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娯楽は一種の薬物依存:生存に無関係に快楽を味わう。麻薬と同じ^^;

 ヒトがなぜ娯楽が好きかというと、脳内麻薬が分泌されて幸福感を得られるからです。元々「幸福感」は食、睡眠、セックスなど「遺伝子の拡大再生産に有効な行動」を個体に促すためのツールだった。

 しかしヒトは「進化の道」を踏み外し、幸福感そのものを追求するようになった。そして生存・生殖に必要な活動と独立した分野で、効率よく幸福感を得るための行動を考え出した。それが「娯楽」です。

 人類はこれをいたく気に入り、工夫に工夫を重ね、そして我々は「娯楽依存症」になりました。Netflixやゲームのことです^^

 でも、「娯楽依存」は進化論の文脈では「失敗した戦略」です。娯楽にリソースを費やす個体は、そうではない個体によって淘汰されるでしょう。

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 だがしかし、これはしばしば勘違いされているが「進化論的に合理的」なことは、別に正しいわけでも間違っているわけでもない。

 単に自然界はそうなっていると言うだけ。「弱肉強食が正しい」という主張は、その人の好みに過ぎない。

 人間は勝手なもので「自然で良い(不自然な物はNG)」と「獣じみていてダメ」を都合良く使い分けます。でも二つとも同じ事を言っている(笑)

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 そういうわけで私は娯楽を重視します。なんなら人類が滅亡しても構わない^^;
 敢えて言うなら、私は私が大事に思っている人が幸福ならばそれでいい。

 そして進化論的な「成功」と「個体の幸福」は全く別物です。一つ事例を挙げると、今の地球で最も「成功」している種は細菌類です。生命のほとんど全ては細菌だ。種の数でも個体数でも、哺乳類の1億倍ぐらいいる。
 その次が昆虫。特にアリ。

 そして特筆すべき例は、牛、羊、鶏です。彼らはホモサピエンスの習性を「利用」することで爆発的に数を増やした(注1)。彼らの個体数はヒトの10倍だ。
 でも、どう見ても彼らが幸福な一生を終えているとは思えない。少なくとも私は彼らの生涯を真似したくはないです^^;

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 そもそも「幸福を追求」している時点で、進化論の文脈では負け組です。「幸福感」は個体の行動を支配する淘汰のツールに過ぎない。「目的」ではないのです。

注1:これは私が考えた事ではないです。ユヴァル・ノア・ハラリ博士が「サピエンス全史」の中で指摘しています。

 



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