手紙は私の人生のログインボーナスになった

前回 → https://note.com/sakuro_f/n/nd9e3d83cd60f

予期せぬ事態が起こった。手紙の返事が来た。
どうしようめちゃくちゃ嬉しい。本当に来たのか?夢じゃないよな?

ポストからすぐ手紙を抜き出し、急いで家に入ってハサミで封を開けた。
内容自体はいたって普通で、「私も手紙を書いてみようと思います」から始まり、最近の近況や正しい住所が書かれていた。
どうやら私が教えてもらった住所は途中までだったらしい。
住所途中までしか教えないってどういうことだよ。

色々突っ込みどころのある内容であったが、とにかく返事が返ってきたということが嬉しすぎてたまらなかった。その日、私は急いで便箋を用意して返事を書いた。

さて、あれからもう半年以上経った。
手紙を書くのも慣れてきたし、少し改まった手紙も書けるようになった。
「習うより慣れろ」とは言ったもんだ。
最近はコロナ前と同じようにSNSを利用するし、オンラインコミュニケーションは相変わらず得意ではないが、まあそれ相応に利用している。文通と比べると「便利だなあ」と思うこともしばしばある。

文通はSNS等のオンラインコミュニケーションと比べて、コミュニケーションの進みが遅い。SNSで1秒で届くメッセージは、文通になると早くても約2日かかる。「明日飲みに行こうよ」とか、そういった即返答を求めるコミュニケーションは一切できない。
加えて、相手がそのメッセージを受け取ったのかはこちらでは確認ができない。重要度の高い、必ず相手に伝えねばならない連絡をするには少し心配かもしれない。
そして一番の問題は、一回のコミュニケーションにかかる費用が高い。SNS等であればたかだかうん円くらいの料金が、手紙になっただけで最低84円かかる。この差はでかい。本当にでかい。

それでも。
既読をつけてしまったことに焦りを感じることはない。
相手と話がすれ違ったり、話題が目まぐるしく変わって疲れることもない。
一方的に書いて送り付けることができてしまうから、相手の出方を考えて書く必要もない。なんなら、自分が書いた内容も文章も自分の手元には残らない。
「返ってくること」を前提としないから、「返事まだかな」と待つ必要もない。
そのまま忘れてしまってもいいし、忘れたころに返事が来た場合には人生のログインボーナスにすら感じる。

そう、手紙は私の人生のログインボーナスになった。
ポストに届いた私宛の手紙は私だけのために書かれたもので、相手が私の為だけに手間をかけて一文字一文字書いて、私の為だけに84円をわざわざ払ってくれたのである。
大げさかと思うかもしれない。
でも、心の底から私の為に書かれた手紙はどれだけ金を積んだって買えない。
そんなものが一週間に一度の頻度でもらえているのだから、これだけで「次はどんな話が来るんだろう」と明日に楽しみを見出せる。
それが、私にとってはとてもありがたかった。
定期的に手紙を返してくれる友人たちにはとても感謝している。

いつかコロナがおさまり毎日出かけて友人たちに会えることになっても、思い出せる限りは文通を続けていきたい。
たとえ友人たちが返してくれなくなっても、その時はきっと定期的に自分の近況を送ることになるんだろう。
でもそれを知ることを相手に強いることもないし、相手が知っているかなどこっちにはわからない。
例えばもしそれをきっかけに連絡をくれたりしたら、これ以上に嬉しいこともない。最高の人生のログインボーナスだろう。


これは、そんなことすら忘れてしまったいつかの自分への手紙。


忘れっぽい自分
前略 手紙は、ちょっと時間がかかりますが、大切なことからちょっとしたくだらない話、最近あった面白いことなど、そんな些細なことでも書きたいように書いて送ることできます。書き方にマナーはあるけど、調べれば出てくるし、相手が親しい人達であればさして気にする必要もありません。
相手に見ることを強いることもない。相手が見ていてもわからない。
返ってくるかはわかりません。でも返ってきたらとても嬉しい。
自分の身勝手に「自分の存在」を伝えることができる、そんな素敵なものです。

もし、あなたが今文通をしていないのなら、ちょっとでも時間の余裕があるのなら。たとえばちょっと疎遠になってしまった誰か宛にでも、
文通、始めてみませんか?
                               草々
                           かつての自分


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