2/24ふくしのおはなし会


かなえさんが普段関わっているある利用者さんのお話になった。


その人は、周りの人の目を引こうとして、「けいれん発作」が起きたかのようにふるまい、職員さんを困らせてしまうことがあるらしい。

精神障害があり、かなえさんが仕事している施設に通所している。


その人は、どういう気持ちでそういう行動をするのか。

その行動に対して、職員はなにが困るのか。

そういうことはもちろん考えなければいけないが、かなえさんや職員さんたちはすでに十分考えていることと思う。


お話を聞いていて、私(山口)が思ったことを書いてみる。

私も障害の人を地域で支援してきて、いろんな「問題行動」をする人がいて、けれど行動を点でみるのではなく、なぜするのか、なにか満たされない思いがあるのではないかと、線や面で考えるよう意識してきた。

しかし、こうした教科書的な支援の原則というのは、「支援者もまた感情や性格があり、自分の生活がある」という観点がやや抜けている、と私は思っている。

要は、利用者に対し苦手意識を抱くことは、支援者として自然なことだということ。

けれど、社会福祉というのは、苦手だからと言って、支援を提供しないわけにはいかない。

ここに、現場的な難しさがある。


ちょっと堅い話をすることを許してほしい。

昔に比べると、日本の福祉は体系的に発展してきた。かなえさんが話してくれた利用者さんが通う施設は障害者総合支援法という法律に基づく「生活介護」という通所系サービスにあたる。それ以外に、グループホームや、相談支援、ヘルパーさんなど、いろんなサービスが受けられるようになった。ほとんどの人がお金もかからず利用できる。本人や家族にとって、昔に比べたら、「便利」になってることは確かだと思う。

一方で。東京都の研修に参加したとき、ある人がこうしたサービスを「福祉の檻」と表現していた。便利ならそれでいいのかもしれないが、支援者が本来やるべき仕事とは、福祉的な保護的環境下で温かく優しくかかわることだけではなく、地域や一般社会との懸け橋になることであり、障害者などと関わったことのない人に理解(合理的配慮)を求めていくことも重要な役割だろう。というか、後者のほうが本来的には重要なはずだ。

「福祉の檻」を、少しずつ外していくためにどうしたらいいか。どういう工夫や実践が必要なのか。


私も、苦手な利用者がいる。もちろん、必要な支援はやってきた。苦手だからと言って、本人の不利益になるようなことはしない。

けど、じゃあその人と、仕事以外で関われるかというと、無理だ。(苦笑)

福祉以外では、関われない。
うーん。それでいいのだろうか。

このへんで、けっこう悩む。。


おはなし会のあるメンバーからは、

わたしも、心配してほしい、かまってほしい、周りの気を引きたい気持ちがある。その利用者のことを聞いて、他人事とは思えない。個性として、認め合えたらいい。そのように言ってくれた。

かなえさんが関わっているその利用者さんが、こういう姿勢で向き合ってくれる友だちに出会えたら、その人の生活はさらに豊かになるよなーと思った。


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