精神が把握できる物事には限界がある。いつかわかるという信念は自明ではない。

大脳をはじめとする人体のリソースは有限だ。
記憶容量も有限だし、情報処理速度も有限だし、一時的バッファとして使える記憶領域も有限だ。

だから対象がある程度複雑になると、人間はもはやそれを認知できない。
例えばこの宇宙は5次元以上あるらしいのだが、人間がそれをイメージすることは不可能だ。人体はそのようにできていない。

時間に関してもそれが言えて、多くの人は未来と過去に関して、数日しか把握できないようだ。それもそのはずで、多くの人はそれ以上のことを考える必要がない。良くも悪くも人類はそうやって何万年も暮らしてきた。

ただ、重要な例外が一つある。育児だ。女性は自分の子が独立するまでのビジョンを持っていたはずだ。たぶん男の大半はそれがなかっただろう。女性の方が長期的計画性はある。

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空間に関してもそうだ。現在地点から半径数十kmだけを知っていればいい。その先は、その時点では地の果てだ。関係ない。

いつか、そこに移住するのかもしれないが、どうせそんな遠くに何があるかなどわからない。考えても無駄だ。そうやって人類は東アフリカから、パタゴニアまで、はるばると何万kmも移動して来たのだ。たぶん、ほとんどの集団は途中の「未知の世界」で全滅しただろう。

でも、5万年もトライし続けたので、ついに南アメリカの最南端に到達する集団が現れたのだ。

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人間社会の規模についても似たことが言える。

人間が把握できる、コミュニティの構成人数は100人ぐらいが限界らしい。つまり、顔と名前と人柄を覚えられる人数だ。だから現代国家の政治家や大企業のトップは無能に見えるのが当然だ。あれは人間の能力を超えていて、そもそもが無茶なのだ。

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科学・技術に関してはもっとひどい。人間は数だって10(指の数)までしか把握できない。それ以上は相当に無理をしている。だから10個以上の部品からなる機械は、それだけでもきついのだ。

どこかで、「これの全体を把握できる人間などいない」という段階が来る。それはたぶん今そうなっている。大型旅客機のシステム、銀行の基幹システム、Windows、Android(というかLinux)の全体像を把握している人はいないと思う。

たぶん、これ以上に複雑なシステムは人間には扱えないと、個人的には感じる。AIが完成することはないだろう。

それどころか、人間は自分自身がどうやって動作しているのかも理解できないだろう。それは複雑すぎて、全体像の把握は、大脳の処理能力を超えるのだ。

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物理学、数学、医学などでも同様のことは起きている。専門化、分化が極端に進み、物理の専門家でも、自分の領域以外はさっぱりわからないというのが普通だ。全体像を俯瞰できる人などいない。

医学では、これの実害は大きい。呼吸系感染症の医者は、肺炎を治そうと抗生物質を使う。でもそれは大腸の共生細菌を殺すので、患者は退院するものの胃腸障害に苦しみ早死にする。あるいは鬱になって自殺する。セロトニンは腸内細菌が作っているのだ。

しかし呼吸系感染の専門医が、そんなことまで知るよしもないのだ。少なくともつい最近までは知らなかった。

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おまけ

一つ重要なことを指摘したい。

人類は発祥以来ほとんどの期間を熱帯で暮らしてきただから基本的に季節を知らない。毎日同じような気候が一生続く。
これは人間以外の動物植物にとっても同じで、いつでも同じ植物が同じように成長していて、同じような動物が同じような行動をとる
そうでなければ狩猟採集社会は成立しなかっただろう。初期の人類にとっては、季節の変化は複雑すぎるからだ。

現代においても最後まで残った狩猟採集社会は、熱帯(パプアニューギニアとAmazon)と極地(カナダエスキモー)だけだ。

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狩猟採集は非常に高度な能力を必要とする。だから日本のように季節の変化が大きいところでは、狩猟採集は社会に大きな負担を強いる。つまり春夏秋冬で採集できる植物が異なるようでは、仕事が複雑になりすぎて手に負えなくなってくるのだ。

おそらくこれが理由で日本では早いうちに農業への移行が起きた。これは大陸でも同じだ。

多くの人は異なる印象を持っていると思うが、農業というのは狩猟採集と比べると遥かに単純な仕事だ。毎年毎年同じ場所に同じ植物が生える。こんな楽なことはない。

狩猟採集民は、例えば天気や風向きによって、その日はどこに何があるか(いるか)を毎日、予想しなければならなかった。あるいはどこにどんな果実があって、いつ成熟するかを知っておく必要があった。いつどこにどの程度の鹿の群れがいて、それが今日はどこにいるかを予想する必要があった。

農業は人類最大の発明の一つだ。農業により人類は知的に複雑な作業から解放された。実際、人類の知的能力は農業が始まる前までがピークだったようだ。その後は人間はバカになる一方らしい。

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現代人の目では、人はものすごく努力をして賢くなるような気がする。
しかしアリストテレスやプラトンは毎日暇で仕方がなかった。彼らの必要とすることは全て奴隷がやっていたので、プラトンは仕事がなかったのだ。
古代ギリシャの哲学者たちは無職だった。ぶっちゃけニートのようなものだ。だからこそ時間を持て余し、色々なことを考えて、哲学が出来上がった。

これを言うといろいろな人から叱られそうだが、プラトンやアリストテレスは天才だったわけではない。あの時代には暇人が大量にいた。だからそれぞれが毎日妄想にふけって色んな事を考え出した。
中には、たまたま的を射たアイデアが生まれることもある。それがプラトンでありアリストテレスだ。
他にも大量のくだらないアイデアがあったのだが、もちろん、それらは急速に忘れ去られた。

進化の淘汰圧は肉体だけではなく、知的生産物にも働くのだ。そして残ったものはドーキンスがミームと呼ぶものになった。つまり語り継がれる知識や思想だ。

例えばアリストテレスは生まれた時から富裕で奴隷を従えていた。多分働いたことなどないだろう。実務経験はないのだ。こういう評価をする人はあまりいないと思うが、アリストテレスの人生経験は非常に薄っぺらなのだ。

だからアリストテレスの考えたことは机上の空論が多い。自然の観察をすれば、そして何か実際に手を動かして仕事をすれば当然知っているようなことを知らない。だからアリストテレスの自然に対する理解は、妙ちくりんなものになった。

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そしてその影響はガリレオまで続いた。例えば物体は重くても軽くても同じスピードで落ちるのだが、アリストテレスはそれを知らなかった。しかし机上の空論で、重いほうが速く落ちると結論を出したのだ。

プラトンも似たようなもので、イデアとかいうわけのわからないものを考え出した。これは現代では別の形で、結果的に正しかったとわかるのだが、プラトンは要するに現実世界を見ていない。働いていないんだもの。偶然イデアの概念が正しかったに過ぎない。

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