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鎌田和歌「『デート代おごりおごられ論争』が何度も炎上する理由、“主語デカ”に要注意」への批判

鎌田氏のダブルスタンダード

 フェミニストの鎌田和歌氏が「奢り・奢られ論争」を巡る言論状況に対して奇妙な批判を行った。それに対して批判をしていきたい。

 表題に挙げた鎌田氏の批判の核心は結語に述べられた主張だ。以下に引用しよう。

おごりおごられ論争の場合はどうも「主語デカ」の警鐘が低調であるようにも感じる。本来、「主語が大きい」と「ケースバイケース」で終わる話ではないのかと、繰り返し主張していきたい。

「デート代おごりおごられ論争」が何度も炎上する理由、“主語デカ”に要注意
鎌田和歌 2023.3.3 DIAMONDonline

 鎌田氏の主張の何処が変であるのかといえば、

本来、「主語が大きい」と「ケースバイケース」で終わる話

の部分である。奢り奢られ論争は多岐にわたるトピックがある。「主語がデカい」「ケースバイケース」といったトピックだけには留まらない。もちろん、「主語がデカい」というトピックもある。しかし鎌田氏が「本来はそれだけの話なのだ」といった認識でいるのはオカシイのだ。

 多くの論者が指摘しているが、この問題圏の巨大なトピックの1つは日本社会に存在するジェンダーロールの問題である。そもそも論として

「男性(あるいは女性)は○○すべき」

という形の言説を見たときにジェンダーロールに関する言説として問題を認識できないフェミニストとはなんなのか。女性が損をしているときだけ男女平等を言い立てて女性が得をするときには「それはジェンダーの問題ではありません」という主張をするフェミニストの姿勢は、本当に卑劣で唾棄すべきものだ。

 鎌田氏がジェンダーロールの問題に関心が薄い、あるいは性別役割分業に賛成している保守論客であれば、そのスタンスも理解できなくもない。しかし、鎌田氏はフェミニスト的主張を行う論客なのだ。女性のジェンダーロール、および女性のジェンダーロールを強化する言説の影響について鎌田氏は厳しく批判している。

 以下に上記記事でそのスタンスが表れたものを見よう。

 昨年は、スーパーで「母親ならポテトサラダぐらい作ったらどうだ」と言われた女性を目にしたというツイートが大拡散され、大きな話題となった。実際に、「母親なら手抜きをするな」「愛情のこもった手作り料理を作れ」という風潮はまだ強い。また、母親自身がその価値観を内面化し「出来合いの総菜ばかりでは、子どもがかわいそう」と思っていることも多い。

ファミマ「お母さん食堂」抗議、高校生の声を封じ込める感情的な大人たち
鎌田和歌 2021.1.8 DIAMONDonline

 「ファミマ『お母さん食堂』論争」での主張と「奢り奢られ論争」での主張の鎌田氏のスタンスの違いが分かるだろうか。鎌田氏の奢り奢られ論争のスタンスでいうならば、

スーパーで「母親ならポテトサラダぐらい作ったらどうだ」と言われた女性を目にしたというツイート

という部分に関して、「本来、主語が大きいとケースバイケースで終わる話」として鎌田氏は片付けるべきである。つまり、

  • 主語がデカい:「母親ならポテトサラダぐらい作ったらどうだ」と主張した人間の、その人自身の家庭における母親の話にすべき

  • ケースバイケース:言われた女性が専業主婦かつ時間的余裕のある家庭かどうかの話にすべき

といった形に矮小化してファミマ「お母さん食堂」論争を鎌田氏は語るべきなのだ。奢り奢られ論争で日本社会のジェンダーロールに着目せず「本来、主語が大きいとケースバイケースで終わる話」と片付けるならばファミマ「お母さん食堂」論争においても「主語がデカい・ケースバイケース」といった点に着目し、女性のジェンダーロールに関して等閑視して、「それは本来、主語が大きいとケースバイケースで終わる話」とするスタンスを取るべきだ。

 それにも関わらず、上記引用においては

実際に、「母親なら手抜きをするな」「愛情のこもった手作り料理を作れ」という風潮はまだ強い。

といった形で(日本社会の)風潮をトピックとして取り出す。おかしな話である。

 ファミマ「お母さん食堂」論争での「『女性(このケースでは母親)は○○すべき』とのツイートの大拡散」に関しては、批判する際の視点として主語デカもケースバイケースも一切登場せず、ジェンダーの視点からの批判しかない。それにもかかわらず、奢り奢られ論争での「男性は○○すべき」に対しては、ジェンダーの視点の批判は的外れとし、主語デカ問題とケースバイケース問題として片づける。

 鎌田氏の御都合主義溢れるダブルスタンダードの姿勢が実によく表れている。

 また、「ファミマ『お母さん食堂』論争」に関して以下のようにも述べている。

 高校生らは、12月28日の加筆で再度「『お母さん食堂』という名称があることで、お母さん=料理・食事というイメージがますます定着し、母親の負担が増えることになると考えています」「今後も性別によって役割が決まったり、何かを諦めたりする世の中になる可能性が強くなることはとても問題だと思います」「この提案は、決してファミリーマート一社だけを批判するものではありません」と書いている。
 つまり、社会の認識や構造自体を変えていきたいという問題提起であり、単にファミマ一社をやり玉にあげたいわけではないということだろう。そのような構造自体への指摘をあえて無視し、大人たちが高校生の活動を「暴力的だ」と集団で封じようとする。その暴力性を大人が自覚してほしい。

ファミマ「お母さん食堂」抗議、高校生の声を封じ込める感情的な大人たち
鎌田和歌 2021.1.8 DIAMONDonline (強調引用者)

 つまり、「ファミマ『お母さん食堂』論争」においては、ファミマ一社を槍玉に挙げたいのではなく、当該論争によって明らかになった、社会に流布する言説によってジェンダーロールを維持強化する構造を鎌田氏は問題視している。そして高校生が抱いたそれへの疑義を大人が集団で封じようとする暴力性を問題視している。

 奢り奢られ論争では「『(私と恋愛したい)男性は奢るべき』とその人個人がそう思うのはいいんじゃないの?」とでも鎌田氏は言いたげに価値観の多様性や内心の自由の問題として片づけている。しかし、ある種の正当性をもって「男性は奢るべき」との言説を公言することが容認されるならば、公言された言説は男性のジェンダーロールを維持強化する作用を持つ。

 ファミマ『お母さん食堂』論争においては社会に流布する言説が持つジェンダーロールを維持強化する作用を問題にしていた鎌田氏が、奢り奢られ論争においては「男性は奢るべき」と公言されることによって生じるジェンダーロール維持強化を無視するのはダブルスタンダードである。日本社会の女性のジェンダーロールは問題視するくせに、日本社会の男性のジェンダーロールに対しては「そんな問題は存在しない」と言うかの如くの鎌田氏の奢り奢られ論争への批判は、フェミニストの卑劣な姿勢をあからさまに示している。


「一部で全体を代表させてはいけない」は真っ当だが?

 鎌田氏は、奢り奢られ論争に関する批判においては「一部で全体を代表させてはいけない」と指摘する。以下にいくつか引用しよう。

 この際も非常に物議を醸したとともに、「女性が全員こう思っているわけではない」という意見があったと記憶している。
 干支(えと)がほぼ一回りしつつあるのに、ネット上では同じ論争が繰り返されていることにむなしさがある。女性は男性より身支度に努力してお金をかけているのだからおごってほしいという意見が一部の女性から出たとしても、すでにおごられるのは当然ではない派の女性が多数であり、今からその世論がひっくり返るとは考えづらい。その結論ではダメなのだろうか……。

「デート代おごりおごられ論争」が何度も炎上する理由、“主語デカ”に要注意鎌田和歌 2023.3.3 DIAMONDonline

 ネット上でこのようなおごりおごられ論争や、サイゼリヤはデートでありかなしか論争がたびたび盛り上がってしまう日本は幼稚に見えるかもしれないが、それは極端な一部の意見が目立ち、それをネタにする人が多いのであって、現実とは若干の乖離(かいり)があることは知ってもらいたい。

同上

 ある意味で真っ当なご意見である。一部におかしな人間がいるからといって属性が共通する全ての人間もオカシイとするのはダメだろう、というのは分からなくもない(※)。何といっても今回の奢り奢られ論争の発端となった人物はセクシー女優であるし、続いて火に油を注いだのは元アイドルグループの女性だ。かなり特殊な人物といっていい。

 彼女たちの特殊なエピソードが一般化されることには違和感があることを鎌田氏は表明する。

日本でも、デートのために2時間かけて化粧をする女性は、多数派とは言えないのではないか。統計がないのではっきりしたことは言えないし、ドイツよりも日本の方が女性がメイクや身なりに気を使わなければいけない風潮はあるかもしれないが、「2時間化粧」「デート前美容室」「デート準備段階で札束が飛ぶ」を一般的な日本人女性像かのように捉えられるのは違和感しかない。

同上

 しかし、そういう特殊な女性だけでなく、普通の女性もまたデートでは男性に奢ってもらいたいと考えている。そのことは、記事でも引用されている内閣府の調査で明らかだ。以下に内閣府の調査の結果を示そう。

「デートや食事のお金は男性が負担すべきだ」
男性:37.3% 女性:22.1%
(「そう思う」+「どちらかといえばそう思う」の合計)

令和3年度 性別による無意識の思い込み(アンコンシャス・バイアス)に関する調査
内閣府男女共同参画局

 つまり、女性については4~5人に1人の割合で「デートや食事のお金は男性が負担すべきだ」と考えている。4~5人に1人の割合というのはかなり高い割合なので「一部の人間のおかしな考え」と片付けるのが正しい姿勢とは思えない。更に言えば、上記の内閣府男女共同参画局の調査結果を鎌田氏は記事の中で引用しているので、この調査結果を彼女は知っている。

 また、鎌田氏は自らのエピソードを用いて印象操作と邪推できる言動も取る。

 筆者は「初デートでは男性におごってもらって当然だ」と思っている女性をほとんど見たことがない。「おごってもらえたらうれしい」「結果的におごってもらえたらその際は感謝する」程度はあるかもしれないが、「当然」とか「おごってくれない男性は恋愛対象外」といった意見を聞いたことがない。
 もちろんこれは、筆者の半径5メートル以内での観察であるので、世の中には「おごって当然」の女性も実際にいるのだろう。ただ、令和の日本ではどちらかというと「当然」派の方が少ないのではないかと感じる。

「デート代おごりおごられ論争」が何度も炎上する理由、“主語デカ”に要注意
鎌田和歌 2023.3.3 DIAMONDonline

 印象操作と思われる記述は以下だ。

  • 「初デートでは男性におごってもらって当然だ」と思っている女性をほとんど見たことがない。

  • 「当然」とか「おごってくれない男性は恋愛対象外」といった意見を聞いたことがない。

 内閣府の調査では「デートや食事のお金は男性が負担すべきだ」と考える女性は4~5人に1人の割合でいる。つまり「ほとんど見たことがない」「聞いたことがない」と表現するには高すぎる割合である。内閣府の調査の結果を知る鎌田氏にとって、彼女の身の周りのエピソードが日本の実情を反映していないエピソードであるのは自明であるにも拘らず、さも一般的な日本の風潮であるかのごとく紹介するのは、印象操作を目的にしているとしか受け取れない。また、言い逃れできるようにワードを「初デート」「恋愛対象外」といった形に変え、「筆者の半径5メートル以内での観察」との断り書きを挿入するのも非常に姑息である。

 さらに言えば、鎌田氏の全体の論調は、「筆者の半径5メートル以内での観察」で見た限られた女性でもって、日本女性全体を代表させているようにも見受けられる。

 別記事での鎌田氏の御都合主義を示す例を引用しよう。それは鎌田氏が2021年に書いた「高学歴の専業主婦がセレブバイト?大学教授のツイート炎上から学ぶ現実」という記事である。

 まず、件の大学教授のツイートに触れた部分を引用する。

「通訳者はすべて女性だったのですが、これが皆さん、専業主婦だったのです。東大やICUを卒業した専業主婦です。セレブバイトだったのです」
「東大やICUや東外大(ICUや東外大は大学院を駒場で修了してたりする人もいました)出身者が専業主婦やってるのです。ジェンダーの問題は本件ではちょっとおいておきます。とにかく北北海道の辺境出身の私にはあまりにもイカツイ学歴の持ち主が専業主婦やって、セレブバイトしている。衝撃と畏怖でした」(原文ママ)
 ある男性の大学教授(ツイッターでのアカウント名にならい、以下「オッカム教授」とする)によるこんな内容の連続ツイートが、物議を醸している。

高学歴の専業主婦がセレブバイト?大学教授のツイート炎上から学ぶ現実
鎌田和歌  2021.6.11 DIAMONDonline

 また、上記のオッカム教授以外にこの記事ではもう一人の男性が登場する。

 筆者の親戚で、フリーで通訳の仕事をしている女性がいた。高学歴で高い語学力を持ち、子育てが一段落してからそれを生かして通訳の仕事を始めた人だった。まさに、オッカム教授がツイートしたような人物だ。
 ある正月、筆者が親戚同士で集まってくつろいでいる際に、その女性と配偶者との会話が耳に入った。彼女の配偶者がふざけて、「君の仕事は気楽なものだから」というようなことを言ったのだ。組織に雇用されているわけではなく、自分の好きな時間に働ける気楽なものだといったニュアンスだった。彼女は強い抗議はしなかったが、顔をしかめて「もう」と言った。
 その雰囲気から、このようなやりとりは二人の間で何度か交わされているのだろうと感じた。仲の良い夫婦だったが、夫は妻の仕事を「パートタイムで働けるし、自分の仕事より責任の軽いもの」と捉えているようだった。
 このやりとりを忘れられなかったのは(そして、いつもは面白くて好感を持っていたこの親戚男性へのほぼ唯一の残念な思い出として記憶しているのは)、筆者も彼女と同じ性だからかもしれない。

同上

 はてさて、大学教授と「子育てが一段落してからフリーで通訳の仕事が出来るほどの高い語学力を持つ高学歴の女性を妻に持つ男性」という存在は、あまり一般的な男性とは言えない。

 またセレブバイトをしている専業主婦の女性もまたカナリ特殊な女性である。そのセレブ振りを記事から引用しよう。

「彼女らは比較的余裕で超一流大学に入り、普通に教養を積み、しかしキャリアをガリガリ重ねることには関心がなく、恐ろしく給料の高い旦那のパートナーとして読書し語学を磨き子育てしている。雲の上より私には高かったです」

同上

 そんな通訳が出来るほどの語学力をもつ高学歴セレブ主婦という特殊な女性の存在と、オッカム教授のTwitter上騒動、親戚の男性のエピソードから導き出した、鎌田氏のジェンダー記事の結論は以下である。

その背景にある女性がキャリア志向を保てない状況にも想像力を巡らしてほしかった。
 ジェンダーに関する議論の中でたびたび指摘されることだが、今の社会にはまだ、「男」と「女」に期待される役割に違いがある。男性の場合はキャリアを積み努力を重ねて妻子を養うことが良しとされる一方で、女性の場合は夫や子どものサポートをすることが第一で、自分の社会的なキャリアや自己実現は二の次でよいとされやすい。
 つまり、キャリアを積みたい男性や「ほどほどでよい」と思う女性は生きやすく、「ほどほどでよい」と思う男性やキャリア志向の女性は生きづらい。川の流れる方向が男女で別であり、流れにあらがおうとする人は、それだけ余計に力が必要となり葛藤する。男性であれ女性であれ、そのような葛藤を数回会っただけの相手に明かすとも思えないし、ジェンダーに無関心な人が読み取ることはなかなか難しい部分ではないだろうか。
 繰り返しになるが、オッカム教授が言いたかったのは地方と東京の教育や経済における格差である。それ自体は実際、社会問題だろう。
 一方で、それを言うために高学歴女性たちの通訳業を「セレブバイト」と表現する必要はなかった。それは注目点を都会に住む高学歴女性たちにいたずらにズラし、女性は男性に比べ出世意欲がないというステレオタイプの助長につながるばかりで、問題の解決に至るとは思えないからだ。

同上

 鎌田氏のダブルスタンダードの姿勢は明らかである。かなり特殊な立場の男女のエピソードから日本全体のジェンダーの構造を鎌田氏は語る。つまり、女性不利なジェンダー不平等構造に関しては一部で全体を代表させているのだ。

 奢り奢られ論争においては、特殊な女性(といっても該当女性はそれだけでなく4~5人に1人はいる)の例でもって、日本全体の性差別的なジェンダー構造は語れない、と鎌田氏は結論付ける。一方で、「フリーの通訳の仕事が出来るほどの語学力を持つ高学歴の、恐ろしく給料の高い旦那のパートナーであるセレブ専業主婦」という特殊な女性と、その女性に準ずるほどの特殊な立場の男性の例でもって、日本全体の性差別的なジェンダー構造を鎌田氏は語る。

 女性有利で男性不利なジェンダー構造においては一部で全体は語れないとする一方で、男性有利で女性不利なジェンダー構造については一部で全体を語るのだ。


まとめ

 フェミニストの鎌田和歌氏には以下のようなダブルスタンダードの姿勢がある。

 日本社会のジェンダー問題がメインになる問題圏の「主語がデカい・ケースバイケース」となる要素がある言説について、男性有利女性不利なジェンダー問題であればジェンダー問題として取り上げる一方で、女性有利男性不利なジェンダー問題であれば「本来、主語が大きいとケースバイケースで終わる話」としてジェンダー問題を無視する。

  日本社会のジェンダーロールを維持強化する言説が流布することに関して、女性不利なジェンダーロールを維持強化する言説の流布については批判する一方で、男性不利で女性有利なジェンダーロールを維持強化する言説の流布についてはそんな問題は無いと主張する。

 日本社会のジェンダー問題に関する言説に関して、男性有利女性不利なジェンダー問題であれば一部でもって全体を語る一方、女性有利男性不利なジェンダー問題であれば一部でもって全体を語るのは間違いと主張する。

 実に、フェミニストは彼女に限らず、ダブルスタンダードの姿勢を取る人間が多い。


※余談だが、思想が共通するケースは特殊である。つまり、おかしな主張をする(一部の)人間と主義を共有する人間全体に対して、その全体がオカシイとされた場合、例えば「一部のおかしい主張をするフェミニストによって全てのフェミニストがオカシイとされた場合」は「その個人が主張するオカシさに関して、その主義に由来するのか、その個人に由来するのかの弁別」に関して、おかしな主張をする人間と主義を共有することを引き受けた人間が、他者に示す必要があると思われる。


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