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なぜゴミを減らす必要があるのか、考えてみませんか?
実は、特に理由はないのです^^;
ゴミを減らせ運動は1960年頃に始まりました。理由は、ゴミの埋め立て処分場である東京湾の「夢の島」が満杯になりそうだったからです。
そして「埋め立て場所がなくなる」と言われ続けて60年が経ちました。まだ空いています^^;
なんでか?
ごく簡単な話で、今は燃やしているからです。
ではなぜ、昔は燃やさずに埋め立てたのか、そこから考えるのが良いと思います。
当時はプラスチック製品が世間に出回り始めた頃で、大量のプラゴミが廃却され始めました。
そして、当時の焼却炉ではそれを燃やせなかった。正確に言うと、燃えるが温度が高くなりすぎるので焼却炉が壊れた。なおかつ、ゴミの分別は始まっていなかったので、紙や生ゴミとプラスチックは一緒くたに捨てられた。
しょうがないので、全部埋めたのです。
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でも、今の焼却炉はプラスチックを燃やせるし、現に燃やしています。逆にプラゴミがないと「燃えるゴミ」が燃えないので困るぐらいです。プラゴミは無料の燃料なのです。
実際に、プラゴミが足りない場合は焼却炉に重油を放り込みます。(注1)(注2)
注1:「燃やせる」という意味は、焼却炉は破損しないし、有害な排ガスも出ないという意味です。
なお、ダイオキシン騒ぎは空騒ぎでした。実際にはダイオキシンで被害に遭った人はいません。確かに毒性はゼロではないですが、それを言うならビールの方が遥かに危険です。エチルアルコールは有害だし、摂取量が桁違いに多い。
注2:いわゆる「燃えないゴミ」は、実は「燃やしたくないゴミ」であって、金属以外は燃えるし、燃やしたくない理由は「なんとなく」です(笑)
ちなみに、鉄やアルミは焼却炉に放り込んでも、焼却灰として残るだけで害はない。そして、適当に空き地に積み上げておけば、10年ぐらいで酸化して土(鉄鉱石とボーキサイト)に還ります。
つまり、ゴミが増えても大して困らないのです。焼却炉を増設すれば解決する。
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今では、ゴミを燃やしたくない理由はCO2削減になりました。
でも、CO2の大半は発電所や自動車から出るので、ゴミは大して関係ない。日本ほどゴミを大量に出す社会でさえ、ゴミ由来のCO2は総量の2%に過ぎない。(注3)
注3:なおかつ、焼却炉の排気からCO2を除去するのは、割と簡単です。石灰水を噴霧すれば吸収されて石灰石になる。理科の実験でやった、息を吹き込むと白く濁って沈殿する、あれです。
これをやれば除去は簡単なのですが、実際にはやっていません。金がかかるからです(笑)
ぶっちゃけCO2なんてどうでも良いのです。金を払ってまで減らそうとは、みんな思っていない。身もフタもないですが^^;
そもそも、CO2地球温暖化仮説の根拠は、かなり薄弱です。
私は機会があるたびに書いていますが、
去年の地球平均気温ですら不明です^^;
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うーん、書いていて、だんだんバカバカしくなってきました(笑)
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おまけ
ゴミを減らせ運動の、もう一つの背景は1970年頃からの省資源運動です。
当時、石油は50年で枯渇すると言われていました。だから大量消費社会は悪だとされた。プラ製品は大事に使って、石油を節約しようというわけです。
しかし現在、石油は余っています!(注3)
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また、紙も大事に使おうと言われ始めました。木が無くなるという説があったからです。
しかし、森林は逆に増えている。CO2濃度が高くなって、植物の成長が速くなっているからです。皮肉なものです。
注3:去年は石油生産量が多すぎて、中東の生産国は貯蔵設備が足りないと悲鳴を上げていました。高額の費用を払って、タンカーを貯蔵用に借りていたほどです。
焼却設備がないので、貯めておくしかなかったのです。
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また、掘削可能埋蔵量も50年前よりも増えている。技術が向上して、昔は取り出せなかった原油を汲み出せるようになったのと、新たな油田が見つかったからです。
そもそも地球のほとんどの地域は、油田探索をしていない。探せばあるに決まっている。50年前に枯渇すると言っていたのは、当時既知だった油田のことです。
なお、今日(2021/11/20)現在、石油製品の価格が上昇しているのは、コロナ騒ぎのせいで物流が壊滅状態にあるからです。生産国にはたっぷりある。
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なお、省資源運動はすぐにリサイクル運動に変わりました。
でも、資源は余裕があるので、実は必要ない。リサイクルは消費財の価格を高くするだけだった。特にプラスチックのリサイクルはコストが高い。
再生紙は、リサイクルの優等生に見えますが、あれは20年ほど前までは、原料(古紙)が安かったからです。とにかく各家庭に大量の古新聞が有った。
でも、もう無いですよね^^;
またダンボールは、産業廃棄物として膨大に廃却されるので、家庭ゴミは誤差。どうでもいい。
鉄も同様に家庭ごみは無視できるほど少ない。大量の自動車が廃棄されているのです。しかも、現在は鉄鋼生産量は多すぎて、各メーカーは高炉を止めている有様だ。
アルミも同様で、建材として大量に回収されているので、家庭から出る僅かなアルミ缶を回収する意味など、ほとんどない。それにアルミ缶はペットボトルにほとんど置き換わっている。
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そして、ここは重要ポイントですが、リサイクル原料は高価です。古紙などは無料のように見えますが、回収費用が膨大だ。
目に見えないだけ。まず、各家庭の分別作業が膨大な労力を必要とする。これが無償とみなされている。
次に回収業者のコストだ。家庭から出る少量のゴミをチマチマと集めて回ると、原料としてはものすごく高く付く。
でも、回収コストは納税者が負担しているので、リサイクル業者はほとんど無料で原料が手に入る。だから一見すると安く見えるのです。
つまり再生紙が安いのは、税金で補助しているからなのです。実はかなり高額の品です^^;
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結論
こんな馬鹿げたことに、国民の時間、労力、金を使うよりも、それらを子育てに使った方が遥かに良いと、私は思います。
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