裁判官の判断は驚くほど信用できない:他人事だし能力を評価されることがない。
政治家、経営者、学者とは違う。
犯罪者の刑期が5年だろうと10年だろうと、裁判官の人生には何の関係もない。
そして判決(特に量刑)に正解はない。「成績表」はない。
また裁判官の業務は独立性が保証されており、批判を受けない。
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付け加えると、日本の裁判官は社会経験が全く無い。
また司法資格は、社会経験も社会的実績も人生経験も不要だ。大学を出たばかりの若造ですら取得できる。
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彼らは歩く六法全書に過ぎない。
ぶっちゃけ、その辺の中年セールスマンの方が判断能力は高いでしょう(注1)。
だから欧米には陪審員制度があるのです。
注1:日本の裁判官には、事実認定能力すら無い。だから刑事裁判は検事の言いなりだ。裁判官は証拠の有効性も、自白の信憑性も何もわからないのです。
それが故に、日本の刑事裁判の有罪率は仰天の99.8%だ。こんなバカげた裁判は先進国では日本にしかない。
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おまけ
私がこういう事を考えるようになったのは、原発再稼働訴訟がきっかけです。
あんな高度に技術的、経済的、政治的にややこしい事を、一介の裁判官ごときが判断できるわけがないのです。最初から、判断能力を超えているのはわかりきっている。
そもそも原発再稼働問題を、司法で解決するのは無茶な話であって、あれは高度に政治的な話だ。政治家がエイヤッと決めるしかないのです。
問題は「決めない岸田」氏のような人物が内閣総理大臣になる国では、どうしようもない点ですね^^;
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