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【vol.10】和太鼓グループ『批魅鼓』会長 山𥔎浩昌さん 「太鼓の可能性は無限、メンバーの心を一つに、前へ」

 さいたま市を拠点に活動している『批魅鼓(ヒミコ)』は昨年結成30周年を迎えた。〝アマチュア以上プロ未満〟の演奏を目標に掲げ、観客を魅了してやまない高度なアンサンブルによる合奏、バチ回し・バチ投げのパフォーマンス…コロナ収束後の舞台に向け、日々練習を積み重ねている。6月27日には、今年の公演第2弾となる「SaCLaアーツコンサート・夏 和太鼓・批魅鼓公演2021」(市民会館いわつき ホール)の開催を控える。会全体の活動運営を担う2代目会長・山𥔎浩昌さんに、和太鼓とメンバーへの思い、コロナ禍での活動についてお話をうかがった。

 お腹の底にズンと響く重厚感がありながらも弾むようなリズミカルな演奏、くるくると回転し飛び交うバチ── 。コロナ禍の2021年4月24日、さいたま市民会館おおみや大ホールでのチャリティ公演会の演奏はまさに息をのむ40分だった。
「今年に入ってやっと2本目の公演でした。例年40〜50本の公演がありますが、コロナ禍で去年は10本のみ。予定していた創立30周年コンサートも延期になっています」

結成後わずか7年で海外公演を果たす

 1990年1月に結成した『批魅鼓』。結成後6年間の地道な活動ののち、1996年にプロの津軽三味線奏者と出会い、尺八・篠笛を交えた日本伝統楽器合奏集団『津軽の鼓動』のコラボレーションに参加する。新宿コマ劇場でのデビューを皮切りに、国内での演奏活動のほか、シンガポール、南アフリカ共和国、スペイン、オーストラリア、中国における海外公演も果たした。

「自分は新宿コマ劇場でのデビュー公演の2カ月前にメンバーになったのですが、竹太鼓の担当でいきなり大舞台に立つことに。戸惑いましたけど、貴重な経験でした」

 『批魅鼓』のメンバーになったのは28歳の時。学生時代、近所の公園から聞こえてくる盆踊りの太鼓の音に惹かれ、自分もいつかやぐらの上で太鼓を叩いてみたいと自然に思うように。高校時代、仲間とのバンドでドラムを担当し、川口市の会社に勤めていた母親から和太鼓の話をたびたび聞かされていたこともきっかけになった。
「川口は鋳物の街で、火を扱う鋳物職人が安全を祈願するために稲荷神社で奉納太鼓として叩いたことを起源とする初午(はつうま)太鼓が起こり、太鼓のチームが多いと聞いていました」

 当時の『批魅鼓』は小・中学生・高校生・大学生の学生が主体のチームで、「基本は若い女性が中心。また、自分はすでに20代後半だったためにスムーズにメンバーになれなかったんです」。しかしやっと探し出したチーム、何が何でも入ってやろうと、渋い顔をされても食い下がり演奏を見学させてもらううちに、「盆踊りの和太鼓くらいしか知らなかったが、持っていた伝統的なイメージが一気に覆された。太鼓でこれほど音楽的な表現ができるものなのか…」と。

 パート分けされた合奏形式や、さまざまな種類・大きさの太鼓で音質・音階を変えるなど、音楽的に可能性のある楽器であることを知り、一層太鼓への情熱が高まっていった。晴れて『批魅鼓』に入会。自動車メーカーに勤務しながらの活動で、仲間からは「サラリーマン太鼓打ち」と言われた。

表現力が磨かれたジャニーズとの大舞台

 プロの和太鼓奏者である佐藤健作氏、ヒダノ修一氏を師と仰ぎ、和太鼓の音楽的要素を徹底的に学んだ。2005年と2010年には全日本創作太鼓フェスティバル優勝、同年日本各地から精鋭アマチュアグループが集まる全国太鼓フェスティバルに出演。2008年、O・TA・I・KO響(おたいこひびけ)コンテスト優勝。

 2010年には、山本寛斎が監督を務めた、堂本光一主演の「KANSAI SUPER SHOW『七人の侍』」に太鼓打ち祭り衆として出演オファーを受け、2015年11月~12月に開催された『嵐』のコンサート【ARASHI Live Tour 2015 “Japonism”】5大ドームツアー・ファイナルである東京ドーム公演では和楽器隊メンバーとして参加、3日間で合計16万5000人に和太鼓の魅力を伝えた。

「東京ドームの最終公演で自分は2日間参加させていただき、三味線や笛の方とユニットを組んでバックバンド的に演奏させていただきました。ありがたい貴重な経験でした」

02年11月シャングリラホテル北京

(写真)日中国交正常化30周年記念行事における日中友好伝統文化交流団の一員として参加(2002年11月6日~11月9日)。「シャングリラホテル北京」での演奏。北京市・世紀劇院での本公演、万里の長城での街頭パフォーマンスも実施

16年4月佐野市文化会館②

(写真)栃木県佐野市の労音団体である「佐野音楽鑑賞会」主催のコンサート(2016年4月21日 佐野市文化会館・大ホール)

和太鼓という共通目標で心を一つに

 現在、10人で活動を行う『批魅鼓』には社会人メンバーも多い。学校や仕事など本業があっての太鼓で、夢や希望、生活・人生の幅を豊かにしたいという思いでやっている。
「あまりストイックになり過ぎないように〝楽しく和気藹々〟を心がけています」

 トップダウンよりボトムアップでメンバーの意見を大切に、太鼓の可能性、メンバー一人ひとりの大きな可能性を出しやすいように意見を吸い上げ、演奏やパフォーマンス、活動に取り入れるように心がけている。リーダーは代々女性がやり、曲や構成もリーダーが考えている。

 性別を超え、幅広い年齢層・職種(社会人、学生)のメンバーを一つにまとめるたいへんさはもちろんあるが、ベクトルを合わせるために大事なのは目標を明確にすること。
「メンバーに共通理解と、少し先のビジョン的なものを持ってもらうことです。そして、日々暗示をかけるように言っているのは、『アマチュア以上プロ未満』の意識」。メンバー全員に本業が別にあり、「プロの足もとにもまだまだ及んでいないですが、常にプロ並みの演奏を目指しています」。公演での反響も踏まえ、当面はこの目標をはっきりと掲げるようにしてやっている。目標に対して練習を積み重ねて、舞台でそれが表現・実現できた時は、「『あ!これだ!』って理解もしやすいですよね」

 十人十色考え方はさまざまだが、メンバーの共通目標は「太鼓」。その軸さえあればみんなで目標に向かって進める充実感がある。

「そのおかげで長年続けて来られているのかな」

 将来の展望として「自分が個人的に思っているのは、3尺5寸っていう叩く部分が1メートルちょっとある大きな太鼓を会として購入し、舞台で演奏できたらいいです。ケヤキの胴で2000万円以上するんですけどね(笑)」

 太鼓は自分にとっての生き甲斐。「本当に太鼓バカですね(笑)」

(2021年6月18日)

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(写真)宮太鼓(長胴太鼓)。低くて余韻の長い音を出す

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(写真)締太鼓のボルト(もともとは縄)を調整する稽古準備中のメンバー。高くて余韻が短い強く美しい音色

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(写真)けやき、竹…さまざまな素材や太さのバチを音楽によって使い分ける


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(写真)稽古前半の筋トレはまさにアスリート並み。日々のトレーニングで全身を使って音を出す。打つ姿勢も音に影響する


\『批魅鼓』さん一口メモ/

 海外公演にも参加した山𥔎さん、海外では日本のお客さんとの反応の違いが印象的だった。欧米では、演奏の最後まで黙って集中して聞いてくれる印象で、ソロの見せ場など細かいパートでの歓声はないものの、演奏後の歓声は日本以上に沸く。一方、中国(北京)ではバチを投げた弾みに飛んでしまったり、折れたり、ハプニングに沸くのが印象的だった。「こちらにしてみればミスなんですけど、そこの反応がすごかった。派手好きなんですかね(笑)」
 和太鼓奏者は欧米にも増えていて、老舗の和太鼓メーカーの販売店がアメリカにあるほどだ。


【PROFILE】
山𥔎浩昌(やまざき ひろあき) 1968年東京都大田区生まれ。1996年『批魅鼓』入会。当時、某自動車メーカーに勤務しながら、会社においてはペンとマウスを振り回し、批魅鼓においてはバチを振り回す、人呼んでサラリーマン太鼓打ち。その後、事務局長、副会長を歴任し、2015年会長就任。和太鼓奏者・佐藤健作氏とのコラボユニット『昇天隊』のプレーヤーとして3年間ライブ活動に参加。2017年には音楽としての枠を超え、フラメンコとのコラボレーションとして『批魅鼓』の出演をプロデュースし、当公演が文部科学大臣賞にあたる文化庁芸術大賞を受賞した。小・中学生メンバーの太鼓グループ『じゃりん鼓』の会長も務め、子供たちの指導にあたる。「批魅鼓」HPはコチラから。




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