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【加筆】フェミニストの焼肉女性半額キャンペーン擁護のバカらしさ

 AIじゃなくて人間が考えてもコレか、と呆れざるを得ない以下の記事がyahoo!ニュースに転載された。フェミニズムに被れた女子大生がAIに出力させた記事と大して変わらない。フェミニズムに汚染されると知的能力が著しく低下するんだなと改めて感じる。同じテーマのAI記事を見たから猶更そう感じる。あるいは、女子大生のAI記事と当該記事の理屈の付け方が似ていることからAIに記事の素案を出させたのかもしれない。

 AIに記事の素案を出力させたような記事をマトモに批判するのもバカバカしい。だが、こんなカス記事でも実験素材には使えるだろう。ちょうど、いまGPTがどんな事ができるか試している最中なので、せっかくなので、GPTに当該記事を批判させてそのGPTの批判を踏まえてnote記事を書くという実験的取り組みをしようと思う。


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あなた:この記事における考え方の問題点を指摘して

ChatGPT:この記事における考え方の問題点を指摘するには、筆者の論理や視点がどのように一方に偏っているか、または反対意見に対する不十分な対応があるかに注目することが必要です。以下に、いくつかの問題点を挙げます。

1. 男女の「賃金格差」と「キャンペーンの是非」を直接結びつける論理の弱さ

 筆者は、女性半額キャンペーンの正当性を男女の賃金格差に結びつけていますが、この論理には問題があります。賃金格差は、職場における報酬や昇進の問題であり、レストランや映画館などの消費に直接関わるものではありません。キャンペーンの意図が「賃金格差を補う」ことだとするなら、それは社会全体の賃金政策や雇用の問題と解決策が結びついていなければいけません。しかし、牛角のような企業が特定の性別を優遇することが、社会全体の格差問題にどう寄与するかは明確に示されておらず、この論理は根拠が薄いと言えます。

2. 男性の批判に対する軽視

 記事内では「男性差別だ!」という批判に対して、「プラス料金がない」「たった8日間のキャンペーン」などの理由で男性の不満を軽視しています。しかし、男性が不満を抱く背景には、近年の「逆差別」と感じる状況への敏感さや、男女平等が様々な場面で議論される中での公平性への強い要求があります。これを単純に「被害を受けていないから大した問題ではない」と断じてしまうと、男性側の感情的な反発や不満を無視することになり、結果として対立を深める可能性があります。男性の批判には社会的な背景や心理的な要因が存在するため、これらを考慮せずに単純に切り捨てるのは対話を拒む姿勢に見えます。

3. 女性優遇施策の普遍性や長期的影響を考慮していない

 筆者は女性優遇施策を社会的に必要なものとして正当化していますが、その施策が社会全体にどのような影響を与えるかについての深い議論が欠けています。女性優遇が短期的に有効な場合もありますが、同様の施策が長期的に行われ続けると、男性が不満を感じるだけでなく、性別に基づく差別を助長するリスクがあります。また、社会全体が「平等」を目指す中で、特定のグループだけが特権を享受する状況は、新たな不平等を生み出しかねません。男女間の公平性をどう保つかという長期的視点が欠如している点は問題です。

4. 経済的理由に過度に依存している

 女性優遇策の理由として「食事量が少ない」「リピート率が高い」といった経済的な理由が挙げられていますが、これはキャンペーンの短期的な商業的利益に過ぎず、男女平等の観点からは不十分です。食事量やリピート率など、消費者行動に基づく施策が適切であるならば、性別ではなく「消費行動」に基づく割引を提供するべきです。例えば、食べ放題の回数券やポイント制度など、性別に依存しないフェアな施策が考えられます。性別で区別することが適切かどうかをもっと深く議論する必要があります。

5. 反論の論理が感情に訴えるものに偏っている

 筆者は、男性の批判に対して「モテない男性が怒っているのでは?」や「女性がいい思いをするのが許せないのでは?」といった感情的なレベルでの批判を紹介しています。これは、批判を人格攻撃に変えてしまい、議論の本質を避ける結果となっています。実際に、一部の男性がなぜ「差別」と感じるのか、その理由や背景を冷静に分析することなく、単純な感情的な動機に帰結させるのは、対話を促進せず、むしろ対立を助長します。感情的な批判を取り上げること自体は良いですが、そこに留まらずにより深い議論を行う必要があります。

6. 「男女平等」の概念に対する一面的な理解

 筆者は、キャンペーンを正当化する際に「女性が特定の背景で優遇されることは公平である」と述べていますが、「平等」と「公平」は別の概念です。平等とは全ての人に同じ条件を与えることですが、公平とはそれぞれの状況に応じた支援や待遇を与えることです。筆者の論理では、女性が賃金格差や社会的立場の違いを背景に優遇されるのは「公平」であるという立場をとっていますが、これは必ずしも全ての人にとって受け入れられるものではありません。公平性を強調するのであれば、キャンペーンの対象や理由がより具体的で、かつ透明性が高いものでなければならないでしょう。現時点では、単に「女性だから」という理由が表面的に見えるため、議論が浅いと感じられます。


結論

 この記事における問題点は、女性優遇施策を擁護する一方で、男性の意見を軽視しすぎている点にあります。また、賃金格差や経済的理由をキャンペーンの正当性と直接結びつける論理は弱く、感情的な反論に依存しすぎている点も指摘すべきです。議論の本質は、男女間の不平等の是正と公平性をどのように実現するかにあり、より広い視野での議論が求められます。

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【加筆部】

■批判対象記事の主張の論拠への批判

 「焼肉女性半額キャンペーンは性差別ではない」というのが批判対象記事の主張である。そして、その論拠の述べた箇所が以下である。

女性半額やレディースデーの背景には賃金格差があるのに…
 女性の社会進出が進んでいると言っても、日本ではまだまだ男女の賃金格差があるのが現状です。実際に2024年9月2日に政府の発表によると、2023年における基本給を中心とする「所定内給与」について男性を100%とした場合の女性の賃金の割合は、格差が最大の栃木は71.0%、最小の高知は80.4%でした。

 ちなみに2021年における経済協力開発機構(OECD)に加盟する先進国の平均が約88%。女性の管理職比率や平均勤続年数、正規雇用率などの低さなどの問題も複合的に重なっており、日本はまだまだ世界的に見ても男女の賃金格差の開きが大きいことがわかります。

 こうした現状が映画館や飲食店のレディースデーの背景の一つであることは言わずもがなでしょう。賃金格差だけでなく、そもそも男性よりも食事量が少ない傾向があるのに男性と金額が同じになる状況は不公平と考えることもできます。そのためこうした女性優遇の制度が設けられている現状があるのでしょう。

 また女性客は消費力やリピート率も高いことから、レディースデーや女性半額キャンペーンなどによって男性客だけでなく女性客を積極的に呼び込むことも目的。さらには女性客誘致のためにはセキュリティや清潔感の強化などが求められます。 結果として店舗側にとっても売上向上や採用難解消などの各課題の解決にもつながっていきます。 こうしたさまざまな理由からこれまでもレディースデーや女性半額など女性優遇の施策は行われてきました。

「男性差別だ!」牛角の女性半額キャンペーンに一部男性から批判殺到。
“女たたき”する人が見えていない社会背景とは
エタノール純子 2024.9.11 女子SPA!

 引用箇所から分かるように主に3点で当該キャンペーンは女性差別ではないと主張する。

  1. 男女で賃金格差があるので性差別ではない

  2. 女性の方が男性より食事量が少ない傾向があるので性差別ではない

  3. 女性客は消費力やリピート率も高い等の実施企業の営業上の利点があるので問題が無い

 まず、論拠1に対するGPTの批判は以下の2点である。

キャンペーンの意図が「賃金格差を補う」ことだとするなら、それは社会全体の賃金政策や雇用の問題と解決策が結びついていなければいけません

GPTの批判

筆者は、キャンペーンを正当化する際に「女性が特定の背景で優遇されることは公平である」と述べていますが、「平等」と「公平」は別の概念です。平等とは全ての人に同じ条件を与えることですが、公平とはそれぞれの状況に応じた支援や待遇を与えることです。筆者の論理では、女性が賃金格差や社会的立場の違いを背景に優遇されるのは「公平」であるという立場をとっていますが、これは必ずしも全ての人にとって受け入れられるものではありません。公平性を強調するのであれば、キャンペーンの対象や理由がより具体的で、かつ透明性が高いものでなければならないでしょう。現時点では、単に「女性だから」という理由が表面的に見えるため、議論が浅いと感じられます。

GPTの批判

 上段の批判は「"牛角の女性半額キャンペーン"は賃金・雇用と全く関係ないよな?」というものだ。"牛角の女性半額キャンペーン"によって賃金格差が縮小するといった因果関係はほぼ無いと言っていい。したがって、賃金格差は女性半額キャンペーンという男女で差異のある取り扱いに正当性を与えない、とGPTは批判している。

 下段の批判は「公平性の観点において性別で扱いを変えるのだったら、性別こそが区別するにあたっての本質であって、カネの話である賃金格差は関係がないよな?」というものだ。要するに、生物的な男女の違いから異なる扱いをするのが正当になるケースが「男/女」で区別することが公平になるケースとなるという訳だ。言い換えると、賃金格差というようなカネの基準で扱いを変えるなら、例えば「年収○○万円以下の人は半額です。納税証明書を提示して基準以下と証明できれば半額にします」といった賃金水準の違いで区別しなければならない。つまり、賃金格差が異なる扱いの理由ならば、性別といった生物的な基準ではなく、直接的に賃金の大小という経済的な基準で区別しなければ"公平"とは言いかねるとGPTは批判している。

 まとめると、賃金格差を解消させるわけでもない一企業の女性半額キャンペーンという女性優遇施策は、本質的に"賃金格差の解消"という理由では、その差別性を正当化できない。また、"賃金格差"が男女で異なる扱いをする理由であるならば、賃金格差を直接的に異なる扱いの基準にするのが正当であって、性別を異なる扱いの基準にしている正当ではない。つまり、一企業の女性半額キャンペーンは賃金格差と何の関係もなく、また「賃金の格差」の代理指標として「性別」を用いる正当性はないことをGPTは批判している。

 次に、論拠2に対するGPTの批判に関してだが、この論拠2に対するGPTの批判はない。"食事量"といった単語自体はGPTの批判文中にあるのだが、その批判は論拠2には対応していない。

 GPTが批判していないので、私が補足して批判しておこう。

 統計的傾向でもって男女の扱いを変えることは、他ならぬフェミニストがジェンダー平等に反することとして批判してきたことだ。つまり、「統計的に男は○○だから△△と扱って、女は●●だから▲▲と扱うよ」という扱いはジェンダー差別であるという訳だ。

 したがって、統計的に男の方が食べる量が多いからといって異なる扱いをするのは性差別に他ならない。そもそも「従量的に価格が決まるべきだ!」というなら食べ放題ではなく普通に1品づづ注文すればいいだけのことだ。

 それでもなお納得がいかない人間が居るかもしれない。そこで、この論拠2と同型の構造を持つ主張を示すことで如何にそれがジェンダー問題として不当であるかを解説しよう。

 焼肉女性半額キャンペーンの正当化の根拠として「統計的に女性の方が男性より食事量が少ない」ことを挙げている。このことは、半額キャンペーン適用の可否という個々人へのデジタル的な判断を、個々人の男女の食事量ではなくマクロ的な男女の統計量に基づいて、男性は適用不可とすることが正しいというわけだ。この構造をシッカリと理解しておこう。

 さて、OECDの学習到達度調査(The Programme for International Student Assessment 、通称PISA)の2018年の結果において、日本は数学的リテラシーにおいて男子が女子より 10 ポイント高い得点である。

 このことから、大学の理系学部の入学可否という個々人へのデジタル的な判断を、個々人の男女の学力水準ではなくマクロ的な男女の統計量(PISAの数学的リテラシーは男子が10p高い)に基づいて、女性は入学不可とすることが正しいとする構造と同じなのだ。

 このPISAの数学的リテラシーの得点のマクロ的な男女差に基づいて、個々の男女の大学入学の可否が決定されたとしたら、それを性差別と感じない女性は居る者だろうか?批判対象記事のライターの主張とは、このような構造を持つ理屈で女性半額キャンペーンが男性差別ではないと主張しているのである。

 以上の対比によって、ミクロ的な男女の個々人の水準ではなくマクロ的な男女の統計量に注目して男女で扱いを変えることのジェンダー差別的性質を明確に示せたのではないだろうか。

 最後に、論拠3に対するGPTの批判を確認しよう。論拠3に対する批判は以下である。

食事量やリピート率など、消費者行動に基づく施策が適切であるならば、性別ではなく「消費行動」に基づく割引を提供するべきです。例えば、食べ放題の回数券やポイント制度など、性別に依存しないフェアな施策が考えられます。

GPTの批判

 説明の必要も特にないのだが、GPTの批判を口語的へ言い換えて分かり易いく言うと「消費力やリピート率が扱いを変える根拠なら、性別じゃなくてダイレクトに消費力やリピート率自体を基準にして扱いを変えればいいだけだよな?」というものだ。

 「女性は消費力やリピート率などでみて男性より企業にとって望ましい。だから優遇する理由がある」との批判対象の主張に登場する、企業にとっての望ましさにとって重要なのは、「消費力やリピート率などで望ましい客/望ましくない客」の区別であって、男女の性別の区別ではない。したがって、半額キャンペーンで優遇すべきなのは「消費力やリピート率などで望ましい客」であって女性客自体ではない。そこを批判対象記事の筆者は理解していない。

 結局、論拠1・3に対するGPTの批判はすべて「その観点において性別で区別することが本質的でないにも関わらず性別で区別しているならば、それはジェンダー差別である」というものである。そして、その批判は実に的を射た批判と言っていいだろう。

・・・論拠2に対する抜けがあるものの、マジで芯を食った批判をしている。フェミニズムが絡むのにGPTがマトモな回答をしている。びっくりだ。


■女性優遇政策に対する時間的観点がないことへの根本批判

 女性半額キャンペーンは女性に対して有利な取り扱いに他ならないので女性優遇施策以外の何物でもない。ジェンダー平等社会を目指すのであれば、女性優遇施策にせよ、男性優遇施策にせよ、そのジェンダー平等という価値に対する有効性は「短期的」でしかあり得ない。つまり、いずれか一方の性別を優遇する施策はあくまでも時限性をもった施策なのだ。

 もちろん、筆者は「賃金格差が解消すれば正当性を失うのだ」と補足するかもしれない。しかし、賃金格差が解消しようが「女性は体格に劣るから焼肉食べ放題で優遇されるべきだ」「女性は妊娠するから焼肉女性半額キャンペーンといったものでも社会的に優遇されるべきだ」と言い出す可能性はゼロではない。実際、牛角の女性半額キャンペーンに関して、生物的差異に起因する統計的な男女の食事量の差を筆者は持ち出している。それを鑑みると、ジェンダー平等社会における女性優遇政策の時限性など、賃金格差が解消してもご都合主義的に無視するだろう。

 したがって、女性優遇政策の時限性について批判対象記事の議論範囲にライターが含めていないことは批判されるべきこととなる。そして、そこをGPTはキチンと批判している。該当箇所は以下である。

3.女性優遇施策の普遍性や長期的影響を考慮していない
 筆者は女性優遇施策を社会的に必要なものとして正当化していますが、その施策が社会全体にどのような影響を与えるかについての深い議論が欠けています。女性優遇が短期的に有効な場合もありますが、同様の施策が長期的に行われ続けると、男性が不満を感じるだけでなく、性別に基づく差別を助長するリスクがあります。また、社会全体が「平等」を目指す中で、特定のグループだけが特権を享受する状況は、新たな不平等を生み出しかねません。男女間の公平性をどう保つかという長期的視点が欠如している点は問題です。

GPTの批判

■ライターの男性への反論が人格攻撃であることへの批判

 「『男性差別だ!』牛角の女性半額キャンペーンに一部男性から批判殺到。“女たたき”する人が見えていない社会背景とは」と記事の表題で謳っているにも関わらず、批判している男性の主張をマトモに検討していない。つまり、「批判している男性は"社会背景"が見えているのか否か」は批判対象記事からは全く分からない。ライターが記事で挙げた程度のことは余程の低レベルの論者でない限り周知の事実であって、むしろ、反論相手が何を根拠に批判しているのか理解していないライターの方が全くモノが見えていない。

 まぁ、それはともかく、男性が女性半額キャンペーンを批判していることについて、ライターは人格攻撃をしている女性側の男性への批判だけを紹介している。例えば、以下のようなものだ。

「『一緒に牛角行こうよ』と女性を誘うこともできないモテない男性が怒っているのでは?」
「自分たちが差別されているかどうかではなく、単に女性がいい思いをするのは許せないのでは?」
「アンチ・フェミニストの男性たちが、“都合のいいことだけ男女平等を訴えて男性を潰してきた”として、女性への『復讐心』から理不尽に叩いているのでは?」

「男性差別だ!」牛角の女性半額キャンペーンに一部男性から批判殺到。“女たたき”する人が見えていない社会背景とは エタノール純子 2024.9.11 女子SPA!より抜粋

  このライターが異常なのは、「女性が『○○は女性差別だ!』と声をあげたときに同様の批判をした場合、それが正当な批判となるだろうか?」とミラーリング(男女の立場を入れ替えて考えること。フェミニストがしばしば男性に対して行う様に説教を垂れる行為)しないことにある。

 「男に相手にされない非モテ女性だからヒステリー起こしてるんだろ?」「差別かどうかどうでもよくて、単に男性がイイ思いするのが許せないんだろ?」「男性への『復讐心』で理不尽に騒いでるんだろ?」と、性差別の声を挙げた女性の人格を男性がバカにして、女性の主張の内容に触れることなく性差別の指摘の主張を批判した気になっていたら、その男性の批判を正当な批判であると女性が見做すのかという問題である

 そのことに対してGPTはキッチリと批判している。該当箇所は以下である。

5. 反論の論理が感情に訴えるものに偏っている
 筆者は、男性の批判に対して「モテない男性が怒っているのでは?」や「女性がいい思いをするのが許せないのでは?」といった感情的なレベルでの批判を紹介しています。これは、批判を人格攻撃に変えてしまい、議論の本質を避ける結果となっています。実際に、一部の男性がなぜ「差別」と感じるのか、その理由や背景を冷静に分析することなく、単純な感情的な動機に帰結させるのは、対話を促進せず、むしろ対立を助長します。感情的な批判を取り上げること自体は良いですが、そこに留まらずにより深い議論を行う必要があります。

GPTの批判


■GPTの批判に対する私の感想

 以前、ジェンダー平等についてGPTをボコボコに詰めたせいなのか、GPTが随分とマトモな批判をしている。以前はもっと「女性優遇でもフェミニズム的にOKです!」みたいなアホな回答をGPTはしていだのだが、見違えるようだ。ホントどうしちゃったの?


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