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ポリコレ・カードバトルの状況

 日本においてポリコレカードバトルの状況が生じているのはレアケースなので、ごく一般的な日本人にとっては馴染みがない状況である。したがって「ポリコレ・カードバトルってなに?」と思う人が大半だろう。そこでポリコレカードバトルについて解説しよう。ポリコレ・カードバトルの状況とは

「公認された弱者性」において弱者性が高い方が「正しい」とされる

と言う状況である。この状況は

「弱者を責める(攻撃する)べきではない」という規範が大前提

にある。とはいえ、この規範自体は絶対視しなければそれなりに道理に合った規範ではある。しかし、「弱者から攻撃を仕掛けてきた場合の反撃」も上記の規範に反する行為と見做されてしまうのが、ポリコレ・カードバトルの状況であり、その前段階のプレ(=前)・ポリコレ・カードバトルの状況である。これらの状況において、弱者に反撃すると道徳的に非難されてしまう状況に陥いる。

 弱者に反撃すると道徳的に非難されてしまう状況から「相手は反撃できない」ということを見越して、弱者は(反撃を受けないため)一種の無敵状態になって、「なんでもかんでも言いたい放題が出来る」という事態になる。

 今の日本もこのような状況(プレ・ポリコレ・カードバトル状況)になりつつあるが、アメリカを始め意識高い系の国々の状況は更に一歩進んでいる。

 それらの国々の状況がポリコレ・カードバトルの状況である。

 つまり、「弱者を攻撃してはいけない」という規範を全てに勝るルールとして、相手が弱者カードで無敵状態になれば、自分も弱者カードを提示して負けじと無敵状態になる。そして、弱者性の相対的な高低によってどちらがルール違反をしているかが決まる、という状況になっているのだ。

 とはいえ、実際のポリコレカードバトルの遣り取りを見ないと上手くイメージできないだろうから以下に具体例を示そう。

A:「Bの団体は不適切な会計処理を行っている」

B:「糾弾しているAは男性だ。一方の私(=B)は男性よりも弱者である女性である。更に団体は『社会において蔑まれている売春女性』を支援している。つまりAの糾弾は『強者である男性』が『弱者である女性、さらに弱者である売春女性』を攻撃する差別行為に他ならない。したがって、Aの糾弾は間違いである」

困難女性支援団体に関するポリコレ・カードバトル (筆者作成)

C:「ビルの建築現場に正当な理由なく侵入しているから建造物侵入罪、退去を要求(身振りでも成立)されても退去していないから不退去罪である」

D:「オレが黒人だから罪なのか?(=弱者ではない非黒人が弱者である黒人を犯罪者とするのは黒人差別であり、不当である)」

迷惑系ユーチューバーに関するポリコレ・カードバトル (筆者作成)

 細部は多少変えてあるが、これは実際に日本で起きた遣り取りの例である。上記のB氏についていえば、世界的にはポリコレ・カードバトルの状況に突入しているフェミニスト界隈に属する女性の発言であり、D氏についていえば、人種問題でポリコレ・カードバトルに突入しているアメリカの人間である。

 日本においては「ポリコレ・カードバトルの理屈」を持ち出しても、一般的には当該理屈を共有していないため、基本的には当該理屈を持ち出した側に対して「アンタは頭のネジが外れているんですかね?」と認識される。

 しかし、具体例に挙げた遣り取りに関して、仮にポリコレカードバトルの状況に突入している社会で行われたならば「A氏やC氏の主張ではなくB氏やD氏の主張が正しくなる」という事態が生じる。

 「ちょっと何言っているか分からない」という状況だとは思うのだが、ポリコレ・カードバトルの状況とはそういう状況である。

 もうちょっとポリコレ・カードバトルの状況の訳の分からなさを具体的に見てみよう。ポリコレ・カードバトルが常識となると、以下のような遣り取りが行われる。

E:「Fは○○なので悪い」・・・当初の言説

F:「Eは男性で私は弱者である女性だから、Eは女性差別主義者であり、Eの主張は間違いだ」

E:「Fは白人で私は弱者である黒人なのだから、Fは人種差別主義者であり、Fの主張は間違いだ」

F:「Eは本人も子供も健常者であるが、私は弱者である障碍者の子供をもつ親であるから、Eは障碍者差別をする人間であり、Eが間違っている」

E:「私は鬱病を現在患っているから、その私を攻撃するFは間違っている」

架空のポリコレ・カードバトル (筆者作成)

 以上のように、ポリコレ・カードバトルが常識となると当初の言説の内容的妥当性はどうでもよくなる。そして主張者および反論者の以下で示すような「公認された弱者性」の高低こそが「言説の正しさ」を決定するため、自分が保有している公認された弱者性を提示し合う、というやり取りになる。

女性,黒人,障碍者の親,鬱病患者,・・・

公認された弱者性

 また、上記のような属性が「公認された弱者性」であることは、現実世界における当人の実際の困難性と結びついていようがいまいが関係なく、「その属性は困難なのだと公認されていること」によって決定されている。すなわち、ポリコレ・カードバトルにおける「公認された弱者性」のレーティングは、当人の実際の困難性と直接的には無関係なのだ。

 ポリコレ・カードバトルにおける言論は、自分の「公認された弱者性」の高低、またその組み合わせによる弱者性の高低が、相手を上回れば「勝利=自分が正しい」となり、相手の弱者性が上回れば「敗北=相手が正しい」となる。恰もトランプのポーカーのような構造なのであり、自分の手札の役の強さが相手の手札の役の強さを上回れば勝利し、下回れば敗北するのである。

 だからこそ、日本においてもポリコレ・カードバトルが出来ると考えていた困難女性支援団体の代表者は

「相手は【男性】の手札で、自分は【女性】であり、かつ【蔑まれている売春女性】の関係者という手札を持っている。すなわち自分の手札のほうが相手の手札よりも強い。だから『自分の団体が不適切な会計処理をしているという非難は女性差別である』という私の主張は正しい」

と考えたのであり、迷惑系ユーチューバーの黒人男性は

「相手は【非黒人】の手札で、自分は【黒人】という手札である。自分の手札の方が相手の手札よりも強い。だから『自分が建造物侵入罪と不退去罪を犯した』という相手の主張は間違いで、『黒人を犯罪者としようとする不当な黒人差別が行われている』とする自分の主張が正しい」

と考えたのである。

 何をどうするとそのような思考回路を正しいとしているのか理解に苦しむ。まぁ、ポリコレ・カードバトルの状況下においては「公認された弱者性」を保有していれば特権が獲得できるので、その特権階級の人間がその地位が齎す巨大な利益ゆえにそのような思考回路になったというのは理解できなくも無いのだが、意識高い系の国々の一般人のポリコレ・カードバトルを常識とする感覚がよく分からない。

 それはともあれ、このポリコレ・カードバトルをやっている連中に対して、声を大にして私は主張したい。

お前らのやっていることは属人論証と呼ばれる詭弁だから!




※ この記事は執筆中(2023/9/30時点)の「炎上したミサンドリストの牧師さん2」において、当該記事でポリコレ・カードバトルは中心的テーマではないにもかかわらず、"ポリコレ・カードバトルの状況"を説明した箇所が長くなり過ぎたため、独立させて別記事としたものである。そういった経緯のため、このテーマを取り上げる意義の説明を欠いて唐突感が拭えない。後日、この点からの加筆修正を行うかもしれない。

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