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深海のかなた【第二回「絵から小説」】

第二回「絵から小説」という企画のお題絵Cに小説を書きました。


「ねぇしずく、イケナイことしようか…。」
そう言って重ねられた唇は、柔らかくて甘い香りがした。



海南(カナ)は私の幼なじみの女の子だ。
女子高に進学してからも親友だった。

学校での海南は、明るい性格で皆に好かれていた。
引っ込み思案な私となぜ親友なのか、不思議なくらいだった。

時々彼女は授業をエスケープするが、いつもは帰ってくるとけろりと笑っていた。
そんな彼女が珍しくエスケープに私を誘ったときに、キスをされたのだ。

唇を重ねてからというもの、私の目は彼女ばかり追いかけていた。
すると、私に見せる笑顔と他の女の子に見せる笑顔の違いがわかってきた。

私といるときの海南は淋しがりの一面があった。

「しずく、今日も海南ちゃんのお家に泊まりに行くの~?仲良しねぇ。」
とママに言われるぐらい、週末には海南の家に泊まりに行った。
私達は幼なじみなので、特に怪しまれもしなかった。

海南のお父さんは、有名なファッションデザイナーで、常に家にいなかった。
もっとも、かなり女性関係で浮き名を流していたから、仕事なのかどうかも怪しかった。

海南と一緒にお風呂に入った後は、海南の家にある洋服でお着替えを楽しむのがお決まりだった。
でも、常にシンプルな服装の彼女がそれを着ることはなかった。
「海南は着ないの?」
と聞くと、
「この洋服は、私の為の服ではないから。」
と言って淋しそうに笑うのだった。

一通りお着替えを楽しんだ後、私達は海南の寝室で一緒に寝た。
深海のような壁の色に、私は彼女の心の中はこんな色をしているんだと思った。
必要最低限のものしか置かれていない寝室に、ピンクのぬいぐるみが一体、枕元に置かれていた。

「これはね、ドゥドゥだよ。
私のお母さんになるはずだった女性が、私にプレゼントしてくれたの。
フランスでは子どもの自立のためひとりで寝ていても寂しくないようにぬいぐるみを与えられるんだって。」

その女性は海南のお父さんの再婚相手になるはずだった。
海南もその女性に懐いていたけど、お父さんの女性問題で破局してしまったのだ。
その時の幼い海南の落ち込みようは、今でも覚えている。

海南は私を抱きしめて、
「しずくは温かくて柔らかいね。安心する。」
とか、
「ふわふわの髪の毛が好きだよ。」
と言いながら眠りに落ちていった。

私は彼女の綺麗に生えそろった睫毛を眺めながら、眠っている海南の頭を撫でるのが好きだった。

今思うと、海南にとっての私は深海の部屋のドゥドゥのようなものだったのかもしれない。
でも、海南と一緒にいられたらそれで良かった。

私達は美術部だったのだが、ペアを組んでお互いの肖像画を描こうという課題が出された。
もちろん私達はペアを組んだ。

海南の視線が私を舐める。鉛筆の音が部室に響く。
ドキドキしながら、私は海南の整った顔をスケッチブックに写生した。

色鉛筆で配色を決めている時、海南がスケッチブックを覗き込んできた。
「あれ?目が青いね。」
実物の海南の目は、濃いブラウンだ。
「これは、私が思う海南の心の色だよ。海南、気に入らない?」
「ううん、しずくの見ている私って綺麗だね。」
海南は頬を染めて喜んでくれた。

「そうだ!絵が完成したらお互いの絵を交換しない?」
気を良くした私の提案に、
海南は「うん、良いね。交換しよう。」
と約束してくれた。

だけど、その約束が果たされることはなかった。

先に海南の描いた私の絵が完成したので、見せてもらった。
絵の私は穏やかな笑みをたたえていた。
「私から見たしずくだよ。」
海南は笑顔を浮かべていたけど、何故か悲しそうだった。
「海南?何かあった?」
私の問いに、「ううん、大丈夫。」と首を振った。

 私はもっと踏み込んで聞くべきだった。
これが海南を見た最後になってしまった。

絵が完成する前に、海南は学校をやめてパリに渡ってしまった。
海南のお父さんが昔再婚するはずだった女性とよりを戻して、正式に再婚したのだ。
それを機に仕事の拠点をパリに移し、娘である海南も一緒についていったのだ。

私の自宅の郵便受けに切手の貼られていない封書が入っていた。
海南からの手紙だった。
急いで自室で開封し、立ったまま読み始めた。

「しずくへ
何も言わずにお別れすることになってごめん。
どうしてもさよならを言えなかった。
泣いてしまいそうだったから。
しずくには笑顔でいてほしかったから。
絵を交換する約束を守れなくてごめん。
私は絵をしずくだと思ってパリに連れていくね。
さようなら、しずく。」

私は膝から崩れ落ちた。
「海南、どうして?
私は海南がいないなんて、嫌だよ。」
便箋に書かれた海南の端正な文字の上に、涙がポタリポタリ落ち、滲んでいった。



あれから私は海南に会っていない。
私は故郷を離れ、大学時代にお付き合いした男性と結婚した。

海南はパリで有名な画家になったと、美術雑誌で知った。
アトリエの写真には、あの時の私を描いた絵が飾られていた。

海南の中にはずっと私がいる。
「私にとっても、海南は最初で最後の愛しい女の子だよ。」
私は完成させた海南の絵に向かって語りかけた。


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