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風の季節ほか

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「紫陽花の季節」スピンオフです。 「風の季節」「hollyhock」「白梅の薫る頃」「紫陽花の季節、君はいない」完結しました。 「夢見るそれいゆ」「紫陽花の花言葉」連載中です。
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2021年5月の記事一覧

紫陽花の季節、君はいない 1

紫陽花の季節、君はいない 1

「紫陽花の季節」の主人公、夏越の物語です。
時系列はひなたが生まれる前です。

2021年5月半ば。どんよりとした曇り空。
今年の梅雨は、6月を待たずに到来しそうである。

「夏越くん、そんなに空を見上げていたら首が痛くなるわよ。」
柊司の部屋のベランダから空を眺めていた俺に、あおいさんが話し掛けてきた。

あおいさんは、お腹の子がかなり大きくなってきている為、産休に入っている。
昨年よりも大学院

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紫陽花の季節、君はいない 5

紫陽花の季節、君はいない 5

柊司が用意した朝食は、栄養と消化に配慮して野菜をペースト状にしたお粥だった。
まだ温かいそれを食べたら、身体が温まってきた。自分がとても冷えていたことを自覚した。

この日もオンライン授業があったのだが、柊司が俺の部屋の鍵を持っていってしまったので、欠席することになってしまった。

食べ終わった食器を洗ったら、することが無くなってしまったので、俺はソファーで寝ることにした。

(同じアパートなのに

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夢見るそれいゆ 163

夢見るそれいゆ 163

私は爆発しそうな怒りを必死で抑えた。

「…それで、千夏さんは今どうしているんですか?」
ちなっちゃんに連絡をとれない以上、県警の人に聞くしかない。

「今は、救急車で病院に搬送されて入院している。面会は家族以外禁止されている。」
私が知りたかったのは、ちなっちゃんの居場所ではなく、現在の様子だったのに。
この人とは、意思の疎通が儘ならない。

それに面会が禁止されていなくても、ちなっちゃんは私に

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紫陽花の季節、君はいない 4

紫陽花の季節、君はいない 4

しばらくして、柊司が病室に入ってきた。
「夏越~!お前何回空腹で倒れるんだよ~!」
と、男泣きされた。
ちなみに空腹で倒れたのは、2回目である。

俺は一晩点滴を打って、翌朝退院した。
タクシーを降りて、アパートの自分の部屋の前に辿り着くと、柊司が仁王立ちしていた。
(柊司はガタイが良いので、本当に仁王かと思った。)

「また倒れられたら嫌だから、しばらくウチに泊まれ!」
と、俺の部屋の鍵を引った

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夢見るそれいゆ 162

夢見るそれいゆ 162

「ちなっ…千夏さん、見つかったんですか?
無事だったんですか?
一体どこにいたんですか!?」
私は電話ということを忘れて大声で畳み掛けるように問い質してしまった。

「落ち着いて。君の友達はかなり衰弱していたけれど、命に別状はない。
しかし、心のダメージは相当だと思う。」
県警の人の声は、沈んでいる。

「──やはり、千夏さんは『あの人』に誘拐されていたんですか?」
「君の予想は、残念ながら的中し

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紫陽花の季節 、君はいない 3

紫陽花の季節 、君はいない 3

俺は1年近く前、「彼女」を失って憔悴しきっていた。
「彼女」と俺の関係は他人には言えなかった。
「彼女」は人間ではなかったからだ。

アパートの隣人である柊司は、大学時代から料理音痴な俺に夕飯を作ってくれていたのだが、夕飯すら食べなくなった俺をとても心配していた。
でも、当時の俺は周りが見えてなかった。

ろくに食事を摂らない日が続き、とうとう俺はアパートの自分の部屋で倒れてしまった。

仕事から

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夢見るそれいゆ 161

夢見るそれいゆ 161

「私も…夏越クンと今まで通り話せなくなるかもしれないって思って怖かったよ。
だけど、ママが言ったの。
『ひなちゃんと夏越くんは似た者同士だから、貴女に無視されたら夏越くん悲しむわ。』って。」
ママの言葉が無かったら、私は夏越クンと気まずいままだったかもしれない。

「そうか。じゃあ、あおいさんに感謝しなくちゃな。」
「うん。」
今思うと、気まずいまま夏越クンを実家に送り出さずにすんで良かった。

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紫陽花の季節、君はいない 2

紫陽花の季節、君はいない 2

あおいさんは、俺の友人・柊司の奥さんである。
以前は白い服が定番でボブカットだったけど、今は髪をヘアゴムでひとつに纏めている。

「あおいさん、髪伸びたね。」
「今はこの子がいるから、長時間のお出掛けは控えているの。ここまで髪を伸ばしたのは久しぶりだわ。」
あおいさんは、優しくお腹を撫でた。
この子が生まれる頃には、安心して出掛けられる兆しが見えるといい。

「きっとこの子は、夏越くんのこと大好き

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夢見るそれいゆ 160

夢見るそれいゆ 160

私も夏越クンと向き合わなくてはいけない。
謝るならば、今だ。

「夏越クン、あのね?
本当は電話じゃなくて、顔を見て謝りたかったけど…。
こないだはごめんなさい…。
あの、強引にキス…したこと。
夏越クンにはゆかりちゃんがいるのに。」
しばらく沈黙が続いた。

「──ひなた。お前の方が痛かったろ。
俺は大丈夫だから。俺の方こそごめんな。
ひなたを恋愛対象とは見れなくて。」
「うん、分かってる。」

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夢見るそれいゆ 159

夢見るそれいゆ 159

私が不安で言葉を継げずにいると、
「ひなた、俺はちゃんと帰ってくるからな?」
と夏越クンが察してくれた。

「俺の帰る場所は、もう実家じゃなくてそっちなんだからさ。
それに、9月からは紫陽…ゆかりもお前ん家に来るんだし。」
そうだった。15年かけて、ようやく再会したゆかりちゃんを置いていくことなんて、夏越クンがするわけなかった。

「夏越クン、よく私の考えていること分かったね。」
「そりゃ、俺が住

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夢見るそれいゆ 158

夢見るそれいゆ 158

私の泣き声が落ち着いてきたタイミングで、夏越クンが、
「ひなたは、他人のために泣けるんだよな。俺は、お前のそういうところが良いと思う。」
と言った。

「夏越クン…急にどうしたの?」
私は夏越クンの改まった発言に不安を覚えた。

「いやさ…、俺はお前の優しさに甘えていたのかなって。」
「…私の『優しさ』?」
「ああ。いつも、俺が抱えきれない思いを受けとめてくれるだろう?
俺はいつも俺のことばかりだ

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夢見るそれいゆ 157

夢見るそれいゆ 157

夏越クンのところに今すぐ飛んでいって、涙を拭いてあげたい。
「ごめんね、夏越クン。私…悲しんでいる夏越クンに何もしてあげられなくて。」
こんな時、悔しいけれど中学生の私は無力だ。

「ひなた、何で謝るんだ?
俺がこうやって…父親の最期に向き合えたのは、ひなたのお陰なんだぞ!?
今だって、俺の話を…聞いてくれているじゃないか。
充分…してもらっているんだよ。…充分過ぎるぐらいだ。」
夏越クンは涙声で

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夢見るそれいゆ 156

夢見るそれいゆ 156

夕飯を食べた後、夏越クンから私のスマホに着信があったので、私からかけ直した。
「…夏越クン、こんばんは。」
「ひなた、こんばんは。」
滅多に聞かない電話越しの夏越クンの声。
だけど、私には顔を見なくても夏越クンが沈んでいるのは分かってしまう。

「夏越クン…お父さん亡くなったんだね?」
「ああ。ついさっき…眠るように…息を引き取ったよ。」
声を絞り出すように話す夏越クン。
きっと私に電話を掛ける前

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夢見るそれいゆ 155

夢見るそれいゆ 155

私は最悪な状況を想定してしまい、ぞっとした。
そんなこと、信じたくない。
でも、辻褄が合ってしまうのだ。
あの人には動機もある。
だけど、あの袋の中身が私が思っている通りならば…!

私は、気付かれないようにあの人の姿をスマホで撮影した。
帰宅してから、すぐに県警の人からもらった名刺に書かれていた連絡先に電話を掛けた。
「もしもし──」
私は、バスから見た光景を一通り説明した。
県警の人は、「協力

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