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死肉を喰らう道端のカラスたち

通勤途中の風景を見ながら、心に浮かぶ言葉の徒然


私は・・・人は、環境に柔軟に対応できているのだろうか

通勤に使う道は、山の中ほど辺りを走る。両脇には、森なのか林なのかどう表現したらよいのかわからない風景で、人の生活を感じるものは一つもない自動車専用の道路を通る。
路肩に近いところに、小さな黒い影がいくつか見えた。言葉は無いが、ワイワイと興奮しているように見える。
あぁカラスだよな~と、思いながら、ちらりと、道路を赤い肉片が引きずられている風景を横目で見送った。
カラスって、なんか怖い
そう持ったが、カラスは置かれている環境に柔軟に合わせて生きているんだ。と閃いた。
放置された死体を喰らうのではなく、人間が狩った獲物、その食べていない食べ残しを食べているだけで、気持ち悪いとかそういうことではないように感じた。
ごみを漁り、引かれた死体を食べ、植えられた植物を盗む。
どれも、上から目線の卑しいモノに対しての表現に見える。
そうではなく、昔あったであろう、動物たちが隠した木の実や、擬態化した幼い小動物や天敵から逃れるための工夫された巣を探し、食べ残された獲物、自生している植物の種を遠くに運ぶであろう植物の実。
言い方を変えれば、何も変わっていない行動で、ただ今ある環境の中で、これまでと違うものをこれまでと同じものにしているだけなのか?
となると、やはり賢い。
もし、カラスに手や足が発達していて、道具を精巧に作ることができたなら・・・人はカラスと戦う?カラスは国籍をもって・・・・

私は、柔軟に環境になじんでいるのかな?
人は、今の環境に対応していけるのかな?