからないものが多い。この本を読み終わって森見のデビュー作である『太陽の塔』を思い出した。これも冴えない腐れ大学生が京都の街を塗り替えていくような話だったような気がする。それでも以前のものより主人公の内面に潜む鬱屈としたエネルギーが薄くなっているように見える。怠けているのと鬱屈としたエネルギーを抱えていることは紙一重なんだろうか。外側から見た姿はどちらも同じようになんの行動も起こさずにその場に留まっているだけなんだろう。

 それでも森見世界の登場人物たちはどこかのタイミングで少しだけ決断をして前に進む。怠けることを肯定したまま、動くことを選択する。人間は怠惰で怠けたくて、眠たい。それでも本質はそれだけではない。動きたくもなったりする。そしてぐずぐずとでも動き出したら思いの外いい結果が待っていたりもする。例えご都合主義だとしても。だから僕は森見登美彦という作家が好きだ。

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